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2006年9月30日 (土)

瞬間コミュニケーション能力について

初めて会うし、
しかも会っている時間はほんの数秒のみであり、
その上この先二度と会わない可能性が断然高い、

人。

というのは普通他人と呼ぶのでしょうが、
そもそもそういう状況とはつまりただすれ違っているだけであり、それを「会う」と表現するのは間違いであるのでしょうが、
他人と言えども、関わりの度合いは低くても、その数秒は関わっているんですよね。
「他人である」ということを意識するということは、そこに人がいるということを意識しているということだから、
誰とも会わないよりは、他人でも会っている状態は、確実に誰かとの関わりは生じていると言えますよね。

車を止めたりトラック誘導したりで一日中道路に立って、道行く人々を見ていると、そんな気がしてなりません。
というか、そう思わなければ淋しくてやってられません。
まる一日、他人相手に仕事しているわけですから。

名前も素性も知らない状態で会い、何の情報も加わらないまま去るのだから、その人については何も残りません。
でも、絶対何か他のものが残る気がします。
「今日だれそれが何をした/言った」みたいな「対人関係」のカテゴリに残されるのでなく、他のもっと軽い、例えば「その日のテンション」とか。そういうものに作用する気がします。
名前とか素性は何もわからないけれど、印象は残る。
表情とか、服装とか、話している事とか、そういうものが印象として残る。
すれ違った一人一人の印象が、少しずつ少しずつ堆積していって、その日の気分に大きな影響を与えているのではないかと。

マナーとか抜きにすれば、相手は他人だから、別に愛想よくしなくても構わない筈なんです。
別に無愛想でも声を出さなくても給料は同じだし。

でも、確実に、にこやかに声出した時の方が、そういう「他人」の皆さんのリアクションが良い。
目が合ったり、会釈されたり、瞬間微笑みを交わしたりする確率が格段に高い。
運がよければ一言二言話せたりする。
(愛想以前に、まずあの制服が、相手を安心させる材料になっていることは確かだと思う。バイト中は、いつもより「初見の人といい気分で別れる」ということが、やりやすい。)
すると、私は単純だからそれだけで元気になったりするので、結果的に「愛想のよさ」が自分のエネルギー源になるわけなんです。

工事現場の交通整理の人々(辣腕)に優しげな方が多いのは、そこに理由があるのではないかと睨んでおります。

同じ秒数関わるのなら、その限られた時間の中でもできるだけ打ち解けたいです。
名前とか素性とかは知りようが無いけれど、
友達になりましょう!とかは流石に無理だけど、
打ち解けてそこで安心して楽しくなるのなら、愛想は良くする方が良い。

これを、瞬間コミュニケーションと名付けたい。

つまり雰囲気というか、人柄というか、結局はそういうことになるんだろうけれど。
関わるだけで安心する人って、いいなぁと思いませんか。すごいと思いませんか。
印象って、記号じゃないですか。名前とか素性とか、自己紹介するまでもなく滲み出てその人を紹介してしまうものじゃないですか。
瞬間、瞬間で伝わってしまうものじゃないですか。
他人と関わり続けていくと、そういうものに鋭くなるのではないかと思います。
悪くないと思います。

クレーンが高い所に持ち上げた木材が落下してきて危なかった。
自分の身は自分で護らねばなと思いました。


読んだもの:昨日と同じ

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おまえ新顔だな

おまえ新顔だな

バイト帰りに近所で遭遇。
初めて見る顔だったので、無我夢中で携帯で写真を撮りまくっていたら、後ろから歩いてきた小学生に露骨に不審な目で見られた。
(でっかい荷物しょってたし、半分制服(ダサい)だったしな…)

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2006年9月29日 (金)

学習

経緯は知らないが、広くて入り組んだ洞窟の奥の方で手持ちのミュウツーと口論になり、
「お前はいっつもそうだよな」とか言われ、
つい逆上して、そこでマスターボールを捨てて、ミュウツーと別れた。
別れた後、後悔した。

…という夢を見た。
どうしちゃったんだろ。何故今更ポケモンが夢に出る?

久々の新宿だったので、迷うんじゃないかと心配でしたが大丈夫でした。
映画『LOFT』見てきました。

恐がりなので、怖いものは極力避けたいのです、ほんとうは。
今までの人生で体験しそうになった、キャンプの肝試しとか遊園地のお化け屋敷とかは、仮病使ったり上手い逃げ口上を作ったりしてずっと避けてきました。
ホラー映画も、出来る事なら避けていきたいものの一つです。余程のことがない限り見たくないです。

でもどうせこれから避けて通れないであろう(多分)、黒沢清氏の作品でありますし、以前勇気を振り絞ってDVDで見た『CURE』が面白くてびっくりしたこともあり、またのこのこと見に行ったわけでありまして。
怖さの質が違った。そう言えばキュアは別に直接的な幽霊ものじゃなかったね。怖いのは人間だった。「まともな」人間が、よくわからないものに侵蝕されていく感じが怖かった。
今回は幽霊。ミイラ。

別に異常なものは何も映っていないのに、いや何かあるだろう、というような。
今、こちらからは何も見えていないけれど、登場人物には、見えてるだろう、というような。
ノイズ、画面の角度、色合い、そういうもので次第に歪んでいく。違和感が見えるんです。違和感なんて目に見えるもんじゃないけれど、見える。
そして、その違和感が、「異常なもの」の出現によって現実化する時があるのですが、
もう、さながらドッヂボールのようでした。
ドッヂボール。
ボール2つとか3つとかでやっている時の、しかも内野に一人残されて、四方囲まれて集中狙いされている時の、絶体絶命なあの感じです。
うわ来た!後ろか!!前からも!今度はそっちか!!
…そういうピリピリ感が、ずっと続く。気が休まらない。
しかもこれ、ドッヂボールより悪質なことには、ボールにあたるもの(つまり恐怖)が全方向から来るんです。いや、全方向から来そうなんです。どこから来てもおかしくない状態なんです。全方向へ向けて身構えていなければならないんです。油断しようものなら、すぐに来るんです。
身構えているから、「足を角にぶつける」というような些細なことにもびくびくしてしまう。悪循環です。

…怖さの説明をしても仕方あるまい。
別に怖さは肝心じゃないみたいです。何せ、ラブストーリーだと言うじゃないですか。私にはわかりません。それどころか一瞬、こりゃギャグなんじゃないかとすら思いました。
この、「怖い」の段階を越えなければ、その奥の話の本筋にしっかり向き合えないのではないでしょうか。
修行が必要なようです。
知識層の皆様は、こぞって本作品の分析に勤しんでいるんだろうなぁと思って評論を探して読んでみたら、案の定そうでした。そりゃこじつけだろう!と言いたくなるものもあるけれど、言われてみればそうだと納得するものも多くありまして。
悔しいですね。
同じものを見たのに、受け取るものがこうも違うか!と。堪能の仕方がこうも違うのか!と。
やはり修行が必要なようです。
こんなもんわかんねぇ!!わかんなくたって別に構わねぇ!!とちゃぶ台ひっくり返したい気持ちも山々ですが、やっぱり悔しいので。

学習せねば。
この夏、怠ったもんなぁ。


読んだもの:浅田彰 『逃走論』

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2006年9月28日 (木)

スイッチ切り替え工事、終了

ぼんやりしていたら結局、何処へも行けなかった。
やるかやらないか、極端なんだな。
やる時は一気にやるし、やらない時は本当になんにもしないもんな。
いつでもどちらかだよな。そこそこやるって、出来ないな。中庸は難しいよな。
0か1だ。デジタル人間だ。オールオアナッシングだ。

ところで今日は木曜日だとばかり思っていて、実は水曜日だったということに夕方気付いた。
そういう勘違いなら大歓迎だわ。
何だか一週間が一日増えた気分。

…そろそろ、頭が働いてきても良い頃です。
いろいろなものが視界に入って来ても良い頃です。
いろいろなものに考えを巡らせる余裕が出てきても良い頃です。
放ったらかしておいたものにがっつり向き合うべき頃です。
休憩終わり。準備運動も終わり。
さぁ始めましょう、の段階です。
切り替えます。ただいま帰りました。これからよろしくお願いします。

というわけでまずは延滞に延滞を重ねた本を図書館に返しに行こう。


読んだもの:オオキトモユキ 『ひとりあそび』

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2006年9月27日 (水)

ゆるやかな回復

ぼけーっと臨時国会の中継を眺めたり、部屋を片付けたり、マンガ読んだりしていた。
ここのところ全てが超特急で、何だか全然意識が追いついていなかったのだけど、ようやく落ち着いてきた気がする。
もとのペースを取り戻した、というか。
あぁ、大丈夫だ、と思った。

…とかのほほんとしていたら、色々しくじってしまった。明日バイト入れるの忘れたり。
折角だからどこか出掛けてみようか。
そうなんだよ、実は来週からもう学校始まるんだよ。
前期で、知らないことに山ほどぶち当たって、この夏休みはその消化に充てようと思っていたのに、結局知らないことを更に増やしてしまった。
ほーんと、知らないことばっかり。
スタイリッシュアレルギーも直らないし。
変わらないなぁ。
どこかは変わったんだろうけど。


読んだもの:羽海野チカ 『ハチミツとクローバー(8)(9)(10)』

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2006年9月26日 (火)

まだ青い

ここのところずっと、勢いだけで生きていたようなものだったので、
一度空白ができると一気にずっこけてしまいます。

家族以外の誰にも会わない日というのは久しぶりだった。
誰にも会わないことで、差し迫った淋しさというものを感じるというのはそれ以上に、本当に久しぶりだった。あぁ、とうとう属したんだな、と思った。
静かだった。
今頃、片付けてるんだろうなぁとか思いを巡らせつつ、じっとしていた。
今日は家に居なさいという言葉を無視して行っちゃおうかと思ったけれど、ここで行くとそれで本当に最後になってしまう気がして、やめた。
静かだった。
そして夜になって、今頃打ち上げやってるんだろうなぁとか思いを巡らせつつ、
家族会議。大論争。
ヒートアップすると自分で自分が一体何を言っているのかわからなくなり、何が言いたかったのかもわからなくなるし、こういう場でいつも涙もろくなる性質には心底嫌気がさす。狡いと思う。
しかしどうして言い負かそうとするんだろう。言い負かすのが目的なわけじゃない、承諾を得たいのに、ケンカ腰で行ったら逆効果だろうが。そういうところがバカだ。

結局論争自体には負けたのだけど、了承は、得た。
結果オーライ?やっぱり狡いと思う。
そして親はやっぱり強いと思う。勝てないって。

これからどうなるかなんて、自分でもわからないです。


読んだもの:太宰治 『ア、秋』

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2006年9月25日 (月)

おや

小学生の時ですが、寝る前にふと、
父と母は、単に私の「保護者」という役割を持つ一人の人間であり、本当は他人でしかないんだな、
というようなことを思って、急激に大きな衝撃を受けたことがありました。それまでに感じた中で最大級の「さみしさ」でした。
おとうさんおかあさん、という自分の中での存在と、「保護者」という名の無機的な響きがどうも一致しなかったのだと思います。つながりの強度というか。なんというか。
保護者って何だよ、と思ったのですが。
同じようなことを、今再び考えています。
でも、今度は「さみしさ」ではなく、どちらかといえば「わずらわしさ」。

なんかうまくいかない。
いつもはうまくいくのに、肝心なところですれ違う。
相性が悪い、で済ませることが出来ればいいのですが。
合わないな、と感じた時点で諦めて離れてしまって済むなら楽なのですが。
それでも残るつながりがあるからそうもいかない。

本当は他人、でも、「保護者」だ。役だろうが何だろうが、保護者だ。そして私はずっと子供だ。
保護、いつまでされるんだろう。
もういいよ、保護いらないよ、と思っても、ずっと付いて回る。
勝手にやらせてくれよ、と思っても、そうもいかないらしい。
かといってずっと迷惑かけてきた負い目もあるから、家を飛び出すのはさすがに気が引ける。

親不孝だなぁとは思います。
いつも結果的に言う事聞かなくて、悪いなぁとも思います。

…東京公演楽日の日記がこれかい。

審判はまだ下されておりません。雰囲気が怖くて聞けません。
続けられるのか、否か。
何でいちいちお伺いを立てなきゃならんのだという思いもあります。
そこが甘いんだろうか。
やると言ったらやるんだ!で突っぱねればいいんだろうか。
しかし考えてみると今まで結構言う事聞かずに好きな事やってきてるんだよなぁ。
剣道部も、ボート部も、警備員も、思えば全部反対されたんだったな…。

さぁどうなるか。

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2006年9月24日 (日)

お茶漬けを食べている

朝、玄関から一歩外へ出たら、爽やかさが待ち構えていた。
空気・風・空模様、
とにかく周りじゅうから一斉に
「秋だよーーーーーーーっ!!」
と報告されたかのような、
そんな秋の陽気でした。秋そのものでした。

しかしあの乾き具合は頂けなかった。現地は埃っぽいので大いに弱りました。

今日は何か…いや止そう。過ぎたことは過ぎたこと。
明日24日は、とりあえずの最終決戦。次へつながるかどうかの勝負。
地区大会の決勝戦みたいな感じです。
これで終わらせるものか。こんな状態で終わらせるものかぁー。

眠い。寝る。

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2006年9月23日 (土)

敵は手強い

今日目が覚めたら枕元で猫が丸まって眠っておりました。
優しい気持ちで一日が始まりました。

さて、東京公演もあと2回で終了。
先月末に突如始まった「お手伝い期間」も夏休みで終わり、ということになります。
先月の出来事がずっと昔のことのように思えますが、同時に、あれからひと月が経過しているという事も、にわかに信じがたい事実です。
そこで気になるのはその後の動向です。
このままずっと続いていけるようで、そうもいかなくて。
続けていくには、それなりの決意と努力が必要なようで。
にこやかな顔で行く手をふさいでいる「両親」という存在をどうにかしなければ、ならないようで。

交渉とか説得とか、苦手だ…。
母に話術で勝てる気はしないし、父に至ってはまず会話の糸口が掴めない。
「敵」ではないんだよな。敵ではないけれど、味方のつもりなのだろうけれど、味方なのに、どうしてこうなるんだろ。
そしてこちらにもまだ不安がある今、熱意で押すにもまだ力が無い。

今日のミーティングで「続けたい」と言えたことで、気持ちに収拾が付いたようですっきりしたのだけれど、現実を考えると気が重いです。一進一退の攻防が続行中。どうなるかはわからない。なんとかなることを祈りたい。
とにかく明日と明後日で、とりあえず一区切り。
一日ずつがんばろう。一日ずつ全力を出そう。

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2006年9月22日 (金)

Turn to Bay

折角休みでも、先立つものがなければ映画にも行けない。ビデオもCDも借りられない。それどころか切符も買えないから出掛けられない。
…稼がなくては、と切迫した思いに駆られ、昨日急遽バイトを組む。

というわけで本日、久々…ほぼ一ヶ月ぶりに労働。
ケーブル工事パケット車両周辺の安全確保、つまり交通整理。
初めて行く現場で緊張しておりました。
しかも今回微妙に都会。凄い交通量の所に連れて行かれたらどうしよう!と、びびっておりました。
しかし行ってみたら、
拘束9時間のうち、実働3時間!!あとは公園で休憩!
なんだそれ!楽ちんすぎる!!
休憩の間じゅう、組んだおっちゃんと延々喋っておりました。

ところでこの2ヶ月の夏休みの間に出会った人のうち、半数以上をおっちゃんが占めているというこの事実をどうしてくれよう。余りにおっちゃん慣れし過ぎだろう自分。精神がおっちゃん色に染まっているだろう。
良いのか二度と来ない18歳の夏休みなのに!
てか、二度と来ない18歳の夏休み、という自分で打ったフレーズに自分でショックを受けております今。

でもベテランの人達は、面白い人が多い。そして喋り好きが多い。
酸いも甘いも知ってる人達だからだろうか。特に「酸い」の方を沢山知っている人達だからか。それでいて「楽しみ」を失っていないからだろうか。

このように父と同じかそれ以上の年の方との関わりが多いためか、年齢に対する感覚というものが麻痺してきて、40歳未満というと「若いじゃん!」と思ってしまう今日このごろ。
そういえば例の自民党の総裁になった人、今日喋ってたおっちゃんと同い年なんだそうで。
人生って何だろうと、頭を抱えた次第です。

思った。
このごろの窮屈さは、前向きに行こうとしていることに起因するのではないか、と。
色々、がんばって前向きに修正していこうとしているから余計複雑になっているのではないか、と。
自己分析なんてしたところで、結局何も直らないようだ。
どうしたって、まっすぐなものとか希望に満ちたものとか無邪気なものとか、そういうのはいつまでたっても苦手なままだ。
もういいよ、そのままで、いいよー

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2006年9月21日 (木)

平穏

今日はいい天気でしたね。
風はさわやかで日差しは暖かく…いや、暖かいどころでなく、暑かった。
そんな今日という日は、布団を干したり庭を掃除したりして穏やかに過ごしました。

庭で小さいとかげがちょろちょろしているのを見かけました。かわいかった。
毎年、うちの庭で大小のとかげを見かけるので、我が家に代々棲み付いているのではないかと、密かに期待しております。

ああ、スローライフ。

それからのっそり出掛けていって初演のユニコンを目の当たりにし、その余りの奔放さとエネルギーにおったまげて大笑いした。何なんだあれ。
その後みんなで連れ立って韓国料理屋へ行くも、辛いものがさっぱり駄目で更に猫舌である私はチヂミと卵焼きと枝豆しかまともに食えず、己の幼稚な舌を呪う。

明日は久しぶりに稼いできます。


読んだもの:海野十三 『海野十三敗戦日記』

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2006年9月20日 (水)

積極的で受動的

それで楽しいですか? はい
それで後悔はしていますか? いいえ
それで満足ですか? いいえ

その先どうしたいのですか? わかりません。わかるけどわかりません。
逆に聞きたい。私は其処に居ていいのですか?

其処に居ていいのか?だって。…けっ。
苛立ちます。
要請とか、命令とか、許可とか、そういうものがないと何もできないなんて。
結局何も成長していないじゃないか。

そして自分はどうしたいのか
そして自分は何がしたいのか
わかんなーい
決められなーい
へらへら笑ってお茶を濁していたーい

だけど、いつまでもそうやって誤摩化せないんだよ。
向き合えば向き合う程、見えなくなります。止まってしまいます。
なんなんだ。なんでなんだ。
ああ、にくたらしい。


見たもの:大人計画 『まとまったお金の唄』(録画)

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2006年9月19日 (火)

東京前半戦終了。

公演も5回目にもなれば、慣れというものが生じてきそうなものです。ずっと同じ事をやっているといい加減飽きてくることもありそうです。
ですが私に関して言えば、5回目にしてやっと落ち着いて台本通りの動きをすることができるようになった段階です。飽きるなんてとんでもない。
でも周りの皆さんが今回リラックスして良い意味で遊んでいたようにお見受けしたので、便乗して私も色々試みてみました。動きを微妙に変えてみたり、リアクションで声を出してみたり。
尚、化粧は今回一番まともだったという噂です。
そんな微妙な違いで誰が気付くか!とも思ったりもしますが、楽しさという点で大いに違いがあります。

こうして東京一週目が終了しました。
今日は休み。
これでもか!!というくらい眠って眠って眠って眠って起きたら小学生が下校するところでした。

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2006年9月18日 (月)

うちの金魚の話

我が家には猫1匹の他に、金魚2匹が居ります。
私が5歳の時に、隣町での秋祭りの金魚すくいですくって持ち帰ってきたものですから、家に来てから今月で14年目になります。
屋台に並ぶまでの年数を考えると、一体齢は幾つなのでしょうか。

別に大した世話もしていないし、特別な餌を与えているわけでもない。むしろ完全に放っておかれているといった方が適切な状況なのに、彼ら(性別はわからないが、多分雄と雌だと思う)は今日も生きております。淡々と。
もともとはもっと沢山居たのですが、友人宅へ分けたり死んでしまったりで、生き残っているのはその2匹のみ。

金魚にとって、15歳近い年齢とは、どうなのでしょう。やはり、老人(老魚?)なのでしょうか。犬や猫でも、10歳を過ぎれば老犬老猫の域です。
そろそろ、限界なのでしょうか。
それとも、まだまだ余裕なのでしょうか。
泳いでいるところを見る限りは、全くその心境は読めません。
魚類の心境は読めません。つらそうな魚とか、楽しそうな魚なんて、見た事がありません。
生きている、ということしかわかりません。しかし生きていることだけは確かです。
15年近くもの間、ずっと同じ場所に存在し続けて、今もそこにいるということは確かです。

猫と違ってあちこちを動き回らないし、鳴くこともしないから普段は特別気に留めることの少ない存在ではありますが、改めてよくよく眺めてみると、じわりと愛おしさが湧いてきます。
これから寒くなると水温が下がって転覆病の危険が出てきます。去年はそれで1匹がこの世を去りました。
長生きして欲しいものです。ずっと、そこに居て欲しいものです。

本日は敬老の日。

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2006年9月17日 (日)

さぁ勝負だ

本日東京公演初日。

今日もチラシを配りに公園へ勇んで行ったのですが、今日、土曜日だったんだよなぁ。
休日の公園は、平日とちょっと雰囲気が違う。どことなく、幸せなムードが漂っている。
その空気の発信源は、キャッチボール親子とかメダカ捕獲親子とかバードウォッチング夫婦とか手をつないで散歩する祖父と孫とか、とにかく正しい休日の過ごし方をしている幸せなファミリー達なのです。
そんな幸せの形が完成されている中には、どうも入りづらい。割り込みづらい。
というわけで今日は苦戦しました。
それでも、春の公演を見たというご夫婦にお会いしたりして、収穫は大いにありました。
可愛いシェットランドシープドッグとも遊んだし。

今日は高校の友人が来てくれました。
ほぐれました。ほっとしました。のびのびしました。

ところで私今回舞台に上がるということで、人生で初めて本格的な化粧というものをしているのですが、これが付け焼き刃の練習しかしていない為、正直何が何だかわかりません。殆ど塗り絵状態です。
挙げ句出来上がった顔に対して、周囲から散々苦笑されたり怖がられたりゴツいとか言われたりする事態が起こります。
鏡から目を離せば、自分の顔は自分で見えないことをいいことに、さして気にしないことにしております。
今日開演してテント入り口の前で立っていたところ、地元の祭りから帰る途中のほろ酔いのおっちゃんに話しかけられ、何故かカラオケに誘われました。
その後出番があるので丁重にお断りしました。
おっちゃんを見送り、こんなこともあるんだなぁと面白がっておりました。
暗くてこの恐ろしい顔がよく見えなかったのでしょう。そうでなければ相当のチャレンジャーです。

3日間連続本番は始まったばかり。
あと2日あります。体力勝負です。
こうしちゃいられない。寝ます。

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2006年9月16日 (土)

3歩進んで2歩下がってみたり、

2歩進んで3歩下がってみたり。
そんな日々です。
間違いもするし忘れたりするし考えが足りなかったりします。
なかなかうまくいかなかったりなんてしょっちゅうです。
それでも、ごくまれにうまくいったりするので、
それだけで結構やっていけるものです。

本日ゲネプロ。
色々あやふやだったり忘れたり手こずったりしました。
明日はしっかり役目果たして、しっかり楽しんできます。

押上の地元の皆様の人なつこさには本当に助けられているのですよ。
ああ、人っていいなぁと感じ入りました。

人といえば、
今日劇団の人に私の携帯の写真メモリを全部見られて、
「風景や動物ばっかりで人間がいないぞ!どうした!」
とやたら心配されました。

そんな時には笑うしかない。ふふふ。

おだやかな一日でした。
そう、今日は晴れていたのです。

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2006年9月15日 (金)

大吉を引く

朝起きたらまた雨だった。
今日もか!しかも勢いが増しているじゃあないか!
結局靴達は濡れたままであり、乾いた靴を探して妹が昔履いていた靴を引っ張り出して無理矢理足をねじ込んで出掛けた。
家から一歩踏み出した瞬間後悔した。
痛い。痛すぎる。
足の指が、丸まったまま動けない。しかし遅刻しそうだったのでそのまま歩き続けた。

そして押上に着いてテントの中へ一歩足を踏み入れて早々、靴内浸水。
雨水がテント内へと流れ込み、大きな水たまりになっていたのだ。
そうだよどうせ濡れるんだから、いつもの靴を濡れたまま履いてくればよかったじゃないか!と、自分のバカさ加減に笑っちゃいました。
しかしその後、雨が止んだ。
濡れずに外を歩けるというのは、すばらしいな、と幸せを噛み締めました。ただ、足が痛かったけれども。

テント設営はお昼頃には終了、その後突然チラシ配りを任命されて、「これを全部配り終わるまで帰って来ちゃいけないよ!」と、チラシの束を持って町中へ派遣される。
「このカゴいっぱいにマツユキソウを摘んで来るまで帰って来ちゃいけないよ!」
と、大晦日の吹雪の森へと送り込まれた娘の物語をふと思い出しました。
まず駅前に行ったけれど、駅前の人達はみんなせわしくてなかなか受け取ってくれない。全くうまく行かない。
愛想良く口当たり良く、瞬間瞬間で表面だけなぞって去っていくようなコミュニケーションは、非常に苦手なのです。その都度時間をかけて、がっつり向かい合いたいのです。
ここは、向いていない、と早々に場所変更。
いつも水場を使わせてもらっている付近の公園へ。
これは正解だった。
公園には、のんびりとした地元の人々が多い。受け取ってくれる率も非常に高い。興味を持ってくれる率も断然高い。話もできたし応援もされたし、手応えがありました。
しかしこの公園、ベンチに座っていたおじさん曰く元は川だった場所を親水公園にしたものなんだそうで、非常に長い。行っても行ってもまだ続く公園。果てまで行ってやろうと歩き続けたら、結局錦糸町駅も越えて行ってしまった。全て配布して引き返した後、帰りが大変だった。時間もやたらかかってしまったし、足も痛いし、参りました。
でも楽しかった。
何処まで行こうとか、何処へ行こうとか、そういう事を考える前に、足がどんどん勝手に歩いて行ってしまうのです。

そして遂に終了、解散。夕方に帰れるという奇跡。
浅草・神谷バーで遅い昼食を食べる。この前の浅草夜祭りライブから気になっていた神谷バー。念願叶いました。やっぱり良い雰囲気でした。通いたい。いつかだれかと飲みたいデンキブラン。
その後上野へ。
動物園はもう入園時間を過ぎており、外をうろうろして雰囲気のみ懐かしんだ。
上野東照宮へ行ってお参りして、おなじみのおみくじを引く。

大吉を引く

大吉!!
しかも1番。
おみくじのおじさんに「珍しいねぇ」と言われた。
がんばりなさい、って事か!
ものすごく、ものすごく嬉しかった。色々吹っ切れた。
私、単純なので。

その後中野タコシェへ。長々居座る。
長々居座った末見つけた『にやにや笑う』というミニコミ雑誌に何やら強烈に惹き付けられ、創刊号から3冊買って帰る。帰って読む。
創刊号の企画が、文藝春秋を創刊した菊池寛の墓参り。
何だそりゃ。
何だそりゃ、と思うけれど、これが面白い。馬鹿馬鹿しさの勢いというか。勢いにやられた。
斜に構えているようで、直球だ。ふざけているような文体だが、言っている事はこの上なく本気だ(と思う)。本気で遊ぼうとしている人達の文章だ(と思う)。
面白い。何だこれ。悔しい。

形式とか技術とかを気にする余り完全に足止め食らっている自分がいるので、余計に悔しい。
今みたいなおっかなびっくりでは、勢いが無いよ。勢いが。

頑張ります。
頑張っちゃいます。
大吉出たし。

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2006年9月14日 (木)

光を見せて

大変です。
靴が、明日履く靴がもうありません。昨日履いて濡らした靴がまだ乾かない!
応急処置として新聞紙丸めて突っ込んでおきましたが、どうなることやら。
相変わらずの雨ですよ。この寒さですよ。本当にどうにかして下さい。

何が良くないって、末端が冷えるのが良くないと思うのですよ。
靴に浸水し、靴下が濡れて冷える。
濡れた軍手で手がこの上なく冷たくなる。
テンションの低下に直結します。
口を開くのも億劫になります。耳も遠くなります。
誤って左手の親指の爪を金槌でしたたか打ち付けてしまいました。痛い。
それもこれもきっとこの雨が原因です。

ああ、お天道様が見たい。

今日久しぶりに、マクドナルドのハンバーガーを2つ買って、重ねて偽ビッグマックにして食べました。
しかし全然足りなかった…
明日はもっと暖かくておいしいものを食べたいと思います。

冷えきった身体と擦り減った精神に、今こそまともな食事を与えよう!!
食べ物と睡眠の量及び質は、明らかにその日のパワーに大きな影響を与えます。さしずめ燃料です。おろそかにできません。


読んだもの:サキ 『肥った牝牛』

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2006年9月13日 (水)

あめ、アメ、雨

テント建ての日に雨は弱ります。
横浜の時も雨でした。しかし今日はずーっと降り続けたのでより厄介でした。寒いし。
みんなで缶コーヒー(私は缶コーンスープ)飲んであたたまったりして今日の一日を闘いました。

こうして東京公演の場所である押上入り。
新東京タワーの建設予定地(今はまだ空き地)にて、テント設営。
押上。下町。隅田川近く。心弾みます。
空には鵜が飛んでいました。心躍ります。

横浜公演で居た旧帝蚕倉庫跡地自体はとってもナイスな場所でしたが、その周囲のみなとみらいの雰囲気に私はどうも馴染めませんでした。なにやら小ぎれいで、どこまでも平坦で、どこまでもきっちりきっちり区画整理されていて、いかにも「ザ☆埋立地」っていう感じがどうもダメでした。なんか、つまらんなぁと。
チラシ折り込みに訪れたランドマークタワーを真下から見上げた時にゃあはしゃいだけどね。
帆船日本丸を見つけてしげしげと眺めていたけどね。

かたやこちらは非常に落ち着きます。馴染む。
…しかし、いくら好きな場所とはいえこの天候が続くのはキツいものがある。
明日もどうやら雨らしい。これから雨が続くらしい。
秋だものね。仕方無いね。
風邪をひきませぬよう。暖かくしていきましょう。


読んだ本: サキ 『二十日鼠』『平和的玩具』

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2006年9月12日 (火)

忙しさに〜負けた〜

忙しさに、負けている気がするんですよ。
「あ〜忙しい忙しい!」とか言いながらもどこかそんな忙しさに満足しているような状況は、間違いなく忙しさに負けているんだと思うんですよ。
忙しさに騙されちゃいけない、忙しいだけじゃダメだって、再三注意してるのにさ。

実際マズいんだ。
映画なんて、夏休み中に見ようと思っていたもののうち、数%しか消化できていない。本にしても然り。気付けばもう9月も中盤。
雑誌本当にどうしよう。
今のままでは、とてもとても「情報」を発信する立場に立てる気がしない。
忙しかろうが何だろうが、やる事はやらねばならぬと思うのですよ。
結局、忙しさに流されて終わりかよ!っていうのが癪なんだよな。
流されるのも、確かに楽しいけれど。

やはり昨夜は修羅場だったようだ。雷雨。今日の朝行ったらテント番の皆様揃って憔悴しておりました。
お昼休憩の時、みんなの後をひょいひょい付いて行ったらおいしいサバの味噌煮にありつけました。
今日の作業で全てテントやセット等を畳んで大型トラック2台に積み込み、次の地へ向かう。
明日から東京公演の場所である押上入りです。

と、同時に自宅からの移動距離は断然短縮されます。
上野も近い。浅草も近い。
さて何をしようかな。何ができるかな。
怒濤の日々はまだまだ続きますが、馴染んだ場所だと何だかほっとします。

上野と言えば、もうそろそろ上野動物園の年間パスポート(3年目)の期間が終わってしまう。
4年目突入か…。


読んだ本: リリー・フランキー 『日本のみなさんさようなら』

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2006年9月11日 (月)

そこはかとなく青

今日はちゃんと帰宅しました。
何だか昨日の事ですっかり意気消沈です。ブルー。
ところで今現在こちらではこんな真夜中に盛大に雷が鳴り響いてるんですけど、どうしちゃったんでしょうか。もう秋なのに。

そんな感じです。もう何だかやけっぱちな文面ですみません。
明日はもうテント畳んで次の場所、押上へ移動を開始するのでしょうか。
さすらいの隊商みたいで何だか良いですね。

こちら現在地響きと共に雷が鳴っております。そして土砂降り。
横浜も同じなんだろうか。テントとか楽屋とか大丈夫だろうか。
遠い埼玉の空から思いを馳せつつ、懐かしの我が家にて眠ります。

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2006年9月10日 (日)

ワケあって携帯から失礼

テントという完全に密閉された空間内では、空気の密度が濃いように思われます。
その濃度が演劇自体に作用することは素晴らしいのです。まさにテント公演の醍醐味と言えましょう。が、
しかし同時に温度も湿度も上がりやすいという如何ともしがたい欠点もあり、昨日はお世辞にも過ごしやすいとは言えない環境でお客様をお迎えすることになりました。客席斜めだし。
その事もあってか開演開始当初は場内の空気の堅さにやきもきしておりましたが次第に盛り上がり、最終的には大いに評判もよく素晴らしい初日を終えることができました。
めでたしめでたし、
と言いたいところですが、残念ながらそれで終わりはしなかった…

私はその後の宴会で、お客さんに勧められるままに麦酒をハイペースで摂取していたところ早々に酔い潰れ、以降記憶がまばら。頭の中ぐるぐるして足元もふらつき終電を逃したことに気づきつつも何も出来ずに楽屋で眠りに落ちていたら右手の人差し指の上を芋虫が這っていた。
その後どなたかのバイクの後ろに乗せて頂いてどなたかのお家に運び込まれて…

という感じでした。大事な時に四方八方に迷惑かけてしまいました。

ああ、最悪。
最も悪いと書いて最悪。読んで字の如く。


(9月11日改行、一部修正)

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2006年9月 9日 (土)

いよいよです。

本日ゲネプロ。
ひょんなことから始まった演劇&その他諸々の怒濤の修行ライフがゴゴゴゴゴゴと音を立ててジェットコースターばりのスピードで過ぎて行き、
息をつく暇も無く、あっという間に明日(いや、既に日付は変わっているのでもう今日か!)からいよいよ横浜公演です。そうみたいです。

早っ

その余りの実感の無さと共に、緊張感も未だうすぼんやりとしておりますが、
大体、このままリラックスした状態が直前まで続き、開始10分前ぐらいになって、それまでの分が一気に噴出する、といういつものパターンがございます故、油断なりません。

とにかく行ってきます。
尚、現在非常に楽しい、という事を記しておきます。

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2006年9月 8日 (金)

第二の持病について

私の持病といえば、まず筆頭に挙げられるのが腰痛ですが、他にそれと同じくらい困った持病が一つあります。

モノや人の名前を呼び間違えること。

高校の部活の時には、「おらん」「ともえ」という呼び名の後輩二人をよく呼び間違いました。
勘違いなどではないのです。私は「おらん」と呼んだつもりなのに、私が口を開け音が空気を震わせた瞬間、空中へ投げ出された言葉はなぜか「ともえ」なのです。不思議ですねぇ。
レースの応援の際、大声を張り上げて漕手の名を呼び間違うという失態をやらかしたりもしました。

モノであれば、受験勉強の時に、「くつした」と「けしごむ」をしばしば呼び間違いました。
突然隣りの机に居る友人に「ごめん、靴下貸してくれる?」
と尋ね、困惑させたのは一度や二度ではありません。

どうやら、字数が一致するとそれだけで危ないらしいです。

そして今日、「まえださん」と「あだちさん」を呼び間違いました。
周りの人達はただの呼び間違いだと思って、何も気に留めなかったと思うのですが、こういう持病があることを自覚している私は、間違いに気付いた直後、いや〜な予感に包まれたのでした。
なかなか直らないんだよなぁ…これ。

未だに「おらん」と「ともえ」は、咄嗟になると自信が無いし、
「けしごむ」と「くつした」はかなり長い間間違い続けていたし。
…まずいなぁ。このまま間違い続けるとまずいなぁ。

「おらん」が「ともえ」でないということはわかっている。
「消しゴム」と「靴下」は全く違うモノであることもわかっている。
なのに呼び間違う。入れ違える。
頭では正しく認識しているのに、声に出すといつの間にか変わっている!
どうしたもんだろう。

ところで最近絶好調です。
放っておくと鼻歌なんて出てきます。

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2006年9月 7日 (木)

お元気ですか。

その後お元気ですか。私は元気です。

本の中で目にした時、その文字列の成す意味が全く分からず、戯れに辞書を引いたら載っていて、これ、言葉だったのか!と驚く、
という最近の例として、感嘆の「すわ」があります。
これって死語だと思うんですけどどうでしょう。
「そら」「ほら」「さぁ」「あっ」と大体同じ意味らしいのです。
例文:すわ一大事
私は18年間の人生の中で一度も使った事がありませんでした。
今度使ってみようかと思っています。

ところでここのところ生傷が絶えません。特に膝から下。
作業中に半ズボンばっかりはいているのが悪いのですが、蚊の襲来を受けたり、その痕を掻きむしって血を出したり、あちこちぶつけて何だか痣だらけだったり、足の小指の端を角にしたたか打って痛かったり。等々。
その上、先程階段で見事にすってんころりんして更に傷を増やしました。
それらの痕跡が現在にぎやかに両脚を彩っており、非常に醜い状態と相成っております。
この状態でスカート履いて舞台に立つのかと思うと、(…今初めてその事に気付いたのですが)、気分が重くなります。
そこで、我が家秘伝のヨードチンキを無数の傷口に綿棒で塗っておりました。
染みる痛みと共に、更に脚全体が濁った黄色のまだら模様に彩られてしまいました。なんともグロテスクです。
早く治れ〜。

ここのところ、無性にドッヂボールがしたいです。
「一人でやってなさい」と言われたのですが、ドッヂボールは一人では出来ないのです。
テニスなら壁打ちとか、サッカーならリフティングとか、野球なら素振りとか、大体1人でもどうにか出来るものですが、ドッヂボールはそういうの無いもんなぁ。2人でも出来ないものなぁ。
最低、10人は欲しいな。
猛烈に投げたい。がっしと受けたい。ひょいひょい逃げ回りたい。
追い込まれて、狙いを定められて、集中的に浴びせられる球から逃げる時のあのスリルを久しぶりに味わいたくなったのです。
楽しいよね、ドッヂボールは。

あと、昼寝っていいですね。
ほんの20分でも効果てきめんです。
お試しあれ。

今日はだいたいそんな感じでした。

何だか急に肌寒くなってきましたが、風邪などひかぬようお気をつけ下さいね。
それでは、また。

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2006年9月 6日 (水)

楽しむ決意

余裕の無さとか、眠気とか、張りつめている精神とか、
そういうものの中であっぷあっぷになっているように思う。
相変わらず何もかもがわからない中で、ヘマをしちゃいけない、邪魔しちゃいけない、貢献しなきゃいけない、
考えなきゃ考えなきゃ、っていう状況になっているように思う。
それでもやっぱりわからないから、何をするにも、自分の今の行動は間違っていないかどうか?今手持ち無沙汰でいる自分は間違っていないかどうか?
と、いつも頭上にはでっかいクエスチョンマークをぷかぷかと浮かべている。
きっと、見える人には見えていると思う。常に付いて回る、巨大疑問符。

そんな中で、どんどん、スケールというか、自分がちっちゃくなっているようで。
それは、ちがうだろう!と危惧する。

楽しいとは何か。
ということを、全くもって忘れていた。
付いて行くのに精一杯で、覚えることに精一杯で、楽しいかどうかなんて、二の次三の次になっていた。
それは、ちがうんだよ。
取り巻く状況にあたふたして、あれこれ不安に嘆いているよりも、もっと、軽く、それでいて、でーんと、構えねばならぬのではないか。
自分が楽しまないことには、周りも楽しめない。
ワタクシ、苦労してるんですー!!っていう空気を醸したところで、誰も喜ばない。むしろ迷惑。

楽しんだ者勝ちっていうじゃないか。
勝ち負けとかよくわからんけども、とにかく、何だか今は自分で自分の首を絞めているよ。
昨日の帆村探偵の言葉にもあったじゃあないか。

…よし、寝よう。


読んだもの: 海野十三 『断層顔』

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2006年9月 5日 (火)

引用のみにて失礼

「とりこし苦労はよくないのさ。ぶつかったときに、対策を考えるぐらいでいいのだ。一寸さきは闇というたとえがある。先のところはどうなるかわからないんだから、それを悪くなった場合ばかり考えて、びくびくしているのは、神経衰弱をじぶんで起こすようなもので、ためにはならないよ」
(海野十三『怪星ガン』より)

読んだもの:海野十三 『怪星ガン』

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2006年9月 4日 (月)

至福のとき

昔(10年ぐらい前?)見た映画『学校2』の中で、
「寝る前が一番極楽だ」
みたいな台詞が出てきたと思うのですが(調理場の下っ端として働く先輩の言葉だったはず)、

本当に、その通りだと思います。

ということを、今ふと思い出しました。
寝たからって別に疲れが全快するわけでもないのにね。
寝て起きたらまた怒濤の一日が始まるということはわかっているのにね。

それでも、例え数時間しか眠れないことがわかっていても、
自分の布団に入ってから眠りにつくまでのひとときは幸せです。極楽です。
こればかりは、なにものにも代え難い。

いつでも許されれば、すぐに眠れます。どこでも眠れます。
電車で立ったままでも眠れます。大学構内の路上で横になっても眠れます。脚立に凭れ掛かって眠れます。
だけどやっぱり、夜、自分の布団で眠る睡眠が一番だ。
もはや、安眠は立派な娯楽です。
安眠っていい言葉だね。響きがいい。

ぐっすり眠ってまた明日もがんばろう。


読んだもの:
   海野十三 
     『恐竜艇の冒険』
     『予報省告示』
     『三十年後の世界』

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2006年9月 3日 (日)

500円玉の存在感について

ここ半月以上、「お買い物」というものをしていないにも関わらず、慢性的に金欠です。
そして出費のほとんどが食費によって占められていることは明白です。全然家で食べてないもんなぁ。

5千円札がくずれたら最後もう後は残っていないと思え、というのが金銭に関するちょっとした教訓なのですが(あとはあれよあれよという間に無くなっていってしまうから)、手元に残っていた最後の5千円札と別れてから久しい最近では、新たに500円玉の存在感について思うところがあります。500円玉の偉大さについて。
どんなにピンチだろうと、財布の中に500円玉があると、何だか安心します。こいつがいるからまだ大丈夫だ!と思えます。
しかし100円玉5つでは、その威厳は小さくなってしまいます。やはり500円玉でないといけません。
500円玉のあの大きさといい、重みといい、光沢といい、何ともありがたみがあるじゃあありませんか。何でも買えるような気に、なるじゃあありませんか。お札よりも、持っていて何だか心強いじゃあありませんか。

しかしながら、500円玉がくずれた後は、もう一気に現実に引き戻されるわけです。そうだ、私、金欠だったんだ!と。そして所持金が500円を切った後の世界は何ともシビアです。
そういう意味で、500円玉は最後の砦と言えるでしょう。
あぁ、私は500円玉のような人間になりたいわ、と思います。

終電が行ってしまった後のホームにぽつんと取り残されて、そんなことを思っておりました。

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2006年9月 2日 (土)

作戦は見事に失敗しました。

このごろは、ブログ書いている時間が、すっかり「自分に喝を入れる」もしくは「自分を励ます」時間と化しているようで、どうもいやですね。何なんだ。何なんだ。
下らないことで楽しみながらのうのうと暮らしていた頃をふと懐かしみたくなります。

というわけで昨日必死で自分を奮い立たせていたわけですが、
そんな事言ったって疲れてるもんは疲れてるんだ!とばかりに、本日、日中は眠りこけておりました。
今日は同窓会があるということで一応お休みを頂いてはいたのですが、この同窓会、夕方からではないですか。
行く気になれば大学、行けたじゃないですか。集合から2時間位なら居られたじゃないですか。
その努力を放棄して、同窓会始まる直前まで(午後5時ぐらいまで)延々眠り続けていたわけですから、これは、ひょっとすると、ひょっとしなくても、サボりなんじゃないか!?という疑惑が浮上しております。
でもねぇ。精神がそうでもね。身体が言う事を聞かなかったね。はっ!肉体の反乱。

その後起き出して、いそいそと同窓会へ行く。
やっぱり楽しかった。
なんて私は友人に恵まれているんだろう!と、幸せを噛み締めておりました。
気力を補給させてもらいました。
これでまた明日から戦えます。


読んだもの:
   海野十三 『透明猫』 『海底都市』
   河原和音 『先生!(1)(2)』
   しりあがり寿 『ファンタジー、おじさんをつつむ。』

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2006年9月 1日 (金)

強がりで強くなる作戦

忙しいだけではダメなんだ。
忙しいだけで満足してはいけない。
私は今充実している。私は今忙しい。私は今疲れている。
それだけでいっぱいいっぱいになってしまいがちだけれど、それだけでは何にもならない。
いっぱいいっぱいになることをむしろ奨励されがちだけれど、それだけでは、駄目なんだ。
日々の充実とか。忙しさとか。疲労とか。
そんなのは、あんまり重要じゃない。重要なことは、もっと他のところに、先のところにある。
そういうことを、つい忘れてしまいそうになる。
「自分は今がんばっている」と、思ってしまいそうになる。
あぶない。
そう思った瞬間、全ては止まる。そこで止まる。

”がんばることは当たり前。
それどころかがんばるという実体不明の言葉に逃げ込んではいけません。”
(昔の教え)

苦労している=がんばっている=安心
という、貧しい考えに嵌まってはいけない。
それでは結局何も残せない。自己満足だけしか残らない。
きっとそういう人に限って、後々になって、あの頃は頑張ってたよなぁ〜なんて、回顧するのです。ノスタルジーに浸ってしまうのです。そういうのはやだ。

そういうのは、去年で終わりにしようと決意した。
ひょうひょうといきたい。軽やかに。


読んだ本: 
   鶴見俊輔 上野千鶴子 小熊英二
      『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』

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