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2014年2月 8日 (土)

認める、ということ

大雪です。
休みなので呑気に屋内でぬくぬくしていたところ、雪でドアが開かずに外に出られなくなってしまいました。

明日は晴れるという予報を信じて、待っています。
片手のスコップでは心もとない積雪量なのですが、なんとかなるでしょう。

ちなみにこのスコップは、蛇を埋葬するために百均で買ったもので
その後雪かきのために年一回ほど用いられています。
成り行きというものについて、毎度神妙な気持ちになります。


さて

今の会社に勤め始めて8ヶ月。
翻訳という言葉に惹かれて戸を叩き、雇われる幸運に恵まれましたが、
いわゆる産業翻訳の、さらに、営業という仕事をつづける中では

日々の人間関係の些事や理不尽、先行きのなさやオーボーに対する無力感等々、
社会人であればみな見舞われるのであろうポピュラーな試練に
あっ、、けなく翻弄されているというのが現状でありまして

元来憧れていた姿との隔たりに、そのとき見えていなかった、知らなかった光景のありさまに、
というかその、憧れとか、自分の考えとか思い入れとかがもれなく邪魔なのだという指導も相まって

ひとりで愚痴愚痴鬱々としてばかりいます。
情けないことです。

これが現実なのさ?

憧れが幻だったのだ?

なまじ翻訳という世界に身を置いていることによる卑屈さみたいなものが
「翻訳文学を読む」という、
かつて胸を躍らせた憧れの源泉たる行為からも自分を遠ざけてしまい

くるしいなあ。
とてもくるしいなあ。
というぐあいです。
でした。かなり。


未知の相手を理解する、
というのは本当にうれしいものです。

営業というのは、私のような内気な者にはたいへん勇気のいるものですが

初めて会う相手の奥にある、確かにあるけれどとても細かくて散らばっているキラキラしたものを探り当て、触れ、それを引き出す

そういうことができた気がした時の喜びは何物にも代えがたく

つまりそういうことなんですよね

仕事という営みの中に隠れている、人間的な熱とか、それこそ私の知らない別の憧れとか
そういうものとの邂逅を求めてやまない……です

でもそれは「邂逅」であって、毎日ふつうに出会えるものでは、なぁーくて
そうじゃない、うまくいかない、わからない、わかってもらえない、そもそもわたしなんていらない、そういうことのほうがずっとずっと多くて

社会の中でお金を稼ぐということは、特に、会社しょって営業まわるということは、
そういう中でうろうろするということなのであって


それでもそれをやめないで、次のラッキーを求めて動きつづけるしか、邂逅はない……んだよなあ
というのもわかってきていて

お手本があるわけじゃないし、経験もないし、
ほんとに手探りで、何を目指せばいいのか、形も見えないのだけど。
というか、自分が動けば動くほど、逆に形がなくなっていくのだけど。

自分が見たもの聞いたもの感じたものの集積を、どう統合すればいいのか。
動けば動くだけ知らないことが増えていくという中でだよ。そう、そっちが増えるのですよ。

そんでたぶん、ほとんどの人が実際はそういう状態に身を置いている。
そんでそのなかから形を、言葉を、足場を自分たちで作ってくしかない。

まだ訳のない言葉、定訳のない専門用語、形のない概念、エトセトラエトセトラ。

そんな中では、いま既に形のあるものに対して、
一から十まで納得できるものというのは、どんどん少なくなっていって、というか、なくて
どの部分は是でどの部分は非なのか、切り分けるのもまた自分の仕事で

世界はそんなふうに動いている。のかな、と

足場のない、先も見えない中で、「これだ」と感じるかけらを集めて自分のものにして、形づくりながら前に進むということ。

それってものすごく翻訳的だ、
仕事自体が翻訳だ、というかそういう営みはきっとみんな翻訳なんだな、と思います。


話を元に戻すと
文章の翻訳を求める人の事情と、
文章の翻訳をする人の事情と、
その双方のあいだで動いているというのも、得難い経験とも言えます。

私は翻訳を読む人ってだけで、その人たちのことはわからなかったからなあ。


かつて憧れたものの裏や足場、背景を知って、その中で生きて
それでも憧れた気持ちを否定しない、手放さない

なんと力がいることかと思います。
難しいことです。逃げたくもなります。
ぜんぜんできてないなあ。


がんばれるだけがんばります。

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