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2016年2月25日 (木)

深夜細雪

言えることと言えないことがあるのが後ろめたいから、
もう何も言いません、
言いたいことは特にありません、

元気です、大丈夫です、頑張ります、以上です。

っていうのは

なんというか、
ただの意地っぱりだな、

と思って、

何のための意地なのか何にもならないじゃないかと
思ったものの、

思っただけで打つ手はなく

端数切り捨ての如く打ち消してきた、
ないなりにあったはずの言いたかったことがらが、
もはや怨念を帯びてわだかまっているような
気配だけはするのですが

それらをひとつずつ取り戻そうと
ばっと振り返ったところで
何にも見当たらなくて、

でも、そういう今を認めることでしか
沈黙は破れないのではないかと

思った次第です。

確かに言えることだけを、探してみます。

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コメント

ほんと、久しぶりの更新に5か月後の今日気がつきました。
<沈黙>は破られるものでなく、破れるものだと思えたとき気が楽になった記憶があります。<いま>を認め、さらに越えようとしたときにことばが生まれるのか、それはわかりませんが、沈黙を潜り抜けた、あるいは沈黙に裏打ちされた、または沈黙と等価の、もしくは沈黙を従えたことばのみが距離をふんでひかるのではないか。「はからい」を捨てることはたやすいことではないが、自分のほんとうに欲しいものが何なのかは、はからいを捨てたところに見えてくる気がします。
 私も、今日は元気です。

投稿: 読者 | 2016年7月18日 (月) 22時10分

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