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2007年12月21日 (金)

祈りとして

生物の多様性に関する条約 (1993年12月21日)

序文
 
 締約国は、生物の多様性が有する内在的な価値並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、
 生物の多様性が進化及び生物圏における生命保持の機構の維持のため重要であることを意識し、
 生物の多様性の保全が人類の共通の関心事であることを確認し、
 諸国が自国の生物資源について主権的権利を有することを再確認し、
 諸国が、自国の生物の多様性の保全及び自国の生物資源の持続可能な利用について責任を有することを再確認し、
 生物の多様性がある種の人間活動によって著しく減少していることを懸念し、
 生物の多様性に関する情報及び知見が一般的に不足していること並びに適当な措置を計画し及び実施するための基本的な知識を与える科学的、技術的及び制度的能力を緊急に開発する必要があることを認識し、
 生物の多様性の著しい減少又は喪失の根本原因を予想し、防止し及び取り除くことが不可欠であることに留意し、
 生物の多様性の著しい減少又は喪失のおそれがある場合には、科学的な確実性が十分にないことをもって、そのようなおそれを回避し又は最小にするための措置をとることを延期する理由とすべきではないことに留意し、
 更に、生物の多様性の保全のための基本的な要件は、生態系及び自然の生息地の生息域内保全並びに存続可能な種の個体群の自然の生息環境における維持及び回復であることに留意し、
 更に、生息域外における措置も重要な役割を果たすこと及びこの措置は原産国においてとることが望ましいことに留意し、
 伝統的な生活様式を有する多くの原住民の社会及び地域社会が生物資源に緊密にかつ伝統的に依存していること並びに生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用に関して伝統的な知識、工夫及び慣行の利用がもたらす利益を衡平に配分することが望ましいことを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用において女子が不可欠の役割を果たすことを認識し、また、生物の多様性の保全のための政策の決定及び実施のすべての段階における女子の完全な参加が必要であることを確認し、
 生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用のため、国家、政府間機関及び民間部門の間の国際的、地域的及び世界的な協力が重要であること並びにそのような協力の促進が必要であることを強調し、
 新規のかつ追加的な資金の供与及び関連のある技術の取得の適当な機会の提供が生物の多様性の喪失に取り組むための世界の能力を実質的に高めることが期待できることを確認し、
 更に、開発途上国のニーズに対応するため、新規のかつ追加的な資金の供与及び関連のある技術の取得の適当な機会の提供を含む特別な措置が必要であることを確認し、
 この点に関して後発開発途上国及び島嶼(しょ)国の特別な事情に留意し、
 生物の多様性を保全するため多額の投資が必要であること並びに当該投資から広範な環境上、経済上及び社会上の利益が期待されることを確認し、
 経済及び社会の開発並びに貧困の撲滅が開発途上国にとって最優先の事項であることを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用が食糧、保健その他増加する世界の人口の必要を満たすために決定的に重要であること、並びにこの目的のために遺伝資源及び技術の取得の機会の提供及びそれらの配分が不可欠であることを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用が、究極的に、諸国間の友好関係を強化し、人類の平和に貢献することに留意し、
 生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用のための既存の国際的な制度を強化し及び補完することを希望し、
 現在及び将来の世代のため生物の多様性を保全し及び持続可能であるように利用することを決意して、
 次のとおり協定した。


こういう条約があるんですよ。14年前から。
てかふと読み返してたらこれ出来たの14年前の今日じゃないか。偶然?ねぇこれ偶然?
…噛みしめながら読んで泣きたくなった。実際涙ぐんだ。
そうであればいい、どうかそうであってほしい、
しかし何故故にうまくいかないのか。
多様性の問題。

自然淘汰もそりゃある。
全部を全部護るつもりかそりゃ無茶だとか、そもそも護るなんざ人間の傲慢だおこがましいとか、人間の生き死にや繁栄より他の生物優先させようなんて偽善だとか、お前も加担してるじゃないかとか、そりゃわかるよ、わかるし正しいんだろうけどそういうことじゃないんだよ。

ただ、いろんな奴にここにいて欲しいんだよ。いなくなって欲しくない、それだけなんだよ。
少なくとも、ヒトが無計画に手を下してシステム狂わせて消しちゃって良いものでは断じてない。
まだまだ地球にはヘンテコリンな生き物が沢山居て、
てんで想像もつかないような生活をどっかで今も営んでいる。
そいつらにまだここに、地球に、いて欲しいんだよ。
人間だけじゃ寂しいよう。ペットとか役に立つ動物だけじゃ寂しいんだよ。
生き物って生きてるだけでそれだけでいいんだよ。
生きてることが価値である筈なんだよ。
ただそこにいてほしい。
今いるところにそのままいてほしい。
それだけで面白い。それだけで豊かだ。

そもそも生き物って、ただそこにいて、生まれて食べて息して排泄して交尾して生きて死んで、生きていた頃の身よりずっと弱い立場の生物に食べられて分解されるという環の中に居るだけでもう、素晴らしい。
同じイキモノでありながらその環の中に入れない、自分は食べるだけ好き放題食べておきながら、自分が死んだら勝手に焼かれて他の誰にも還元できないで消えてしまうんであろう私からすればそれだけで憧れです。そのままのシステム。完璧な仕組み。
貢献してないどころか、凄いスピードでシステム変えちゃってるもんなぁ。

そこに本来居るべきはヤンバルクイナであってマングースじゃない。
そこに本来居るべきはスズメであってセキセイインコじゃない。
そこに本来居るべきはイタチやノネズミであってタイワンリスじゃない。
野性化したヤギは島中の草を食い荒らして不毛の地にしてしまった。
世界中で増え続けるカキは各地で多種多様に生存していた貝類を悉く駆逐した。
エトセトラエトセトラ。全部きっかけ作ってしまったのは人だもんなぁ。
強い者が生き残る、弱い者は姿を消す。一見自然だけど、紛れもなくこれは異常事態。人為的結果。

手を下している事も無自覚に、且つ実態にも気付かずに。
異常だよ。怖いよ。寂しいよ。
一度消えちまったらもう、帰ってきやしないもの。

あー。取り乱してすみませんが。
こんな願いも所詮は私の欲望に過ぎませんが。
何もできない、しかも私すらいつもこんなこと綺麗に忘れて生きている。気付かなくても充分生きられるし。それこそたまに思い出して祈ることしかできないのか。
ならば一つのささやかな祈りとして。
その通りであればいい、どうかそうあってほしいと。
この条約は一つの教典と言えます。


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