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2006年8月31日 (木)

努力を要する

今日は唐さんを招いての通し稽古。

作業の前に稽古後の宴会の用意をする。
茎付きショウガの塊をぱきぱきと茎1本ずつになるように割り、包丁で根の表面に細かい切り込みを入れて、そのまま醤油なみなみ注がれたボールの中へと突っ込む。
そして漬け込むこと数時間。これで美味なるものが出来る。

芝居に関しては、自分の事だけでいっぱいいっぱいな手探り状態なので、全体がうまくいったかそうでないかの判断など出来る筈も無い。今日もまた手応えも何の実感も無く、得体の知れない疲労のみ残った。
実際どうなんだ。まだ全然、固まってないんだよなぁ。あやふやなことが多すぎる。

そして宴会に突入(出来上がったショウガの醤油漬けは本当においしかった)。
日々の積み重ねで、少しずつウチトケラレテいたように思っていたのだけれど、今日ばかりは本当に、アウェイ感どころか、場違い感に打ちひしがれていた。
唐十郎その人を目の前にして、話を聞いて歌を聞いているうちに、どんどんその場の雰囲気に圧倒されていき、ふと、何で自分この場に居るんだろ?自分の居るこの場とは一体何なんだ?
という切迫した疑問に取り憑かれて、それをとりあえず振り払うがごとく、初めてまともに口にする麦酒を何杯もあおり、静かに酔いつぶれた。ふわふわしていた。

つぶれた後は、またささやかな闘志が湧き上がってくるものです。湧き上がってくれ。
ここのところの狭量さも甘えも不安も、全部どっかへやってくれ。頼む!

または、そういうマイナス要素も全部まとめて抱え込んでも尚、前に進めるような力が欲しい。
…そうするしかないんだよな。

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2006年8月30日 (水)

早い早い

どんな体勢で寝ていたのか、朝から妙な筋肉痛に襲われ、
呼吸をする際に背中に痛みが走るという困った事態になっておりました。
そんな日でした。

横浜駅から大学まで歩いていけるだろうかと実験してみたところ、見事に道を間違った。
今ともなれば、どうやら私は十字路やT字路に出くわすと右へ右へ進みたがる傾向があるようだぞ、と、冷静に分析することができるわけですが。
それでも迷子な雰囲気を察知するレーダーが割と早めに作動して、すぐに引き返しました。いやぁ進歩進歩。
そして結局バスに乗る。バスも結構行き先怪しかったけれど無事到着して良かったです。

今日は全体の通し稽古だったわけなのですが、何かあっという間だった。
3幕という長丁場ではあるのだけれど、最初から最後まで一気に駆け抜けている感がある。一つ一つの流れを必死に追って行って、おぉっと!ここでもう終しまいか!という感じ。
濃いんだな。濃いんだ。
私が参加し初めてもう一週間以上経過していることにも驚く。
全てが目まぐるしく過ぎて行きます。飛んで行きます。
早い早い。
あと今日は、終電に乗って、一瞬気が抜けたと思ったら、ふと目を覚ますと地元駅に着いていた!という不思議体験もしました。瞬間移動のようでした。

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2006年8月29日 (火)

不思議なことに

疲れは日々堆積されているはずなのですが、
何故か日に日に身体が軽くなってきています。
終電に乗るために学校から駅までダッシュしている時、つくづく思います。
ここのところ毎日、ギリギリまで学校に居て、その分を駅まで走ることによって取り返す、という作戦を採っているのですが、その所要時間がどんどん短縮されています。
今日の走りは特に軽快でした。
東通用門から三ツ沢上町駅まで(普通に歩いて約20分)、7分で到着。と言ってもどんな状態なのかわからないと思いますが、とにかく速いのです、ということにしておいて下さい。
ボート部引退以降散々鈍っていた身体が、次第に動くようになってきたのでしょうか。
そうだったらいいな。

今日の夕食休憩中、携帯をいじっていたら、

ホフディラン復活

の字面が目に飛び込んできました。
その瞬間、私は一言
「マ」
と叫んでテントを飛び出したのでした。
ちなみに「マ」とは「マジで?」の「マ」です。
そしてその復活の場である野音ライブに居合わせるためのチケットを、私は既に入手済みである!という事に気付き、頬が緩むのを止められませんでした。
これでもう私は何だってできるぞ!!と確信したものでした。単純なので。
東京公演が終わった後の日程であるとはいえ、実際行けるかどうかは微妙なところだぞ、とはわかっていても、嬉しかったなあ。そうかぁ。復活か。

この前上野東照宮で引いたおみくじの『末吉』。
その『末吉』期間が、そろそろ終わろうとしているのでしょうか。
そうだったらいいな。

芝居は、今日でラストまでの通し稽古が終了し、全容を掴んで俄然やる気が上昇しています。
まだまだ直さなければならない事に満ち満ちている状態ですが、今の段階で非常にわくわくしております。

頭は重いが、精神と身体は非常に軽やか。
いいことだ。

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2006年8月28日 (月)

少女っぽさをどうするんだ

なにげにちょこちょことある私の出番の中で、ひとつ「少女っぽい」役柄があるのですが、
これには日々、悩まされております。
…少女。
通常の私からは余りにかけ離れた言葉であります。
思えば私の少女時代は小4で終わりました。あの時、声変わりをしてしまったのがマズかった。
そしてそれまで三つ編みをしていた髪をばっさりと切り、キュロットスカートを半ズボンに履き替え、以来どんどんメンズライクな方向へ進み続け、今に至ります。
その弊害が今になって生じるとは思わなかった。少女って何だ!と、いちいちうろたえております。

まず、衣装探しからして難航。おおよそのものはあらかじめ用意して下さっているので、自ら用意するものなどほんのわずかしかないにも関わらず、これが見つからない。
手持ちの衣服の中には、そういった要素を持つものは皆無。

タンスの前でおろおろしていたところ、起きてきた妹が面白がって彼女の衣服を提供してくれました。
このままいけば一生着ることの無かったであろう、レースだのリボンだのピンクだの、そういう衣服をおそるおそる試着してみる。違和感をバリバリと感じ、提供主である妹にもヘンだの気持ち悪いだの散々言われる。
それでも何だか妹は乗り気で、他にも色々出して来たり、試行錯誤をしてくれました。
妹が少女でよかったです。
最終的に母まで乗り出して、何だか衣装探しというより、その場に乗じて何とかして私にフェミニンな衣服を着せようという催し物になっていた気がします。
そんな真夜中の過ごし方をしておりました。眠いのに。

衣服が揃っても、また次の演技の段階で困るのは、リアクションができないことです。
普段、非常に反応が薄い。
驚いてもわぁだのきゃあだの言えない。驚けば驚く程、押し黙ってしまう。
思い起こせば、転びそうになった時、ジェットコースターに乗っている時、衝撃の事実を知らされた時、リスザルが頭の上に乗って来た時、全て平然としておりました。
いえ、内心では嵐のような動揺が巻き起こっていたのです。反応として表面に現れないだけで。
でもそれでは困るのです。動揺を内心だけで消化してしまえば、演劇として成立しないではありませんか。
そして、ごくたまに咄嗟に発せられる声といえば、
「げげっ」
…そりゃあ…少女じゃないよ。

どうすれば「きゃあ」とか言えるのかな。
どうしても「ぎゃあ」とか「げ」とか、どうも濁点が付いてしまうんだよなぁ。
濁点は、少女っぽくない。濁点は。

どうなることやら。どうにかします。

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2006年8月27日 (日)

いいかげんライフ

今に始まったことでもないのだけれど、
ここのところいよいよ生きることにいいかげんになっている気がする。
食生活、睡眠時間、そういう基本的なことに本当に適当になってきている。
それで何とかなっちゃうのをいいことに、また更にいいかげんになってきている、と思う。

1日3食きちんと摂りなさい、
1日30品目食べなさい、
一口30回噛みなさい、
そういう教えはもうとっくに忘れてしまった。ってか今書いてみて、その字面を懐かしんだ。
限界まで来たら食べる、飲む、動く、限界まで来たら食べる、飲む、その繰り返し。
もはや燃料だな。とりあえず入れておけ状態。
今日久しぶりに噛みごたえのあるもの(フランスパンもどき)を食べたら、顎が痛くなった。

睡眠も、家で寝ている時間と電車の中で寝ている時間がほぼ等しい状態だもんなぁ。ま、私は家で寝られているだけ幸せなのですけれどもね。

朝家を出て大学へ向かい、それから終電までの間テント内に居続ける、という生活を一週間続けてみて、時間感覚とか曜日感覚とかが麻痺してきた。
食べられる時に食べる、寝られる時に寝る、ということになったのも影響していると思われる。
今日が土曜日だということに気付かず、平日のつもりで電車に乗ろうとしたら休日ダイヤで予定の電車が来ず、おったまげた。

おう。
地に足を付けて、ずっしりと生きていきたいものです。
へろへろではいけない。へろへろでは。ずっしり構えていないと。
公演へ向けてさらにさらに加速していくであろう周囲の勢いに付いて行けるだけの心意気はいつでもキープしておかないと。

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2006年8月26日 (土)

蓄積していけ

周りが慌ただしそうに動いている中、自分だけ何すれば良いのかわからずに手持ち無沙汰でうろうろしている時というのは、何とも自分がいまいましくなったりするものですが。
仕事を与えられて、やっと安心してその場に存在することができるという状態なのですが。

何かね。そこはかとなく漂うアウェイ感とかね。自分別に居なくていいじゃんっていう寂しさとかね。
確かにあるさ。いつでもあるさ。
でもこればっかりは耐えるしかない。
全く未知の世界に突然飛び込んだのだから、アウェイ感を感じるのは当然だし。
ほんの最近まで自分が居なかった場なのだから、自分が居なくても機能するのは当然だし。
ただでさえそれぞれの仕事で手一杯の中、何もわからぬ初心者に構っている暇は無いだろうし。
ちょっと考えればわかることだ。
そういうことでいちいちくよくよしているのは、何ともつまらぬことです。つまりは甘ったれです。

耐えて、蓄積されていくのを待つしかない。
良く思われようとか、気に入られようとか、劇的な変化を望んでいては必ず行き詰まる。疲れるだけだし、結局凹むのは自分だ。
ここは流れに任せて、気長に構えるに限る。少しずつだけれども、積み重なっているものはあるはず。
現に、毎日少しずつだけれども、出番や仕事が増えてきている。

…と、思っていたところ、余りに無愛想すぎたらしく、掃除のおばさんからクレームがついたようだ。
「おばちゃんには愛想良くね」とお達しが出た。反省。
ただでさえ怖い目つきが、目の下のクマの出現によってより鋭くなっている模様です。

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2006年8月25日 (金)

なんだかすごいや

連日連夜の作業、もちろん体力を使う。気力も使う。
その場その場の判断力も要る。機転を利かせる必要がある。
手先の器用さも要る。交渉力も要る。技術も要る。根気も要る。
それに加えて演技力だ…。

何だかもう本当…フル回転だなぁと思う。総合競技。
皆さん既にファイターです。顔が違う。
私が毎日終電だと言っても、他の人達は毎日朝まで作業しているんだものなぁ。
恐れ入ります。

今日もギリギリまで居て、終電に乗り込むために駅まで全力疾走。
途中、あぁもう動けないよ〜とか思ったけれど、追い込まれれば何でもできてしまうものです。
体力だけは、頼りになる。
ってか、私の場合頼りになるのは、体力だけだな。

疲れているというのと、元気であるというのは、反意語ではないんだなぁということをぼんやりと思った。
疲れていても、元気なんだよな。気持ちの上では。
元気でない時は、疲れていようがなかろうが、元気でないんだよな。
気の持ちようで、ある程度の疲労は弾き返せる。気がする。そういう作戦で、消耗をごまかしごまかし、やっています。

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2006年8月24日 (木)

大丈夫だ。

今日はやっと貢献できた、ような気がする。どうだろ。
作業はだいたい色塗り。
薮の中でカラースプレーを使っていたら、一斉に蚊の襲撃を受けた。
私のスプレー技術がどうしようもないレベルであることは、高校時代、オール(櫂)を塗った時に証明済みだったので、非常に緊張した。どうにかなった、と祈りたい。
なんだか指示待ちばっかりで情けないなぁとは思うけれど、勝手に動けないし。下手な事できないし。邪魔しちゃ悪いし。
という考えが先行して、どうもだめだね。

暇なときは、何もしていない自分に焦るし、
忙しいときは忙しいときで、それだけでいっぱいいっぱいになりそうな自分に焦るし。
今は、飛び込んだ先の慌ただしさに足を完全に掬われてしまったようで、自分がかっさらわれてしまったようで、正直、なんだかとても心細い。

この先どうなってしまんだろうとか、今まで関わっていた企画から外されてしまうんじゃなかろうかとか、自分今どういう立場に置かれているんだろうとか、”手伝い”に来ている筈なのに全く役に立っていない現状とか、他の人達はもっと過酷なことやってるのに情けないとか、…延々。

今は確かに充実している、充実の極みなのに、なぜかそれを素直に謳歌できない面があって。
何だかそういう不安要素に取り囲まれて、隔離されちゃってるんだよなぁ。
狭い狭いところに追い込まれて、不安しか見えなくなって、どんどんわけがわからなくなるんだよなぁ。
…こういうことは、前にもあった。

何の決意も無いまま始まってしまったからいけないんだろうなとか、思うけれど。
何もかも中途半端で最悪だな自分とか、よく思うけれど。

ここで落ち込むともっとやられるので、落ち込むのはこれでやめにしよう。

もっと広い気持ちで!
よくなる。よくなる。大丈夫。


…以上、完全にモノローグでした。
吐き出しました。こんなものに付き合わせてしまってすみません。
今日も含めてここ数日、終電で帰ったり終電逃したりしているので、パソコン点けるのも面倒だったのですが。
毎日更新も、ここまでくると意地です。でもこれじゃなぁ。

あらゆる人達に助けられております。ありがとうございます。

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2006年8月23日 (水)

自分で作るということ

午前中は、公演場所付近の住宅へのチラシ投函。近隣住民の皆様へ挨拶。
最初、名乗った時点で何かの勧誘に間違えられ、閉め出されてくじけかけた。
でもその後、散歩中のおじいさんに話しかけられたり、おばさんにアドバイスしてもらったり、怖そうな印象だったマンションの管理人さんに「で、どういうお芝居なの?」と帰り際に尋ねられたりして嬉しかった。…単純なので。

そして午後から夜にかけて稽古。
初めて自分の役や台詞や出番というものが判明。
舞台上では、意識していようがしていまいが、全ての動作に意味が付いてしまうということに、焦った。交通整理の時もそうだけれども、こちらの方は段違いに複雑。半歩の動きとか、タイミングとか、そういうの全部、考えて動く。
うーん。難しい。

作ろうと思えば、自力で何でも作れてしまうんだなぁ、というのが、ここ数日の発見です。
自力で何でも作れるような人になりたい。
まずは、自ら作ろうとすることが必要なんだろうと思う。
受け身のままでは、結局何も作れないんだよな…。

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2006年8月22日 (火)

手伝い…?

まともに一日作業に入ったのは今日が初めて。
わけがわからないまま作業場へ向かい、わけがわからないまま作業開始。
未だ自分の置かれている状況というものを掴めていない!
テント設営とか。小道具作りとか。色々地道な作業をしておりました。

…己の不器用さを改めて思い知った。
これでも小4の時は手芸クラブ所属でした。しかし、フェルトのマスコットを一つ作るのに一年間かかりました。
中2の時の技術の授業で作った本棚は、板の長さがちぐはぐで隙間だらけ、てんで使い物になりませんでした。
あれ以来、手先を使う作業というものから暫く離れていたので忘れていたのですが、思い返せば相当、酷いです。

手伝いに来たんだよなぁ?むしろいない方が良くないか?
という疑問をどうにかねじ伏せて、どうにかやっておりました。
ただ、一日中、おろおろしておりました。
右も左もわからない状態。
一刻も早く、手伝えるようにがんばらねば。プラスの効果を及ぼさなければ。

これでいっぱいいっぱいになってはマズいんだよなぁ、と思いつつ。何とかやっております。

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2006年8月21日 (月)

ありがとうございます、に苦しむ(相変わらず)

今日は労働。駐車場出口で車両の誘導。歩行者の保護。
本日は特に何も無かった。平穏。
敢えて言うならば、午後、気持ち悪くなった。高温の場所に置いていた昼ごはんが怪しいと踏んでいる。

あと、相変わらず「ありがとうございます」が言えない。
「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」10音全部はっきりと言えない。
どこかしら消える。どこかしらつながる。どこかしら別の音に変わる。
今日、その言葉を何百回と繰り返していたと思うのだけれど、ちゃんと言えたのはそのうち5回くらいかしら。
駄目だなあ。「りが」がうまく言えないんだ。
こちらが「ありがとうございます」と言ってるつもりでも、相手は全く違う言葉に受け取ってしまっていたらどうしよう、と心配した。
自分で自分が発する言葉を聞いていても、悲しいことに「ありがとうございます」には聞こえない。
発する言葉をそのまま文字化してみれば、せいぜい「あらーとーらいまーす」とか、「ありゃーおーあいまーす」とか、とりあえずわけがわからない。
駐車場の出口で交通整理の警備員が言う言葉、という前提があるからこそ、曖昧な音声でも、それが「ありがとうございます」であると受け取ってくれていたのだろうと思う。
ありがとうございます、だけに限ったことでもなさそうだ。
私は滑舌が悪いので、普段喋っている言葉でも、同様の現象が起こっていそうだ。

本当に私が発している音声を文字にしてみた時、本当に私が言おうとしていた言葉の文字列と一致しているかどうか、という事を気にしながら言葉を発していると、何とも奇妙な気分になります。
そしてそういう音声という曖昧な手段を使って、今まで周囲とコミュニケーションをとってきたんだよなぁ、ということを考えると、一気に不安になります。

それでも今なんとかやっていけているということは、この曖昧な音声でも、そんなに深刻な破綻はきたしていなかった、と受け取っていいんだろうか。もしそうならば、あの状況というか、文脈とか、そういうものがあったからこそ、あの音声がちゃんと言葉として意味を成したんだよなぁとか、考えた。
あと、放たれた言葉が意味を成すように、状況や文脈から推測してくれた「言葉の受け取り手」が居たからこそ、通じていたんだろうなぁ、と思った。多分、機械の音声認識システムが私の音声を受け取ったら、きっと酷いことになっていると思う。

…でも、一音一音全部同じようにはっきりと言うと、機械音声みたいになってしまうんだろうか。片言の日本語っぽくなってしまうんだろうか。多少の音の消失とか連結は、普通の現象なのか?
うーん。わからん。

とにかく、早くはっきりと言えるようになりたいものです。
ありがとうございます。


…あ、風がさわやかな一日でした。

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2006年8月20日 (日)

怒濤の生活の足音が…

突然、渦の中に放り込まれた…のか、自ら飛び込んだのか。
昨日の流れで、横浜まで行ってきました。お久しぶりでした大学。
何だか未だに自分の置かれた状況がよくわかっておりませんが、今までの生活が変わるであろうということだけは確かです。

まず渡された分厚い台本を、コピーして、折って、読みました。
一気に読んで、あー面白かった、と思ったところで、いや待てよ、と止まる。
…。
何?自分本当に出演するのか?
私が参加していいものなのか?
できるのか?演劇経験ゼロだぞ?
しかも本番まで一ヶ月無いというよ?
てか他のこととかどうなるんだ?
ハナっから怖じ気づくが、先の事を考えても仕方無いので、ここは全てやるしかない、と結論する。
結論しながらも、今日はやっぱりぼんやりしていた。うわのそら。
日頃お世話になっている上野東照宮で引いたおみくじにも、「やめとけ」と言われたが、今回は言う事を聞かないことにします。
若さで何とかなることにします。何とかします。

しかしどうなってしまうのだろうか。
こうなると、ちゃんと計画を立てないとならないな。切実に。
このまま夏休み終了までそれだけで駆け抜けてしまうことに、なりかねない。それは駄目なので。
この夏休み、まずは雑誌作り。写真集作る約束もしてた。
流れに乗ることもいいけれど、それで自分でやることがおろそかになるのは最悪。
と、自分を戒めてみる。

上野東照宮を出て、久しぶりに仲見世をふらついた後、浅草夜まつりライブへ行ってきた。
隅田川岸での、こじんまりとした夜の野外ライブ。ささやかなお祭り。無料。
終始、対岸から盆踊りの音が聞こえてくる。競演。そして時々屋形船も通る。不思議空間でした。のんびりしていて良かったな。
何より、トモさんがすごく楽しそうだったので、見てるこっちもすごく楽しかった。
やっぱりステージの上の人間が楽しそうなのが、一番楽しいな。
あ、観客の中に峯田さんが居ました。

とりあえず、明日で労働はしばらくお休みになりそう。もしくは夜勤。


読んだ本:マリノフスキー 『西太平洋の遠洋航海者』
イベント:第2回 浅草夜祭りライブ 
       (出演:松崎ナオ/TOMOVSKY)

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2006年8月19日 (土)

家でのんびりとしてみる

頭痛・腹痛・気持ち悪い、の三重苦を伴う隔月の現象が来た為、家で過ごす。夏は重いからやだな。
のんびりとする。散髪に行く。のんびりとする。

午後、洗濯物を取り込んで、畳んでいたところ、ベランダで遊んでいたうちの猫(室内飼い)が、物音と共に忽然と姿を消す。
ベランダへ出て探してみると、屋根の上できょろきょろとしていた。
急遽「こめ(猫の名)捕獲チーム」を結成し(私と妹)、妹は庭に出て、私はベランダから、こめをおびき寄せる。
妹は脚立を出して来て、私はロール状になった粘着テープを転がしてカーペット等に付着した汚れを取る道具(通称:ころころ)を持ち出して、こめを呼ぶ。うちの猫はこれで毛を抜かれるのが大好きという妙な性質がある。
案の定、ころころにこめは反応した。寄ってきた。
が、何を思ったか隣の家の屋根に飛び移ってしまう。
そして、隣りの家の二階の窓の桟に両手を掛けて、中を覗き込んでいた。
なにっ!と、一生懸命ころころを振り回して大声で名を呼ぶも、きょろきょろするのみで一向に動かない。それどころか更に隣りの家の屋根まで行こうとしていた。
マズい。
が、そこで妹が動いた。
脚立の上に立ち上がって、精一杯に腕を伸ばして、ころころでこめをおびき寄せ、そのまま素早く抱き取った。
でかした妹!


夜、春にお世話になった方から電話が来て、手伝いを頼まれて、二つ返事で承諾した。
自分からは何も行動を起こさないくせに、声を掛けられるとすぐ乗ってしまうんだな。
…「くせに」というより「だからこそ」という方がしっくり来るだろうか。

「誰かに指示されるまで何もしないのがあなたの悪いところである」

再三、言われていることだ。その通りだから悔しい。
悔しいので何としても変えたいと願ったけれど、相変わらずだよなあ。
冷静になってみると、安請け合いしすぎではないかという気もする。

乗ってみたい気がする。
埋もれてみたい気がする。
揉まれてみたい気がする。
そういう理由で承諾するのは、愚かだろうか。

…実際どうなるかは明日になってみないとわからないけれど。


読んだ本: 高村薫 『リヴィエラを撃て (上)』

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2006年8月18日 (金)

体温

今日も雨が降る。しかも、今日の雨は雨粒が大きめ。
そしてまた晴れたり降ったりの繰り返し。
女心と秋の空って言いますが、やっぱりもう秋なんでしょうか。風も何だかさわやかだったしなぁ…

今日は近所(自転車で2分!)の建設現場での、レッカー車や搬入車の誘導、一般車両の誘導。
悪天候に加えて、田舎なので通行する人も殆ど居らず、暇。
足場しかなかった場所に、家が少しずつ形を成して行く様子を、1日中見ていた。
1日だけでここまでできてしまうのだなぁと感心したものです。

しかし雨には参った。今日は夕方に雷まで来た。
明らかに怪しい黒雲が、ぴかぴか光りながら遠方からぐんぐんこちらの方へ大挙して押し寄せてくるのを見たとき、来るな!あっち行け!と全力で念じていたのでしたが、これが全く効かない。
迷わずこちらへやってきて、長いこと居座っておられました。
至近距離で盛大に雷が鳴り響いた時には、クレーンに落ちやしないかとヒヤヒヤしました。
最近、ホント天気運が無いなぁ。
非常に、非常に寒かった。

でも、どんなに雨に濡れようが、周りがどんなに寒かろうが、
体温が、自分の体温があれば、大丈夫なんだなぁ、ということを身をもって知りました。
体温を奪われないように気をつけよう、体温を大事にしよう、と思うと同時に、あぁ、色んな意味で通用するなぁ、と、しみじみしておりました。

自分の持つ温度というやつでね。
ある程度までは、どうにかやっていけるからね。


今日読んだ本: 高村薫 『リヴィエラを撃て (上)』

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2006年8月17日 (木)

ウソぴょーん(by空)

朝からしとしと雨が降る。霧雨、いっこうに止まず。
それでも工事は今日もやる。おっちゃんは感電しないのかしらと、ちょっと心配した。

警備員は、傘をさしていては仕事にならない。かといってカッパは重いし暑い。というわけでそのまま。
地味に濡れる。じわじわと湿っていく。そして寒い。

さりげなく木の下に入って雨宿りしていた時、あぁ木は素晴らしいなぁと思った。
すごいよ。横から見て、隙間ばっかりだと思ってナメちゃいけない。一つ一つの葉っぱが小さいからってナメちゃいけない。
あんなに細かい霧雨を、ばっちり遮断していたね!でも葉に溜まった水滴がぽつぽつ落ちてきたけどね。

今日は人通りが少ない場所が多くて暇だった。
たまに誰か来ようものなら、よくぞいらっしゃった!とばかりに満面の笑顔で迎えました。
時々、突然交差点のすぐ近くに連れて行かれたけどね。極端な日だった。

昼休みに、今日初めて会った警備さん(苦労人)に、もはや初見の人に対する恒例の行事となってしまった「私は実は18歳でありまして」のカミングアウトをする。
それまでの話の流れからいって、これは相当誤解されていそうだぞ、というのを察知していたし、驚かれるのにはもう慣れました。
でも、
「子供二人位いるかと思ってました〜」
…それはさすがに。
ああ、私の年齢はどこまで上がって行くのか。
職人気質の工事のおっちゃん達と渡り合えるようになってきて、貫禄が増してしまったらしい(おっちゃん曰く)。
おかしいな。そんなはずではなかった。

ところで、昼休み中に、一度雨が止んだのです。
おっ、これは、午後このままイケるか?と、希望に胸を躍らせて空を見上げた、その途端、

うっそぴょーん!

とばかりにまた降り始めた。
もうね、本当に、空から「うそぴょーん!」と聞こえた。気がした。にくたらしい。てか、うそぴょーんは死語だろう。ぴょーんは。
雨の感じが、まるで秋だった。

そして午後の工事が始まっても相変わらず霧雨が降りしきり、相変わらず濡れながら立っていた。
しばらくして、また雨が止まった。
もう騙されるものか!と思っていたら、これがこれが。
ぐんぐん雲が流れ、みるみるうちに明るくなり、あっという間に気温急上昇。青空。積乱雲。
暑っつい。
アスファルトの水分が一気に蒸発してきて、余計暑い。
雨に濡れなくなったと思ったら、今度は汗で濡れるのか。

不快指数が尋常ではなかった。
これは、完全に喧嘩を売られていますよと、おっちゃんと話し合う。

そして最後の最後でまた降られた。
もう、気にならなかったけど。

交差点でやっていた時に、赤信号で目の前に止まった、バイクのおじいさん(同業らしい)に応援されたことが今日の活力でした。
あとお昼に奮発して(380円也)食べた酢豚弁当。
酢豚おいしいなぁ。


読んだもの: 海野十三 『鞄らしくない鞄』

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2006年8月16日 (水)

おでかけ

今日あの人があの場所へ行ったというニュースを、朝ごはんを食べながらぼんやり眺めていた。
まいっちゃったなぁ。とか、くだらない事を考えつつ。
では、私は何をしようか、と、考えを巡らせ。
部屋の隅から青い色画用紙を引っ張り出してきて、正方形に切り取り、これ以上無いほどに散らかった机の上で鶴を一羽、折った。
そいつを鞄に忍ばせて、出掛けた。

まず図書館へ本を返しに横浜まで行く。
今日の雲はすごかったですね。あの立体感。あの遠近感。もっくもくしていた。
そしてその一つ一つの色、質感、それぞれがそれぞれ違っていて、その違った雲の集まった、一つの群れでしたね。
その群れの合間に、青空がぽっかりと覗いたりして、あぁ、雲の上の空はいつでも青いんだよなぁと改めて感じ入ったのですが、どうなんでしょうか。

本を返し、また借り、その後久しぶりに野毛山動物園へ向かう。
人出が多くてにぎやかでした。企画も面白かった。
アカエリキツネザル(だっけ?)の餌を、野生のネズミが横取りして逃走していくのを目撃した。
ここの動物園は、飼育している動物に対して「〜さん」とさん付けする場面が多いのですが、そういうところが好きです。その、距離感が好き。

その後渋谷へ立ち寄ってそのまま上野へ。
国立博物館内に設置された一角座という映画館内のみで、8ヶ月のロングラン上映、という異色の形態を採っていた「ゲルマニウムの夜」という作品が、遂に今日で最終日。
観光案内所で前売券を買い、そこのおじさんと「長い事やっていたけど今日で終わっちゃうんだね〜」とか話していたら時間ギリギリになってしまい、上野公園内を疾走する羽目に。
時間は過ぎてしまったのだけれど、途中の道案内の係の人が気を利かせてくれて、開始を数分待ってくれていた(!)ということで間に合う。これだから大好きだ上野。
満員だった。補助席まで出た。

目の前で起きていることを、目を開いて、耳を澄まして受け取る。
痛いことも狂っていることも、嫌悪感も全て受け取る。
善悪とかそういうフィルターを丸ごと取り払って、自分を晒す。試す。
そこで何かしらの変化が起こることを望んでいる。

映画を見るのなら、通常ではおよそ出会わないような他者を知りたいのなら、
まずは全部受け止めること。好きとか嫌いとか、そういうのは二の次だ、と思う。
だから、結局何なんだよ!と、言いたい所を抑えて、考える。答えは無い。
息を詰まらせながら見ていた。
でも、痛みや汚さの向こうに美を見出す感覚というのは、まだ、わからん。

劇中では真冬なのに、外からのセミの鳴き声がばっちり聞こえてきたのが妙だったな。

その後上野動物園へ。
こちらも、夏の営業時間延長が今日で最終日。
霧雨降りしきる中であるにも関わらず、一体どうしちゃったんだろうっていう位に人が沢山居た。
それに、例年よりもイベントの数が多い。良い事だけど、驚いた。
それでも、営業時間が2、3時間ほど延長されるという位で、別に動物の様子がまるで違う!っていうわけでもないんだよなぁ。室内に居る動物はいつもと変わらないし。
でも確かに周囲が暗いというだけで、何かわくわくするものがあるんだよな。
いつか、シンガポールにあるというナイトサファリへ行ってみたいです。何か、凄いらしいので。

そして、ゾウ舎の隣りにある動物慰霊碑の前に、持ってきた鶴を置いてきた。
千羽鶴とか子供の絵とかが沢山ある中に、一羽だけ、ちょこんと。
あのとき殺された動物に、確実に罪は無かったよ。確実に。

政治は語るものではなくてするものだよ、
と、直接ではないけれど言われたのです。


見た映画: 大森立嗣 『ゲルマニウムの夜』
読んだ本: ジッド 『未完の告白』

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2006年8月15日 (火)

全て頭の中でのできごと

時代はお盆だということで、久しぶりにファミリーで行動。お墓参り。
親戚の家を渡り歩く。
正しくてまっとうで堅実で楽しげに暮らしている人達に、色々諭される。
心配をかけてすまないとは思っているのです。
仲の良いいとこの家で、カメとクワガタと戯れ、今夏初めて高校野球を見る。
私が応援する側は、何故かいつも負けるというジンクスがあるのだが、今回は勝った。
スリリングな試合だった。
代打・俊足の松尾。
公立高校が勝つと何となく嬉しい。
そして今夏初めてスイカを食べる。
明日が15日であるということに驚いている。まだ10日くらいだと思っていた。
でももう、夕方の空は秋のようだった。

孤独ぶってみても、深刻ぶってみても、
今の時点では、それらは全て頭の中でのできごとにすぎないわけであって、
頭の中でひとりでにどんどん進行していくそういう「だめかも」という雰囲気に、いちいち付き合っていては、全部止まったままだ。むしろ後退していく一方だ。
自分の頭の中から飛び出さなければならない。ぴょーんと。
とじこもるのはそろそろおわりにしませんか。
外側との接点でしか、新しい反応は起こらない。

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2006年8月14日 (月)

疎遠

今日も1日働きました。
店と駐車場の間の道路での交通整理をしていました。主に歩行者。

おじいさんがおもむろに近寄ってきて、私をしげしげと見つめて、一言。
「女の子…だよなあ?」

笑うところなんだろうか。悲しむところなんだろうか。怒るところなんだろうか。
とりあえず笑ってみた。

駐車場勤務、色々な沢山の人々が通るのを見ているだけでも楽しめてしまうというのは、あります。たしかに。毎日何かしらそれなりに愉快なことは起こるし。
でも、これでいいのか?とは思う。切々と。沸々と。
このままでいいのか?それは、非常に嫌だ。

その後高校の部活で飲み会。土手で。
バイトが終わってから向かったので、大いに遅刻する。文字通り乗り遅れて、既に出来上がっていた空気に馴染めず、分離。
あぁみんな若いなぁ〜と思いながら(若者の集団に加わったのは、優に半月ぶり!)、夜の土手に寝転がってそのまま転げ落ちたり、夜なのに見える雲がどんどん流れていくのを見ていたり、しばらくして、草むらに生息する小さな虫達に全身を噛まれて痛い思いをしていたり。

横浜が遠い。
もう大学へ行くことは無いんではないかと思うほど遠い。

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2006年8月13日 (日)

美脚より健脚

ああ自分、ここのところ何だかすっかりプロレタリアートだなぁと、思う。

今日は朝から曇っていて、よい感じではないかと鼻歌まじりに出勤。
しかし結局また遅刻すれすれでタクシーに乗り、正真正銘の一文無しになる。50円玉すら無くなる。
ご飯は昨日買っておいたし、水筒も持っていたから、別に困る事は無いだろうと呑気に構えて勤務開始。
なんだか蒸し暑くなってきて、あれっ、こいつは雨が降る匂いではないか!と思った側から降り始める。
あっという間に土砂降り。稲妻。雷鳴。
夕立ちか!と思ったが、まだ昼間。しかし雷が凄かった。近かった。
頭上で閃光が炸裂した時は、ちょっと何か諦めかけた(オーバー)。
大雨の中、大きすぎるカッパを着て、駐車場で車と歩行者をさばいていたら、来店したお客さんのお嬢さん(小学生と見える)に、
「だいじょうぶですか?」
と言われてしまった。そんなに惨めっぽかったのだろうか。いや、でも嬉しかった。大丈夫ですありがとう。
その後その少女は、父親に「やさしいなぁ〜」とほめられていました。微笑ましかった…

雨が降ると俄然テンションが上がります。悪天候など”屁でもねぇ”の精神です。
そしてその上がったテンションのまま勤務時間を駆け抜けました。
おじちゃん(お客さん)に「かっこいいねえ」と言われて素直に喜ぶ。単純なので。
また別のおじちゃん(お客さん)にはお盆についての蘊蓄を聞かされて興味深く聞いた。

19時にバイトが終わって、さぁ帰ろうと思ったところで、ちょっと困った。
店から駅までが遠い。
タクシーでさぁーっと来てしまったが、実はけっこう遠い。バスで20分だと聞く。
バス代、無いし。
ということで歩く事に。
しかし道がわからない。
途中3回くらい「駅まではどうやって行けば着きますか?」と人に尋ね、毎回「バスに乗れば大丈夫だよ」と言われ、その度に
「いえ、…バス代が…無いんです…」
…あからさまに憐れまれた。
別れ際に何やら励まされてしまった。

そして、てくてく歩くこと1時間。無事到着。
なんだか、1時間歩くくらい、何でも無くなってきた。

いいぞ、myあんよ達。
ちょっとゴツくて美しくはないけれど、君たちはよく働くね。
明日もよろしく。


読んだ本: 色川武大 『雀』

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2006年8月12日 (土)

スロースターター

バイトが無い日の、自由に楽しく過ごせるはずの時間を、睡眠のために割きすぎです。
昼まで眠り、起きてごはんを食べて、また昼寝するとは一体どういう了見でしょうか。

警備の初任給が入ったのですが、該当する週は3日働いた筈なのに入金が2日分に満たないというショッキングな事実を目の当たりにして、郵便局で打ち震えていた。
…何で引かれたんだろ。わからん。

本日は初めて三軒茶屋という場所へ向かいました。映画を見に。
映画館までの地図はあったのに、また迷子になりました。
地図があっても、今いる現在位置がわかっても、今「自分がどの方向を向いているのか」の見当がつかないのです。何故か。そしてあらぬ方向へ行ってしまうのです。自信満々に。
それでも、
「…あ、これは、道を、間違ったな!」
と気付くのは、以前に比べれば随分早くなったのです。よしよし。進歩進歩。
しかし気付いてもすぐ引き返さないところが悪い。

そんなんだから映画の時間に遅れる。
折角2本立てだったのに、1本目に大幅に遅れる。なので結局ちゃんと見られたのは1本だけ。しかしそもそもの目的はこっちだったので良しとする。
4月、大学へ入って最初に見た映画だったのだけど、見た当時は全然、生理的に受け付けられなかったのでした。
怖いとか痛いとか気持ち悪いとかで拒否反応が生じてしまい、目を開けていられなくて、惨敗。今回は、その奥にあったものを、もう一度見るための再挑戦。
怖いとか痛いとかそういうところで止まってしまった自分は、何と軽薄だったことかと思いました。勿体なかった。
凄い映画でした。心理描写の仕方が凄かった。
…ちょっとは、成長したんだろうか、自分。

そして世田谷線に初めて乗る。
切符が無いということで(何か、バスみたいな方式)、わけがわからず慌てる。挙げ句無意味に回数券を買ってしまう。使う予定も無いのに、どうしてくれよう。
でも、やっぱり知らない電車に初めて乗る時は気分が良いものです。

そしてやっとスターパインズカフェに9月のパスカルズのライブのチケットを買いに行ってきた!(やたら横文字の多い一文になってしまった)
しめしめ。


今日見た映画:
   ディヴィッド・クローネンバーグ 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

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2006年8月11日 (金)

眼球が熱いぜ!

とぼとぼと労働へ出かける。

しっかし、暑っちいのなんのって。
日刺しが。…、いや、日差しか。
いや、でも、本当、日刺しっていう感じだった。

大量に摂取した水分は全て汗となり、その汗もまた全て空気中へ蒸発してゆきましたとさ。
くたくただったさ。
でもこれがお仕事なのさ。
これでお金貰ってるのさ。このお金で映画見たりするのさ。

しかし一番参ったのは、目。目がやられる。
普段最も熱せられやすい頭髪がヘルメットによって保護された状態では、その栄えある”体内で最も高温になるポイント”は、服等によって隠されていない、しかも黒色である場所、そして黒い範囲が最も広い場所、
つまり、黒目であるのです。
もう、日光の格好の餌食。
眼球が発熱して、酷かった。
熱されて乾ききった両の目玉を救わんと、点眼した目薬もとっくに熱せられていて、高温!
なんともいえない、気分になったものです。
現在目が真っ赤っ赤。何となく、重いし。しょぼしょぼしてるし。

すさまじいぞ、ソーラーパワー!
およそ一億五千万kmも離れた場所から発している光熱だっていうのに、この威力は何だ!?


でもねぇ、今日私に優しくしてくれた全ての人達のおかげで、私は何とかやり抜いたよ。

ねぎらってくれるとか、麦茶くれるとか、あめ玉くれるとか、そういうことはもちろん、本当にありがたい。助かる。憔悴している時なんかは、本当にそれで生き返る。
でもねぇ、呼びかけに返事してくれるとか、目を合わせてくれるとか、あいさつしてくれるとか、ちょっと笑いかけてくれるとか、それだけのことでも私は、いくらでもがんばれるんだよ。

そのちょこっと上げた口角が、私にどれだけの力を与えていたか、笑ってくれた本人はきっと知らないだろう。
それどころか、今日あの工事現場に私が立って交通整理していた事なんて、もうきっと誰も覚えてないんだろう。

でもさぁ、本当に力が湧いたんだよな。その力で生き抜いた今日だよ。

翻って、考える。
どの自分の行動が、発言が、どの程度他の誰かに作用しているのかは、わからない。わかりようがない。
わからなくても、確かに作用しているんだろうなぁ、とか、思った。良いことも悪いことも。
瞬間瞬間で、少しずつ影響しているんだろうなぁ、と。
作用していて欲しいなぁ、と、思った。
それが自分や相手の記憶に残らないとしてもさ。


読んだ本: 町田康 『一言主の神』

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2006年8月10日 (木)

台風の接近で工事が中止。バイトも中止。
しかしどこかへ出掛ける気も起きず、ずっと家に閉じこもる。

台風が通過した後の空が、ごちゃごちゃしていて楽しかった。
以下、愚痴です。すみません。


この閉塞感はどこから来るのか。
何が自分の枷になっているのか。
女であること、無知であること、田舎者であること、金欠であること、実家住まいであること、
挙げて行けばきりがなく、それぞれがそれなりに切実であり、どうしようもないことであるかのように思える。というか一部どうしようもないこともある。
しかし、それらが仮に全て解決されたとして、その時私は満たされるのだろうか。

…否。

閉塞感の一番の原因は、「何もしていないこと」である。
それさえ解決されれば、枷なんて、きっとどうでもよくなる。しかしそれがいっこうに解決されない。
そしてその現実に対して、枷はむしろ優しい。
こんなに問題があるんだもん仕方無いよと、慰めてくれる。
あらゆる不安で温もって、言い訳に頼って、焦っているフリだけは達者。
もう本当は、締念に気を許してしまってるもんね。
そしてずるずると、時間だけが過ぎて行く。

全てに中途半端なまま、夢の形を定めることすら億劫になり、それでもどこかで自分は特別であると思いたがるこの思い上がり。
しかし何が自分を特別たらしめているのかは言葉にできず、ただ「私は少なくともあなたとは違う」ということしか言えない。
その根拠はどこにもない。
それなのにそれだけで一時的とはいえ自分を肯定できてしまうというそのおめでたさ。
周囲との差異を確認することでしか安心できない。
「みんなと違う」点を必死で探して、探しているうちにどんどんそれは見えなくなって、一方世界だけはどんどん広がってますます自分を物足りなくさせる。

私一体何やってるんだろ、と思いながらも、明日の勤務指示を告げる電話に明るく答える自分が何となく虚しいよ。
「ハイ!明日出れます」
この元気な私は誰なんだ。
望まれた通りに振るまいがちな優等生気質が、まだ残存しているのか。


今日(8日)から15日まで、上野動物園、営業(営業?)時間延長してますよ。
東園は午後7時まで。西園は午後8時まで。
夜ならではの企画も色々予定されているようなので、是非足を運んでみてはいかがでしょう。

…と、気分を変えてすやすやと眠ることにする。
明日は暑そうだしな。弱気を抱えたままではやっていけない。
でも、やっぱりそこが罠なのかも。目を逸らして、明日もやっていくのかも。永遠にやっていくのかも。

気晴らしじゃ気は晴れないってさ。


読んだ本: 丸山圭三郎 『ソシュールの思想』

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2006年8月 9日 (水)

旅の名残が腰に来た

寝る前に長々と旅の顛末を綴り、更新しようとしたら、メンテナンス中ということでデータ消失。無気力に襲われました。データって怖いね、消えるときは一気に消えるね。
というわけで昨日の分。1日抜けると気持ち悪いので。

しかし本当に腰が痛い。部活で発症した腰痛です。
運動をしていないので近頃は鳴りを潜めていたのですが、やっぱりすぐよみがえる。電車でずっと座ってたからって…情けないなぁ。持病か。
背骨と背骨の間に、何かごつごつとした鈍いものがはさまったような痛み。嫌だなぁ。

今日(8日)は中学の頃の友人と渋谷まで映画を見に行く。
この映画が…また腰痛で集中できず。途中から立ち見に切り替え。客の年齢層が高めだったので、尚更腰痛で座っていられない自分をうらめしく思ったものです。

帰宅してから、久しぶりにネットで色々まわっていたら、何か色々動いていた。
パスカルズがヨーロッパツアーから帰ってきていた。9月のライブのチケットがもう発売していた。
うちの大学のオープンキャンパスが終わっていた。…やってたのか!ってかもうそんな時期か。
あと、久々に100sが動き始めましたね。年末のCOUNTDOWN JAPAN 06/07に出るらしい。中村一義氏がほぼ日に登場していて、ほほえましく読んだ。

…とにかく早く腰が良くなって欲しい。かろやかに動けない!


見た映画: チャン・ヤン 『胡同(フートン)のひまわり』

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旅の顛末(養老・直島)

ということで、旅の感想を書こうか…と思ったのですが、出発から到着まで書くとわけがわからなくなること必至なので、養老と直島だけに絞って書く事にします。

そもそも旅をするにあたって、最初から決まっていた目的地はこの2か所でした。
そこで、琵琶湖でのインターハイ開催がこの時期であるということで、じゃあ、今行くか!ということになり、それならば京都の友人宅も訪ねようか!ということになり、今回の4日間に渡る行程が組まれたのでした。


まず初日の養老(岐阜県)。

目的地は、養老天命反転地でした。
荒川修作とマドリン・ギンズによる、実験的な施設(テーマパーク…というと何か違う)ということで、授業で此処が少し取り上げられたことがきっかけです。
芸術という、触れる対象を扱うよりもむしろ、触れる人間の身体の感覚の方に働きかけるというか。揺さぶりをかけるというか。
「天の与える壮大な力を、人間の作ったもので反転させる試み」というご大層な理念があるそうで、驚くと同時に何だか腰が引けてしまいそうだったのですが、楽しそうなので行ってみようと。

感想から言えば、楽しかったです。
平日の暑い真っ昼間に訪れたので私の他に客が5人くらいしか居なかったこともあり(おかげで同じ人に何度も遭遇した)、思いっきり冒険できました。そうだな。冒険というとしっくりきます。
本当はそれぞれに「使用法」が定められていたのですが、しっかり見ていなかったので殆ど自己流だったことを、ここで白状しておきます。

まず建築物が、なんだかヘンなのです。
普段、私は(というかほとんどの人はそうだと思うけれど)、「暮らしやすい」とか「バリアフリー」であるようなそういう建物が良いとされるのが常識である中に生きているのですが、ここの建築物はその対極にあります。
障害とか無意味な仕掛けが盛りだくさん。やたらと邪魔されます。
家の中に行き止まりがあったり、トイレが非常に狭かったり、部屋の形がおかしかったり、一つの部屋の中で床の起伏が激しかったり、傾斜していたり、家具を壁が突き抜けていたり、天井に家具があったり。
これは、挑発されているんですかね。疑問を提示されているのでしょう。
ただ面白がっているだけでは駄目なんだろうなぁと思いつつ、面白がっていました。

屋外でも、「非日常」へ引き摺り込まれました。こんな状況に置かれたのは初めてだ!という事態に何度も遭遇しました。何か別の入り口を見つける度に、今度は一体何をされるんだろう?とびくびくしたものです。
高い壁と壁の間に、一人がやっと通れる程の幅しかない道があり、その中を延々歩き続けたり。
一番、やられた!と思ったのは、迷路でした。暗闇の中の迷路。
軽い気持ちで足を踏み入れたら、真っ暗。慌てて手探りで壁を探して歩を進むと、どうやら迷路になっている。
しかしどんなに目を慣らしても依然として真っ暗で、目を開いても閉じても何の変化も無い。
両手で探ってみると、天井は高いようだが幅は狭く、やはり一人しか通れないくらい。しかも壁が湿っている。とりあえず頼りになるのは指先だけで、そろそろ壁を伝わらせて、すり足で進む。地中に住む昆虫になったような気分でした(手が触角みたいだった)。
しかも例によって行き止まりがある。何カ所もある。そしてその行き止まり方が、ずるい。
その上傾斜がある。何ともスリリング。
一番奥に、入り口の非常に狭い円形のスペースがあって、そこだけ上から光が差し込んでいました。光を見つけてこんなにも安心するものか、と思いました。しかしそこはゴールではなく、また引き返さなければならない。
この迷路を脱出した後、明らかに野生度が上がっていました。傾斜の急な斜面を駆け降りたり、崖を両足両手を使ってよじ上ったり。
その勢いでもって、天命反転地を出たあと山を登って滝まで行ってしまいました。

直接関係ありませんが、途中見た遊園地のさびれ具合は、何とも味がありました。侘びを感じました。


養老はこんな感じ。
そして直島。最終目的地。

直島も、島全体がアートになっているということで教わったのでした。
アートとか聞くと、何か高尚そうで腰が引けるのですが、やっぱり行ってみようということで行ってみました。はるばると。
フェリーで港に着き、港のすぐ近くにある青い壁の宿を見つけて、その後バスに揺られて地中美術館へ。

地中美術館。何かそうそうたる面々が関わっているという美術館だそうで。
バスを降りると、何やらスタイリッシュな建物が。
案内係の人達の制服が真っ白。そこから醸される清潔感と、無機質な外観から、こ、ここは病院なのか!と最初から身構える。しかも案内係の人達が、全ての展示物の部屋に配置されていて、常に見張られている。
何なんだここは、と最初から動揺し、どうもヒネた見方になってしまう。
訪れている客も、何かアートっぽいというか、そういう方面に造詣のありそうな大人達で。そういう人達が”現代芸術”を讃えている様を見ると、どうもおちょくってみたくなってしまうのです。
スタイリッシュとか洒落ているとか、何故か照れる。何故か。そぐわなさを感じずにはいられない。

いえ、でも作品自体は面白かったです。初めて体験するものばかりで。
特に、ウォルター・デ・マリアさんという人の作品を大いに楽しんだ。部屋の中の空間全てが芸術というものなのですが、部屋の中に16段+16段の階段があって、途中に大きな球体がでーんと配置してあり、四方の壁に、金箔が塗られた木製の柱が3本セットになったもの(直方体、三角柱、五角柱、が色々な組み合わせで並んでいる)が整然と配置されていて、天井に窓があってそこから光が差し込む。室内にある全てのものが、光に対して何らかの反応をする。といった感じ。
時間の経過につれて光の量や角度が変化すると、空間も変化するのです。
何だか儀式っぽい。神殿っぽい。神秘。ええ神秘。
何より、無類の階段好きである私が、その階段を駆け上ったり駆け下りたりしたくなるのは当然の反応でした。
しかも、よく音が反響するんだなこれが。
案内係(というか監視係)が居るのは仕方無いとして、他の客が居なくなる頃を見計らって、何度も駆け回る。ここの係の人達が寛大だったので有り難かった。しかも駆け上がり心地が最高。好きな階段ベスト3入りは確実でしょう。
味わい方を間違っていると言われると、否定できませんが。ここは、楽しんだ者勝ちということで。

あ、あと景色が綺麗でした。
景色を見ながら、周りで村上水軍についての話題が盛り上がっていたので、盗み聞きしました。


地中美術館を出て、私は帰りのバスが待てず、また100円を払うのも惜しくて、そのまま歩き出しました。
ゆっくりまわりたかったというのもあったでしょう。
しかし私は地図を持っていなかったのです。そこが間違いの始まりでした。
バスで来た道を戻ればいいさと、高を括っていたのが間違いでした。
いや、途中までは良かった。浜辺まで降りて行ったり、写真を撮ったり(ここに上げた写真を撮ったのもこの頃)、屋外に置かれた作品を眺めたり。島の人と話したり。小学校を見たり。
…この小学校が、門も塀も無い、コンクリート打ちっぱなしの建物。こういうのをかっこいいって言うんだよとか思ったり。ほら歩いてよかったじゃーんとかほくそ笑んだり。
ここまではよかった。ここまでは。

その先のT字路で、私は道を間違えました。やっぱりね。

左へ行くべきところを右へ行ってしまった。
何故右へ行ってしまったのか。
夕日が見たかったのです。綺麗であると聞かされていた夕日が。方角の関係で丁度見えなくて、早くしないと沈んでしまう!という焦りから、島の端へと歩を進めたのでした。足早に。
歩いても歩いても、夕日は見えず。
橙色に染まった空だけが、申し訳程度に山の辺りからのぞいている程度で。

私は視界の開ける場所を探して、歩き続けました。
何となく、バスで通った道と違う気がしても、構わず歩き続けました。
次第に民家の数が減ってきても、歩き続けました。
道だけしかないような場所に来ても、歩き続けました。
歩いているうちに、夕日はもう沈みかけて、月が薄く出ていましたが、間に合うと信じて歩き続けました。
3匹の犬に吠えられても、歩き続けました。
いよいよ淋しい風景になってきて、段々夕日どころでなくなってきても、歩き続けました。

この頃はまだ、道を間違っていたとしても、沿岸を歩いていればいつか港に着くさ!と思える余裕がありました。
そうしているうちに、本格的に日は沈み、辺りは暗くて月ばかりが明るくなってきました。
もう誰ともすれ違うことがなくなりました。
完全に民家は姿を消し、代わりに工場のような建物が現れだしました。

これは、怪しい、と思いながらも、今更引き返す気も起きずに、歩き続けました。
もうちょっと行けば抜けられるだろうと自分を励ましながら、歩き続けました。

しかし工場地帯はいつまで経っても続く。
倉庫、煙突、事務所、トラック、何か大きな機械、そして関係者以外立ち入り禁止の看板がちらほらと。
空はすっかり暗くて、海の向こうにかすかな街の灯りが見えるだけ。私の立つこの地に灯りは無い。
たまに現れる、灯りに照らされた場所に目をやれば、そこは工場。工場の向こうは山。
もうアートどころではない。というかアートのことなんてとっくのとうに忘れた。
進む他なかったので、進みました。ひたすら歩き続けました。しかしひたすら工業地帯は続きました。
そして目に入ってきたものを前に、息を呑みました。
「濃硫酸」と書かれた、まるくて大きなタンクが並んでいる。

時刻は8時近く。
右手は海。前方は闇。左手は濃硫酸。空には月。
…怖い。
これは、さすがに、怖い。

しかもこの時、母から「もう宿は決まったのかい?」的なメールが届き、すぐさま「大丈夫もうチェックインしたから◎」と返信。私は追い込まれると嘘をつきます。虚勢を張ります。
全然大丈夫じゃないし。ってかここは一体どこだ!濃硫酸とか!
もう、やけっぱちで歩き続ける私に、最後の一撃が。
行く道の先に、工場の門。遂に痛恨の行き止まり。

あぁ、もう、残念でした。何かねぇ、めいちゃんの気持ちだった(トトロ)。
しかしピンチになると妙案が浮かぶものです。というかそれまで思いつかなかったのが駄目だった。
宿に電話!
ってかよくぞ番号控えていたものだ!偉いぞ自分!冴えてるぞ自分!と、自分を讃えまくる。
しかし二度程かけて、
「電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」
になって、文字通り絶望したものです。しかし三度目になってつながる。
あんたそりゃ全然違う方向だよ〜という内容を関西弁で言われて、ここまで迎えに来てもらえることに。
電話を切って、しばらく待つ。ほっとしたような、情けないような、心境。
そしてとうとうワゴン車のヘッドライトが見えた時にはもう、
何かねぇ、ねこバスかと思った(やっぱりトトロ)。

迎えに来てくれた宿の兄ちゃんに、こんな遠くまでよく歩いてきたなぁと言われ、こんな場所は絶対観光客には見せないんだよとか言われ、あぁやっぱりとか思い。
私はいつにも増して饒舌でした。喋りながら泣くんじゃないかと思った。
何でも、電池の材料を作っているのだとか、タウリンを作っているのだとか(ってかタウリンて工場で作るものだったのか!)、ここはゴミ捨て場だとか、自分が今まで歩いてきた道を、兄ちゃんのガイド付きで一気に駆け抜ける。
アートの島の裏側を見てしまったようで、複雑でした。
そして私が間違えた道まで戻った後は、すぐに宿に到着。本当に、あれが運命の分かれ道でした。
即、入浴と洗濯。

宿でもらった地図を見たら、とんでもなく長い道を歩いていたことが判明して瞠目しました。そりゃ、2時間も迷子していればね。
歩きはじめた地中美術館は島の最南端。工業地帯は島の最北端。宿は島の南東部。
…力が抜けました。

貴重な体験ができたのは良いのだけれど、道を間違ったせいで、「家プロジェクト」を一つも見られなかったのが非常に残念。翌日は休館日だったし。

帰りのフェリーから、私の歩いた道がまた見えて、複雑な気持ちでそれを眺めておりました。

直島の感想として、これでいいのだろうかという気は大いにしますが、これを体験してしまったので仕方ありません。お許し下さい。
また行きたいです。人は優しかったし、町並みは面白かったし。
それに、今度は迷子にはならないだろうから。再挑戦。


とまぁ、こんな感じでした。しょうもない。でも楽しかった。
しかし、養老と直島だけに絞るとか言って、それでもこんなに長々と…お付き合い下さってありがとうございました。

追記:ドミトリーin九龍のスタッフの方、本当にお世話になりました。いい宿でした。
   あと、青春18きっぷ、本当にお世話になりました。

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2006年8月 8日 (火)

世界って広いわを、再び。(放浪終了)

というわけで、帰宅しました。
昨夜繰り広げられた、初見の人々との会話の中で、何か段々自分が物足りなくなってきて。
そろそろ潮時かと。呑気に観光している場合じゃあないぞと。

人は、「やっぱり我が家が一番である」ということを思い出す為に旅に出るのである、というようなことを受験勉強の時に英語の長文か何かで読んだのですが、それも一理あるなと思いました。
横浜辺りから見慣れた景色(といっても夜だけど)が車窓に現れ始め、その時の安心感は、実に心温まるものがありました。じわじわと。
…全く誇っていいことではないけれどね。むしろそんな自分はちょっと嫌だけどね。

今日は直島で朝の散歩をして朝ご飯にかけうどんを食べ、支度を済ませて、宿で相部屋だった人達に見送ってもらいながら、フェリーに乗って島を出発。
再び延々電車に揺られて、ちょっと途中腰が痛くなったので(座り過ぎで)大阪駅で下車。

初大阪。
思っていたより静かだった。まぁそれまでのイメージが偏り過ぎていたのでしょう。道頓堀とかそっちの方へ行かなかったのも原因だろうか。
梅田辺りをうろうろして、十三に行ってきました。ファンダンゴ(ライブハウス)を探しに。昼間なので、もちろんまだ営業しておりませんでしたが。
おお、これが噂に聞くファンダンゴか!と、扉と看板(布製)をしげしげと眺めておりました。これでいつかライブに来るときは迷わないぞ!と、非常に充実した気分に浸りました。
そして商店街をうろうろして、たこ焼きを食べる。6個入りを頼んだら7個入れてくれて幸せでした。

この時点で、鈍行では終電に間に合わない事態になっていたので、ぎりぎりまで鈍行で行き、途中から新幹線に切り替え。
速い。新幹線は速い。なんて速いんだろう!と感心していた。高いだけのことはある。しかし高かった。


とまぁこんな感じに、おかげさまで無事に帰宅することができました。
一時はどうなることかと思いましたが、どうにかなりました。
すったもんだの旅の顛末は明日書きますが(多分)、しかし本当に日本て広いんだなぁと思い知りました。

日本なんて狭いぜ!国内はもういいから外国へ行きたいぜ!
と、正直思っていたのですが、とんでもなく国内を侮ってたなぁと思います。
国外へも行きたいけれど!行きたいけれども、もう国内の時点で世界は広いぞと。人が沢山居るぞと。
自分が全く知らなかったようなそれぞれの土地に、それぞれ沢山の人々が暮らしている。

そんな沢山の沢山の人達の中で、私が一生をかけても会える人なんて少数だ。
あぁどうしよう、「一人の人間の人生なんて、こんな感じなのかこれが普通なのかな」(tomovsky)とばかりに慌てたものです。
電車の窓から見える人の姿を追い越す度に、この人と会話できる機会は無いのだろうなぁとか、二度と会えないのだろうなぁとか、もしもう一度会ったとしても、その人が今見た人であるなんて絶対わからないのだろうなぁとか、いろいろ心配したものです。
一期一会という言葉の意味が真にわかったぜ!なんて格好の良いことを言ってみたくなったものです。

とりあえず、電車に乗れば遠くへ行ける、会いに行ける、ということを覚えました。
遠いとか近いとかの問題ではなく、会いに行こうとするかしないかの問題らしい、ということを。あとお金。
よかったよかった。

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2006年8月 7日 (月)

ずいぶん遠くに来たもんだ(放浪三日目)

ずいぶん遠くに来たもんだ(放浪三日目)

朝起きて朝ごはんを食べた後友人と別れ、京都を出発、延々電車に揺られて岡山入り、そしてフェリーで海へ…

というわけで最終目的地である直島にやって参りました。 おめでとう本州脱出! 初フェリー!でも四国入りはしていない!あくまで島です。

同じ宿に居合わせた人達と話が盛り上がり、このまま語り明かしそうな感じなので、とりあえず写真だけ送っておきます。 いろいろありましたよ、ええ、いろいろと。

ただ、ここから埼玉まで鈍行で帰るのに最短12時間かかる!というこの現状をどうしようかという問題がございます。 どこかでもう一泊出来たら非常に良いのですが。

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2006年8月 6日 (日)

再会(放浪二日目)

インターハイ開催中の琵琶湖で、レースを終えた後輩達と再会。一緒に決勝レースを観戦する。 ボートっていう種目は本当に状況に影響を受けやすい。湖や河川に作られたコースならば尚更。 レーン毎に水の流れや波の高さの違いがある。有利なレーン不利なレーンがある中で、練習の成果を出さなければならない…そして結果ははっきりと示されてしまう。 明らかに不公平だろう!と思われる場面を多々まのあたりにして首を捻りたくなったけれど、これで日本一が決まっちゃうんだよなぁ。あっという間に。 これがインターハイか…と思った。色んな意味で。

本当は本当に勝敗なんて関係無いんだよな。それに行き着くまでの過程が大事なんだよな…と、当たり前のことを改めて認識し直した。成果を残せたクルーはもちろん凄いけどね。

埼玉に帰るみんなと京都駅まで同行し、別れる。


今度は、京都で暮らしている高校時代の友人と再会。 バスで移動中、眠りこけてとんでもない場所まで来てしまったりと紆余曲折経てやっと再会。喜びもひとしお。

京都を案内してもらう…というか一緒に散歩する。観光より、喋りながら歩き回る方がメイン。 動物園入ろうとしたらもう閉まっていた。平安神宮と図書館をまわる。図書館が良かった。うらやましいなぁ。

その後京大をいろいろ案内してもらう。建物がいちいち凄い。威厳がある。広いし。そして学食に潜入。やたらメニューが豪華。

そして銭湯へ行き、現在寮にお邪魔しております。寮の空気がとても面白い。

持つべきものは友達だな、と思った。本当に。

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2006年8月 5日 (土)

電車って素晴らしい( 放浪一日目)

電車って素晴らしい(<br />
 放浪一日目)

電車って素晴らしい(<br />
 放浪一日目)

というわけで出発しました。 電車に乗りさえすれば、遠い場所まで運んでくれるんですね。 しかし辿り着いたここが、どのくらい遠いのかよくわかりません。今居る場所が日本列島のどのあたりなのかも曖昧です。とりあえず滋賀県北部らしい。 ただ、電車で木曽川長良川揖斐川を越えた時には、おぅ遠くへ来たもんだなぁと思いました。大きな川が立て続けに三本あるのは、インパクトがあります。

今日は養老メインでうろついていました。 養老天命反転地で頭を思いっきり打ってこぶを作ったり、何となく養老の滝まで荷物下げたまま歩いてみたらこれがえらい遠くて足に豆を作ったり(愚かにもサンダル着用)してますが、まぁ元気にやっております。

あ、あと腕時計が止まってました。 タイムレスって事でしょうか。時間なんて気にするなよ!っていうことでしょうか。 とりあえず粋な計らいということにしておきます。

とにかく泊まる場所が見つかってよかった。

写真は、途中後悔しながらもたどり着いた養老の滝です。水がおいしかった…。 もう一枚は…よくわからん。


読んだ本:和英対照仏教聖典(泊まる部屋に置いてあった)

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2006年8月 4日 (金)

ちょっと行ってきます

というわけで、明日…いや、もう今日か。今日から行ってきます。
青春18きっぷで一人旅に行ってきます。

岐阜の養老天命反転地へ行き、
インターハイ開催中の琵琶湖へ寄り、
京都に暮らす友人を訪ね、
直島(香川県)の地中美術館へ行って帰ってくる予定です。
うまくいけば帰りに山梨の薮内正幸美術館に寄れるかな、と。
帰って来るのは月曜か火曜…アバウト。
計画よく練っていないので、これが後々どう響くか…。

準備も、着替え少々とカメラとフィルムと顔洗うやつとコンタクトレンズとお金と、
あとは…ぽたぽた焼き(←遠征のお供)ぐらいしか持ってないですが、まぁ何とかなるでしょう。
沖縄へ行った修学旅行を除けば、今回が初の本州脱出。楽しみです。

ここは、更新するとしたら携帯からか。便利だなぁ。しかし使い方がよくわからん。
とにかく行ってきまーす。


見た映画(テレビで):
   『チャップリンの移民』
   『チャップリンの霊泉』
   『チャップリンの勇敢』

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2006年8月 3日 (木)

やってらんない(でもやるけどね)。

今の自分と一対一で向き合っているのは正直苦痛なのだけど、
相変わらず、外の世界と音信不通状態なので致し方ない。

ちょっとニュースを見れば今日も大変そうな世の中なのだけど。何となく、他人事。
他人事というか、大変そうすぎて、画面から「あんたと構ってやれる時間は無いぜ!」、と言われているようでした。

誰か私に興味のある人はいないのか!誰か私を構ってくれ!メールでも電話でも、連絡手段の設備は整ってるんだから誘ってくれ!と念じてみたり。
でも電話をくれるのは成人式の着物の勧誘とか、「明日どう?」っていうバイト先の管制さんだけ。
あー何か。そういうのは、私自身に用があるんではなくて、こっちのお金だったり、こっちの労働力に用がある電話なので、ちょっと違う。それどころか余計凹む。
ああ…、というわけでしばし凹む。

でもいつまでも凹んでいると体に根っこが生えてきてしまうので、むくりと起き上がる。
退屈とか言っている場合ではないのです。
読まなくちゃならん本とか見なくちゃならん映画とか…とにかくそういうものは山ほどあって、全く消化できていないので、退屈とか言ってるヒマがあったら消化に充てろ!

ということを思い出し、先週借りてきた本を読み出したり。春に読んだ本を読み返したり。
またスイッチが入った時の為に、準備している。着々と。
頭の中では、明後日の始発に乗って出発する計画が出来上がっています。頭の中でだけだけど。


読んだ本: 
    ロラン・バルト 『零度のエクリチュール』
    四方田犬彦 『ハイスクール1968』(再読)
見た映画(テレビで): 
    クリント・イーストウッド 『ミリオンダラー・ベイビー』

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2006年8月 2日 (水)

たいくつ

疲れたので、寝ていた。

寝て、体力を蓄えて、また働いて、疲れる。で、また、寝る。
その繰り返しの日々…不毛だなぁーと思って、いやになっちゃった。

春から大学でやっていた事が全部夢だったんじゃないかと思う程、最近何もかもが、ぱたりと止まってしまった。
今までの楽しさは、外からの刺激に触発されて生み出されていただけだったんだと思う。自分単体だけでは、何の変化も無し。何か自分が止まっちゃった。

自分が退屈な時は、何をしようがどこへ行こうが、退屈だ。
ふらっと渋谷へ行ってみたけどやっぱり退屈だった。頭が重いし。…これはもうきっと、アンテナの問題。感度の問題。周りで起こっている出来事を受け止める筈のこちら側が錆びてしまっているのが悪い。原因はきっとそこだ。

退屈を楽しく過ごすには、ある程度のエネルギーが要る。誰かに会い続けていないと、誰かと喋り続けていないと、何かに触発され続けていないと、もう、すぐエネルギー切れ。孤独に耐えられん!
そういうわけで、きっと燃料が切れてしまったんだろうと思われます。

耐えられないので、どうも我慢ができなくなってきたので、どうにかしなきゃいけない。
しかし下手な事では埋まらない。満ちない。
さて、どうするかね。


読んだ本: 井伏鱒二 『珍品堂主人』

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2006年8月 1日 (火)

労働して過ぎて行く時間

早くも職業病の症状が発現しています。

症例1:普段道路歩いていて、信号の無い十字路にさしかかったところで自転車や車両が止まっていると、思わず「どうぞー」の振り(左腕を伸ばして、右腕をぐるぐる廻す)をしそうになる。そこで譲ってもねぇ。
症例2:駅のロータリーで、交通整理シミュレーションが脳内で勝手に始まってしまう。
症例3:歩行者や車両、自転車とすれ違う時に、無意味に微笑んでしまう。

いつも交わす言葉は挨拶と決まり文句しか無い、孤独な工事現場ではありますが、今日は工事のおっちゃんと仲良くなった。
私が18歳だということが判明した瞬間、盛大に驚かれた。驚かれ慣れているのでもう、笑うしか無い。
しかし会話をした事で安心したのか、仕事もスムーズにいった。ような気がする。
今日は2車線道路での初片交!あと初十字路!

…肉体労働はやっぱり、ただやるだけである程度の達成感が得られてしまって危ないな。

ハトが道で座っていたり、野良猫がやたら道を通過したり、民家の玄関前でトカゲがひょろっと出てきたり、生き物を沢山見た。あとムクドリの大群。あれはちょっと怖い。ヒッチコックばりに、若干空が暗くなる。
木の下には、早くもセミが落ちていた。あぁ、命短し。

ところで最近の犬ってあまり遠吠えしないように思うのですが、どうでしょう。
遠吠えをついぞ聞かない。自宅の近所でも今日の工事現場周辺でも、散歩している犬は沢山見るのに、遠吠えはめっきり聞かない。
なんでかな。
室内飼いが増えたから?家の中では遠吠えしているのかしらん。聞こえないだけ?
それとも、犬ネットワークが希薄になったのかしらん。通信していないのかな。
あとは、しつけかなぁ。…でも、遠吠えって無駄吠えに入るのか?
そもそも無駄吠えって…本人(犬)にとっては無駄じゃないだろうにな。それを無駄って。犬に対して失敬だ。
あ、遠吠えの件、情報お待ちしております。

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