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2008年5月23日 (金)

廃業する倉橋ヨエコ

ここ半月ほど、
うちでは専ら

「昭和の捨て犬」
「シャバダ歌謡」
「六畳一間にグランドピアノと暮らす女」

のキャッチフレーズでおなじみ
先月末に衝撃の音楽活動廃業告知をした
倉橋ヨエコのアルバムばかり繰り返し繰り返し
かかっています。

廃業。
未だ信じきれていません。

共感というと陳腐ですが共感は共感です。
私にとっては倉橋ヨエコの歌は他者ではなかった、
歌詞、曲、といった要素も勿論ですが
それ以上に
その"狂鍵”の勢いとか、
意味を成さないがゆえに意味以上の何かを滲ませている声
(『赤い靴』の冒頭なんて特に)、
といった曲のアウラ的要素、うまく言えませんが聞いていて即自分の深奥に直結作用するものです、共鳴です。
「等身大」至上主義や、共感できれば善しとする考えには反対だし、
私自身そこに最上の価値を置くつもりは毛頭ありませんが、
これは他の音楽体験とはちょっと異質なものでした。私にとっては。

曲の再生と共に
情念と絶望、やさぐれから派生した強がり或いはポジティブという輪廻の強度な追体験を飽きもせず繰り返しながら
「廃業」について思うのは
形に残すこととか、最高傑作が出来てしまうということ、けじめの問題、
あとはひたすら
女の生き方って。
2ヶ月後の最後のライブに向かっている彼女の現在に思いを馳せたりもします。
余計なお世話でしょうけどもう他人事じゃないんですよ。
思い入れが強い分、はね返って来るものもでっかい。

見届けようそして考えよう。

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