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2012年8月18日 (土)

こめ

こめ
(ごろごろしているところを邪魔しています)

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2012年8月12日 (日)

上野

上野
・人や何かの役に立つのはもちろんうれしいことだけど、それを一番の目的にしてしまうのはあやういことですね。役に立たなくてもやる、やりたいからやる、っていう、ものじゃなきゃ続かないし残らないですね。たぶん

・なにかを言葉にするのがむずかしいのは、毎日言葉を使って仕事してるので痛感しますが、個人の能力もあるけどそもそもむずかしいものなんだよなとおもいます。
一見上手そうに見えても、これが上手な書き方、という形式に意識的または無意識的に則ってるだけなのかもしれない。その人の言葉は、どうやって発生してくるものなのか?

カオスを切り分けたのが言葉なんだとしても、世界は言葉で切り分けきれてるわけでは全くなくて、カオスはまだまだ至るところに残ってるし、そもそも新しく生まれてく一方だし。
でも、私らには言葉を使うしか方法がない。

活字によって理想の形が作られているはじめに言葉ありきの世界と、ここから見える世界は、だいぶちがいます。
人間だって動物です、理性だけで構築されてない。文章を書いたり読んだりするのと同じスピードで、一日中世界や自己を認識していられるわけじゃない。
それこそたっくさんの、言葉にならないものごとに囲まれ覆われながら生きています。無理に言葉に接続しようとした時の違和感に途方に暮れたりしながら、また自分の中でうまくいった変換が他人様にはぜんぜん伝わらなくてがっかりしながら。

「書かれなかったものを読む」(ホーフマンスタール)ことのむつかしさに真っ向から立ち向かうのは、なんというか言葉をつかう動物の一種としての人間の仕事という感じがします。

書かれてて知ってることを使うことと紋切り型ばかり使うことはあんまり大差なくて、語彙力のちがいなんてそのストックの量の差だ。過去に知った言葉を、いまここで生じているよくわからない何かに対してそのまま平然とあてはめて本当にいいのか? っていう迷いがな。あるよな。
でも迷ってる場合じゃないし、他人様相手にはそれしか自信もって使えない(限られた時間の中で、伝わらなかったら意味がないビジネスの場面では特にね、効率のいい紋切り型が便利)。
しかし、そうであればこそ、そこにこそ努力、訓練、自信を以てとりかかるべき仕事があるのではないかと思っています。

そんな感じでちょっと脱紋切り型に挑んだからって、これが自分の言葉、なんて簡単にラベル貼れるようなものでもないし。(そんなのただの自己満)

そんな脳内作業よりもずっと、いつ言うか(感覚と機転と勇気)、どう言うか(筋力と演技力と愛嬌)、が、言葉自体の選択以上にモノを云うのが本当のところです。

体で覚えるしかないね。毎日がんばるしかないねー。

・屈託の塊になっていじけきってた二、三年前の自分に、今ならなんか言い返せるような気がしています。
当時は自分が何も動けてないくせに、何を見ても、何に触れても、そんなんでいいのか、と穿っていました。
なんか言い返すと言っても、理屈としては納得されない気がします。うるせー! とか、ばーか余計なお世話じゃ! とか、言葉にすればそんな程度の。子供かと。(だけど、うるせー! とか言いたくても言えなかった幼少期)

動機と目的があってやってることの過程にいる人の、動機と目的はその人のものなんだから。誰かのためとかじゃないその人のものなんだから。そんなんでいいのか、とか言われる筋合いない。

小さく見えても、くだらなそうでも、役に立ちそうになくても、それでも本人にとっては人生の時間をそこに注ぐって決めた大切なもんがそこにあるんだから。いいに決まってらあな。

私もやっと、その、自分でつくった目的への過程に踏み出したのかもしれません。

誰かによっていいとされたもの、誰かによって正しいとされたもの、かつての自分が理想と思っていたもの、それらのほんの少し脇にはみ出してしまったこの現実の中で!

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