« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月30日 (金)

つきぬけた

暑いですね。
こんな日には仕方なく、ただでさえ大きな顔を更に大きく見せるという魔法の帽子(!)をかぶるしかありません(帽子が非常に似合わない)。

何だか原因不明のワクワク感が押し寄せています。

「世の中なんて腐ってて当たり前。腐ってない世の中なんて、あったためしがない。そんなことにクドクド幻滅しないで、俺らはブンブン楽しくやってくぜ」
って、飛び込んだバイト先の社長が言ってます。卑屈?違う。宣戦布告だ。

大学出て、結局オフィスレディになっちゃったらどうしよう(これは心配しなくても全然なれそうにない!)とか、そういう不安はありますよ。今、散々この社会は駄目だ〜とか言っといて、結局自分がそっち側に取り込まれてしまったらどうしよう!と考えると笑えないですよ。
でも、面白い事やってる人は、居るんだよ。実際。そりゃ数にしたら少ないだろうけど、居るんだよ。
そういう人がいるっていうのは、仲間がいるっていうことでもあるし、ライバルがいるっていうことでもある。

そういう人に出会う度に、勇気づけられ、同時に悔しくて焦ったりする。

面白い事がしたいなら。
出来なかったらどうしよう?とか、考えてる暇はもう、無いでしょ。
やるしかないでしょ。例え上手く行かなくても、そこで諦めてしまう程、ヤワな自分ではないでしょ。
何が面白いか、面白くないのか、それは自分が決める事。周りに心配かけるのはそりゃ、良くないけど、周りからの評判とか、そういうのに縛られちゃ面白くない。
もういい、今はそのまま走れ!つきぬけろ!
後の事は後が今になった時に考えれば良し!

オモシロ世界は、飛び込んで行けば結構広がっている。ラクじゃない。それでもいい。それがいい。
面白い方へ、面白い方へ。
目標は無い。誰かみたいになりたいとかも無い。そのかわり相当勉強ね。吸収ね。
自分が一番楽しまなくちゃ。

つきぬけた。


読んだ本: ブレヒト 『三文オペラ』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月29日 (木)

動物園談義+上野好きだなぁ

学校終わって帰りの電車に乗って、さて渋谷に行こうか上野に行こうかと迷った所で、カメラを持っていたので上野を選んだ。時間的に動物園にも行けたしね。

例の「いなくていい人」問題以来、何か色々動物園について考えていた。

動物園を否定する向き…動物が可愛そうだとか、狭い所に閉じ込めて残酷だとか、そういうのもある中で、動物園が好きであるという自分をどうしようとか。どうもしないけど。
可愛そうだと言われるとね…何とも言えないんだよね実際。狭いのは否定しようが無いし。
でもそう言う人の頭の中にある「自然の中で悠々と暮らす野生の生活」っていうものには、意義を唱えたい。その「野生」のイメージっていうのは多分テレビとか映画で見たイメージそのままなんだろうから、それは作られてるものだって事が気に入らないわけなんですけど。野生が実際どうだとか、人間が判断出来る事か?
そもそも今の動物園の動物は、親も動物園生まれっていうものが多いから、野生の概念は多分知らないっていう、これまた皮肉な現実もあるわけです。
それでも野生が一番良いに決まってる!って言われると…うん…確かにそうなんだろう。…動物園の動物は、ある意味”生け贄”になってしまうんだろう。

でも、動物園が無いと、私が動物を見られないんだよ!
ものすごいわがままだと思うけれども、動物園が無くなったら、当たり前の話、動物が見られない。見るには実際現地へ行かなくちゃならなくなって、そうしたら観光客が殺到してまた自然破壊になるんじゃないかと、思うのですが、どうでしょう。…あ、でももしかすると、みんなそんなにしてまで見たくないのか。それだと…平気なのか。

でも見たいじゃん。
動物っていうのは、「他者」ですよ。ましてや異国の野性動物なんて、日常じゃ絶対に触れられない。それを生で目にするっていうのは、絶対何かインパクトのある事件となりうる。逆に、その動物の存在を生で実感せずに、…テレビとかで与えられる映像だけ見るのは、何か、うまく言えないけれども、…あーうまく言えないけれども。
実際見れば、やっぱりそれなりの感動とかあるわけですよ。あーこんな動物が居るのか!!と。その先に、その動物が棲む国に思いを馳せたり、絶滅の危機に瀕している現実とかを思うわけです。動物園はそのきっかけになり得ます。
誰にも知られず、絶滅していく種が地球上で実際に居る中で、「こういう動物がいるよ!」っていうことを知らせる役割だけでも大きいと思う。

一般的に言われる、動物園の役割。
教育施設としての動物園。娯楽施設としての動物園。種の保存施設としての…言わばノアの方舟としての動物園。
教育としての機能は上で書いた通りだし、娯楽についてはいつも言ってる。
種の保存としての機能は、例えばズートック計画(絶滅寸前の種のうち、各動物園でそれぞれ担当する種を決め、近隣の動物園から個体を集めて、よりよい環境下での飼育によってその種の繁殖を進める)とか。そうして生まれた動物を、野生へ返す試みもある。それぞれ大変な根気の要る作業だ。
今上野動物園に居るエゾヒグマの双子なんかは、親が山から民家まで下りてきて殺されてしまい、幼くして孤児になったところを引き取られた。そういう例もある。
動物園というと、野性動物を勝手に取っ捕まえてきて展示している、っていう印象がまだ有るとしたら、それは改めて欲しい。もしそれやってたら違法です。そういう例は確かに在るようだけど。

娯楽だけじゃなくて、もう一歩踏み出して考えてもらえれば、それだけで動物園の存在意義は有ると思う。
とにかく言いたいのはね。可愛そうとか、そういう所で思考停止するなよって事です。
あとついでに加えるなら、出来ることなら、可愛い可愛くないだけで動物を判断しないで下さい。

また長々と綴ってしまった。


こんな事を考えていたからか、今日は珍しく何事もいつも通りだなぁ、と油断していたのです。ミナミコアリクイが地上に居たくらいか、と。
そうしたら、また意外な所で。今日の主役はバクです。マレーバク。
マレーバクが、走ってた。全速力で。
微妙に長い鼻をくねらせながら、同居してるカピバラやラマを機敏に避けながら、たったか走ってた!
たまげたなぁ。だってバクですよ。こう言っちゃ失礼だけど、アクティブな印象とは程遠いバクですよ。走るところなんて見た事無かった。しかも結構長い時間走ってた。呆気にとられて、写真撮るのも忘れました。
あと、飼育係さんがワオキツネザルをねぐらに返すやり方も見た。長い棒を見せると、自分より大きいものを見るのが嫌なワオキツネザルはねぐらに逃げ込むんだそうです。

上野東照宮行って、上野公園経由でまたアメ横。今日は時間があったので久しぶりに全体的に回れた。
パイナップル食べたりね。海苔屋さん行ったりね。アサクサノリとか色々試食させてもらった。流石に北海道のは無かったなぁ。
古着屋とか雑貨屋とか色々回る中で、久しぶりに行った店で、店員さんに顔覚えられてたのがびっくりした。

色々な人と、かなり喋ったなぁ。喋りだしたら、もう堰を切ったようにどんどん言葉が続いてしまって止められなかった。結局何も買わないのにね。アメ横はいつもそうだ。

私はきっと喋ってれば元気なんです。
自分が話したことで、相手が笑ってくれた時に、最大の幸せを感じます。癒しです。

うん。良くなる。良くなる!


読んだ本:カフカ 『変身』


(29日23:42 一部訂正。
走ってたのはマレーバクでなくアメリカバクでした!ご指摘頂くまで完全に勘違いしてました。ごめんなさい。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

違いの分からない人間

今日、利き海苔というものをやったんですよ。授業中。
板海苔が1人3枚配られまして、それぞれ

中国産・有明産・東京産

だということで、果たしてどれがどれか?と。
それぞれ食べて、何となく違うと言われれば違うというのはわかったけれど、どれがどれかは全然わからなかった(飲食禁止の部屋なのに、みんなして海苔をパリパリ食べてて可笑しかった)。結局1つも当たらず。

自分が舌の肥えた人間だと思っていたわけではないけれど、あぁ所詮こんなものかと悲しくなったね。
折角違うんだから、その違いを、わかれよ自分!
こだわりとか、手間とか、読み取れなくちゃ何か…作った人の苦労がまるで浮かばれないし、何より、自分が貧しい。

味覚にしても。何にしても。
あぁ、審美眼。

全然関係無いけど、うちの猫は焼海苔が大好物です。

前評判とか、そういうものにいかに自分が依存しているかということだな。
何らかの周りの影響から何かに対して「これはいいものらしい」という意識を持って、それからそれに触れると、大体プラスの印象しか深まらないんだよな。「いいものである」ということはもう決定済みで、そこを疑おうとは思えない。自分がする作業は、その上で「どこがいいのか」を探すことになってしまう。
逆に「全然駄目らしい」という印象の中で、実際に触れても、大体はそれを覆すことにはならなくて、むしろ駄目な面にばかり目が行く。

自分のひ弱な審美眼では心もとないから、「知ってそうな」人の情報に頼っているんだな。今は。今はそれでしょうがないし、そこを疑っていては結局何の進歩にもならないから、それでいいんだけど。
いずれは自分で分かるようにならなくちゃ。自分の判断に胸を張れるようにならなくちゃ。

あ、海苔は北海道のウルップイノリが最高級なんだそうですよ。食べた事無いけど。


幼なじみが横断歩道渡ってる途中で10tトラックに轢かれて、2週間意識不明だったらしい。何か色々痛い詳細を聞いた。でも生きてるんだからよかった!
…もう本当皆さん気をつけて下さい。命あっての物種。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月27日 (火)

近頃の胸底

大したことのない生活を送っていると、真面目な話…例えば政治とか国際情勢の話…をするのがおこがましくなってくる。それをお前が言えるのか!と。言える資格在るのか?と。資格なんて言葉が浮かんでしまうのは、もう大分腰が引けている証拠。
なんでだろう…知ってる事は増えている筈なのに。知は力なんじゃなかったっけ? どうしてどうして、知れば知る程、無力感に陥る。
知る。外の社会を知る。それは情報や学習によってだったり、自分の目で見たり。とにかく世界はどんどん広がって、どんどん複雑になっていって、自分は相変わらずこの自分。…いや、違うな。世界は元から広かったし複雑だった。ただ今まで自分がそれを知らなかっただけなんだ。
…いずれにせよ社会に立ち向かっていく自信がどんどん崩れている。所詮、無知の上に成り立つ自信なんてたかが知れていたんだけれども、いかんなぁ。確実にスケールが小さくなってる。波に埋もれてしまっている。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

羽田。干潟。カニ。渋谷。

羽田空港の近くにある多摩川沿いの干潟に行ってきた。観察会。
潮干狩り以外の目的で干潟に行ったのは初めてです。
カニ、あんなに居るとは思っていなかったので驚いた。
アシハラガニ、クロベンケイ、カクベンケイ、アカベンケイ、コメツキガニ、チゴガニ、ヤマトオサガニ、等(忘れないように書いておく)。大量に居た。ゴカイも居た。シジミも居たようだ。
カニを捕まえるのに、最初は、掴んだ側からハサミで挟まれて、びっくりしてカニを吹っ飛ばしてばかりいたが(申し訳ない)、コツをつかんで以降はなかなかうまい具合にいった。カニを捕まえるには、こう…上下を持つんでなく、左右を持つと良いのです。わかりにくいな。しかしカニは歩くのが早かった!音とか振動とかに敏感で、すぐ察知して穴に潜ったり逃げたりする。そっとしておくと、わいわい出てきて大変だった。
昔、荒川上流から捕まえてきた沢ガニを飼っていた時の事を思い出しました。全然違った。
カニ、種類豊富だなぁ。奥が深いなぁ。何かあの中には絶滅危惧種も居たらしい。大量に居過ぎたもので、いまいちありがたみがわからなかった。
これで晴れたら干潟中がもっと凄い事になっていたらしい。凄いな干潟。

でももう少しで無くなってしまうらしい。干潟。羽田で新しい空港の建設が始まると、多摩川の流れが変わってアシ原が削れてしまうんだそうだ。アシ原が無くては干潟は駄目なんだそうだ。
開発…色々悩む事もあります。開発すれば確実に利益を受ける人が居ることはわかってて、ノスタルジーみたいなもので開発に反対するのも、何か第三者的で違う気がするし、かと言って放っておいて良いものかとも思うし。
開発が絶対悪ではないし、環境を保護、することで良い事ばかりが起こるわけではない。
でもねぇ…無くなったらもう戻らないんだよなぁ。そこが気になる。

穴守稲荷駅から向かったのですが、途中通った商店街で目にした看板、店名、標語、スーパーで扱っているもの、あらゆるところでいちいち独特なセンスがあって面白かった。何なんだろうあの町。

その後品川から渋谷に行くまでに寝て、寝過ごし、結局山手線一周。
渋谷は今日も人が沢山居た。一体一日何人来てるんですかね。交通量調査とかやってみたいです。
やっと念願のサンダル購入。丈夫で履きやすくて思いっきり走れるサンダル。これでいつ梅雨が明けようと大丈夫だ!しかしあと一週間は雨模様なようですね。
それはそうと、地図無しで行ける場所が大分増えてきた。迷子も無駄ではないなぁと思う。

さて、6月最後の週。頑張りましょう。
また懲りずにイスパニア語予習一夜漬けでこんな時間になってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月25日 (日)

留守番

暑かったですね。服装が既に真夏仕様な私は、これから来る夏本番をどう迎え撃つつもりなんだろうと不安になります。
外は暑いし室内はクーラーで寒いし。大変だなぁ。夏なのに厚着するのも馬鹿馬鹿しいし、かといって薄着で行くと冷房にやられるしな。

朝、みんな出掛けるから今日は留守番しててねと言われた。
留守番っつっても別に番する程の事もないと思うんだけどなぁと……つまりお前は遊び歩き過ぎだから一日くらい大人しくしてろって事か。そうか。今わかった。
借りてきたDVDを見たり猫と遊んだり久々に料理したり。インドア生活をそれなりに謳歌した。それなりに。

…。
今日は暑かったですね。


今日観たビデオ: イングマール・ベルイマン 『野いちご』
今日観たDVD: ロバート・ロッセン 『オール・ザ・キングスメン』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

現れたか突破口

体幹トレーニング再開しました。近頃は空腹時しか腹筋の所在が確認できなくなってしまったので。
体力だけで生きてるのに、体力すら失っては困る。

しかしまぁ…
いい加減もう耐えられない!もういやだ!!
って感じになっています。特に先週から今週にかけてのこの、何もなさよ。本当にイラレしかやってないな。
何か、選り好みしたり怖じ気づいたりして、いろいろな事を見送って、ずるずる引き摺って、結局今に至るわけでしょう?何だよ一体。
先月の今頃が丁度、唐ゼミの練習見に行って、終電逃して漫喫で夜を明かした日でしょう(あれから一ヶ月というと早い気もするし、ずっと昔の事にも思える)。あれを経験しておいて、あれを経た現在がコレか。情けない。

色々嫌になってまた寝坊。コンピューティングの授業だけのために大学行って、放課後そのまま何もせずに帰る。遠回りして帰る。つまらん!何かもうつまらん!
最寄りのツタヤ(金曜はレンタル半額)で、勢いに任せて手当り次第に借りて来た。これで埋まるとも思えない。現に映画見たってこうなんだから。映画見てる本数からすれば今月が最高なのに、どうしてこうも退屈に思えるんだろう。自分が観客にすぎないからか。「自分が」何かやりたいからか。「誰かの」作品を、ずっと黙って見ている「自分」に耐えられないのか。
それか…勝てないからかな。どんなに見たって当分は勝てないからな。誰に?あらゆる人に。色々手を出したせいで、私は全ての分野において経験が浅い。
何にしても、相手の得意分野に、丸腰で挑んでいるこの感じ。互角に渡り合えるようになるには、手っ取り早い方法なんて無くて、ただ見続けるしかない。あー悔しいなぁもう。
と言うか、すぐに勝ち負けを持ち出す性質は改めた方が良いんじゃないかと思う。

先週アルバイトに名乗りを上げたものの、ダメかなぁと思っていた所から、メールが今日来ていた。
写真、という以外、何やってるんだかよくわからない所なのですが、何か匂うんです。面白い匂いが。
現在のダメライフの突破口になるよう、頑張ります。サシなら任せろ。サシじゃなくても任せろ。面接。
何事もきっかけだ。要はきっかけだ。
これで駄目ならもう何でもいいから何処にでも身投げする所存です。


今日読んだ本: イプセン 『人形の家』(読了)
       萩原朔太郎 『猫町 他十七篇』 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

引きこもり失敗→映画→上野

何の夢を見たのか忘れたが、とにかく目覚めた時の気分が非常に嫌な重さだった。
朝食を食べた後再び布団へもぐり、今日は大学へ行くまい、と決めた。初サボり。嫌な重さも相まって、気分は引きこもりだ。午前中は完全に引きこもった。と言うか寝てた。
…しかし慢性的な退屈にやられている自分が、「完全に何もしない」ことに長時間耐えられる筈も無く、挫折。外出。そのまま大学へ行けば別にいつも通り講義へ出られたのだけど、渋谷で降りる。


『キングス&クイーン』2回目。
見れば見る程好きになりそうで大変だ。
まず、その深さ。全ての映像、音、に意味が在る。ぼーっと眺めてなんていられない。「物語の進行」という表層だけに気を取られていると、結局何も受け取れないまま終わってしまう。物語の進行にはさして関係無いと思われる細部に、あらゆる事が込められている。関係無いどころか、物語よりもむしろ細部の積み重ねの方が主体なのではないかと思う。「1分間のシーンの中に4つのアイディアを込め」られており、それが150分間積み重なっているのがこの映画だ。大変なことだ。
そしてその無数のアイディアの中で生きる登場人物の魅力。まさに生きている。残酷なほどに徹底的な暗さも、穏やかな軽さも、全て入っている。そしてどちらも真実だ。私は相変わらずノラを見ていて身につまされるのだが…。
何か、「こう読み取れ!」という押しつけも無く、自由に思考できるというのは、こうも幸福な事なのかと思う。そして同時に、あらゆる思考の可能性を取り入れるこの映画の広さと深さについて思わずにはいられない。

ノラがイスマエルの入っている病院を訪れて、イスマエルに会うまでの場面がとても好きだ。
あと、ノラに対するアリエルの感想…「バカそうだけど」という何気ない一言が、真実をついていそうで妙に残る。
本当に全てのシーンで誰かしらが話していた。全部のシーンが重要で、全部の要素が必要で、それらで出来上がっている。濃いわけだ。深いわけだ。こんな映画を作るなんて何事だろうと思う。


その後青山ブックセンターへ行く。実はイメージフォーラムからとても近かった。本屋で緊張するというのは久しぶりだ。良い意味での緊張。しばし見とれる。デザイン系の並びを中心に探検。グリッドシステムを使ってそうな雑誌を立ち読み。イラレの本を立ち読み。結論:イラレで画像の切り取りは出来ない!
そして銀座線で上野まで行き、久しぶりにアメ横を歩く。広小路駅から入ったら、土地勘が狂って知らない場所へ行ってしまって焦った。でもおかげで古着屋が見つかったので良し。
いつもの店で店員さんと喋る。お客さんに、店で扱う服のこだわりについて熱く雄弁に語ってる様子を見ていて、あぁ頑張ろうと思った。本物とは何か、ということだ。最近忘れてたな。

引きこもってる場合じゃない、と思いながら帰宅。
凹んでてもいいけどさ、凹んでるからって何もしないんじゃ最悪だ。

先月の労働分の賃金が入った。何か交通費ケチられてたので抗議しようと思う。労働…面接とかで「ラクですよ」とか言われると萎える。あと「誰にでも出来る仕事ですから」とかそういうもの。まぁ本心では無いだろうと思いつつ、本心でないことを切に願いつつ。
ラクして金稼ぐとか何事だ!とか言って、そんなんだから結局体力系に落ち着くんですね。事務とかできるようになる日は来るのだろうか。


今日見た映画: アルノー・デプレシャン『キングス&クイーン』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

こうしてわたしはすれっからしになっていくんだわ

苛立つのは余裕が無いからだ。
悔しさを感じたところで何もしない。この何もしないっていうのは何事だろう。
諦念に負ける…というより、もはや戦ってすらいないんじゃなかろうか。すり抜けちゃったんじゃなかろうか。

身の回りの何かしらを、下らないと否定するにしても、そう切り捨てられる程の事を自分はやってんのか?っていうかこの先もできるのか?  と思うと、とても後ろめたい。

かつて存在した自分の中のあらゆる基準というものが、色々な影響によって散々に崩れた今、好き/嫌い、や、良い/悪い、といった、まず自分が受ける印象が信じられない。かといって壊された後に宛てがわれた「より高い次元での基準」にもしっくりと順応できない。順応するには時間がかかる。
…何か、変わったのは確かだけれど、変わりきれていない。どっちつかずだ。

難解なもの、今まで触れた事もなかったものに触れる。それは確かに従来の「ただ与えられていたものを受け取っていた」鑑賞の仕方とは異なる。自分で考えなければならないから。
観客になりさえすれば自動的に感動なり笑いなりカタルシスを与えてくれていた「娯楽」に比べれば、遥かに労力がいる。知識がいる。だから難解なものは、メジャーにはなり得ない。少なくともただでさえ現実生活に疲れた一般の人々が芸術に求めるものは、おおよそ非現実の中での娯楽であり、癒しなのだから、わざわざその場で難解なものを選び取る人が多い筈が無い。
現代芸術は…娯楽や癒しを目的に作られるものではない。娯楽や癒しを求めるような観客を必要としないらしい。そういう方向を敢えて選ぶということは、一般的なエンターテインメントからどんどん離れるということだ。
自ら狭い所へ入って行きながら、自分が「少数者」であることを嘆き、同時にどこかでそれを理解しない「多数」を蔑んで悦に浸るようなインテリにはなりたくないと強く思う。自分だけがわかれば良いというのでは、それでは…周りは変わらない。世界は変わらない。どうせわからないんだろうから、わかってくれなくたっていいよっていうのでは…。

私は知らなければならないと思う。知らないのに否定は出来ない。知らないのは悔しい。どうせ知らないでしょと言われるのは悔しい。
何目指してるのかは知らないけれど、今悔しいから今知りたい。
知っても知っても知らないことだらけだ。無知の知、なんて呑気なこと言ってられない。


…あーもう、何かもう、言葉ばっかり偉そうでやんの。もう嫌だ。本当嫌だ。何だか全てが言い訳のようだ。
その日言えなかった事を書く。その日の行動の弁明を書く。そんなブログなんてやめてしまえ。


今日読んだ本: イプセン 『人形の家』 (主人公の名前、ノラだなぁと思って)
今日観た映画:『TRICK劇場版2』(高校の友人に誘われて)

| | トラックバック (0)

2006年6月21日 (水)

夏至イヴだっていうのに

今日も日が暮れるまで大学の一室にこもってDTP。…。
それなのに今年はもう諦めたとか言われると、もうこれは悔しい以外の何物でもないです。
いつか絶対目にもの見せてやる、と静かに闘志を燃やすのでした。相手は相当手強いけれども。

何かもう、自分はかなり単純に出来てるんだなあと思う。
誰かに声をかけてもらうと嬉しい。楽しく喋れれば嬉しい。
それだけで何となく良い気分になれてしまう。

ヨット部の先輩とすれ違って、今何やってるのって聞かれたから何もやってませんと答えたら哀れみの眼差しをもらった。そうなんだよ。何もやってないんだよ。結局。

根拠も無いのに楽しかった日は、夜がつらいね。


今日読んだマンガ: みうらじゅん 『アイデン&ティティ』
今日観たDVD: ジャン=リュック・ゴダール 『女は女である』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火)

やるしかないの。

また一週間が始まって、今週が終わってしまったらもうすぐそこには7月が控えているのですね。
夏至を過ぎてしまえば、またどんどん日が短くなっていくのですね。
(そうか、夏至は明後日か…夏至の日には自転車で土手沿いを走って海まで行こうと思ってたんだけどなあ。そうかぁ平日なのか。しかも水曜か。)
何か、時間の経過にどこかでめちゃくちゃ怯えながら、近頃はもう目の逸らし方を覚えてしまったような…そんな感じがする。イラレっていう、都合の良い対象もあるし。何してるんですかね本当。

映画にしろ芸術にしろ文学にしろ、私が知らない事なんて莫大にあるわけで、一つ一つ消化していっても、得ることはいつも「知らない事だらけだ!」ということだけです。その背後に、更なる未知の存在がありありと浮かんでくる…果てが無い。そもそも一つ消化するにも、一度や二度見たり聞いたり読んだりした位で分かった事には全くならないんだから、更に果てしない。

知らないこと、分からないことが、いちいち悔しい。その悔しさをどこにぶつけよう?ぶつける所無いんですよ。悔しさと共に、知る作業を続けることしかできない。それ以外は全て、逃避になる。今している事は紛れも無く逃避だ。
修行かこれは。そうか修行か。

すごいものを見た時に、あーそりゃすごいねぇーって感心してやりすごす事ができれば、ラクなんだろうけど。それをすごいと認めた瞬間に、反射的に対抗意識が芽生えてしまうタチだから、もう今あらゆる方向に身構えているんだよな。すごいこと、その一つ一つから「挑まれている」ように感じてしまう。
売られた喧嘩は買うといってもさ…全部買ってたら、ちょっとそれ戦えるのか!?負けるんじゃないか?
体力は大して心配してないけれど、時間も限られているし、映画にしろ何にしろ、先立つもの…(日本銀行券)だって馬鹿にならないし。現に今は、写真に割く分が全く無い。
しかし相手を一つに絞るにも、その対象を何にすべきか、自分じゃ決めようがないもんなぁ。優柔不断だから。

そんな労力使って、知りたい事を知ったとしても、それでどうなるっていうのさ?っていう残酷な問いもあるしね…
そんなのわからない。これから自分広げようっていうのに、広げた先にあるものが何なのか、狭い今から想像できるわけがない(もしかすると何も無い、っていう切ない予想はある)。半分本心。半分言い訳。

お先真っ暗だ。あー将来とか未来とかいらないなー。今だけじゃ駄目かい。とは言え今も駄目なんだけどさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

唐組を見た

行ってきました。
望み通りにまんまと凹んで帰ってきました。
…精神構造が屈折してます。わかってます。

まず花園神社がわからない。雨の中を方々迷って、歌舞伎町界隈にまで迷い込んで、何度も駅に引き返して、またあらぬ方向へ行って…の繰り返し。交通整理の人に郵便局の場所を尋ねたのに、何故あの時神社も聞かなかったんだろうと今思った。
しかし半ば諦めていたら、何か知らないけど目の前に見つけた、というわけで無事当日券を買えたのでした。
そして開場までの時間をジュンク堂で立ち読み(座り読み)して潰す。外へ出たら雨が止んでいた。ナイス。
また神社へ向かおうにも、何せ先程が行き当たりばったりだったものだから、同じ道を行くという事ができず、また迷う。整列に遅れる。予想以上に人が多くて驚く。

芝居は楽しかった。相変わらず『凄い』しか浮かばないこの成長の無さはどうしたものだろうと思うけど。
唐さんを実際に目にするのが、そう言えば初めてだった。だから実際演じている唐さんを見るのも感慨深いものがあったけれど(舞台脇に映っていた影は、本当に小学生そのものだった)、唐さんが舞台に上がっていなくても…劇中に出て来る言葉、事象、物体、そういうのものに直接唐さんという人物の存在を感じた。視点というか。そういうものを、授業とか本とかテレビを通して触れた時よりずっと濃く感じた。当たり前と言えば当たり前だけど…生(なま)とはこういうことか、と。

あっという間に終わってしまい、余韻が引いて行くにつれてまた、おなじみののネガティブが出現。要素は相変わらず唐ゼミに対する畏怖(もはや畏怖)と、それに比べて自分は何やってるんだっていうことと。何もしていない自分も含め、まぁものの見事に変化しない。成長しない。

そしてきっとこちらもおなじみの怖い顔で帰ったんだと思う。
電車の窓に映る怖い顔の自分を更に睨みつけるものだから、どんどん怖くなっていった。
全然眠かったわけでもないのに、ふと気付いたら乗換駅を2駅過ぎていた。気を取り直そうと『色彩論』読んでもろくに頭に入らないし。
近頃はもう何か自分が何をどうしたいのかもわからない。完全に埋もれちまったね。

怖いよ。怖い。


今日観た演劇: 唐組 『紙芝居の絵の町で』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月18日 (日)

映画×3

何やらネット上の文字化けが日に日に激しくなっていく今日このごろ。どうしたもんでしょう。これって自力でどうにかなるもの?

今日は渋谷で映画3本(うち1本は立見)。イメージフォーラムに初めて行った。と言うかあの方角に行くのが初めてだった。あの方向をずっと行けばABCがあるらしい。今度行ってみよう。

今日から公開の『キングス&クイーン』、ご覧になることを強くお勧めします。
話的にはなかなかヘヴィなのに、押し付けず、決め付けず、な視線なので重々しくならない。いやむしろ見てて楽しかった。普通の楽しかった、というのとはちょっと違うけれども…なんだろ、共有して、共有したものを一緒に解放する感じ。
リピーターは300円引かれるって言うし、また観に行こう。また感想も変わるかもしれない。映像と音声について触れない感想は感想じゃないと…言われますけれど、ネタバレ回避と、まだよくわかってないのとで、今日のところはこんなもので。
ただ、デプレシャンナイト行って良かったなぁと心から思いました。

その後付近でつけめん食べて、人でごった返した渋谷を徘徊し、タワレコ、トイカメラ屋を覗いて、曖昧な方向感覚に任せて知らない道をふらふらしてたら次の目的の映画館に着いてびっくりした。方向音痴でもたまにはこんな事もあるんだなあと思った。

今月ずっと黒沢清特集やってるシネマヴェーラ渋谷。二本立てとトークショー。時間ぎりぎりで入ったら既に満員。一本目とトークショーは立ち見。
まず『回路』、昔から怖いものが非常に苦手なので、もらった座布団をずっと抱えながら見てました。何か、怖いとか痛いとかそういう感情にやられて映画を淡々と直視できないというのは困ったものですけれど、だって怖いんだもの。細胞がざわざわするんだよなぁ…。
でもそういう時に、ああ自分生きてるなぁと認識するんですよ。半ば確認作業ですね。え?自分平気だよね?っていう。
その後監督と西島さんのトークショーを経て、ずっと観たかった『ニンゲン合格』を観て、雨の中帰る。

映画ね…好きなの?って言われて、何故か昔ほど素直に好きと言えなくなってきた。好きだけど、…。っていう、その”…”が入るようになってきた。
単に娯楽として観られなくなったというのもある(良くも悪くも”学習”になってきた)。
でも、ある映画に対して、自分は好きとか嫌いとか判断するに値する観客なのか?と思うようになった、っていうのが一番大きいと思う。
一本の映画に、音、映像、といったあらゆる要素が詰め込まれている中で、自分は果たしてどれだけのことを観られて/聴けているのか?と考えると全く自信が無い。いわゆるシネフィルの人なんかとは比べ物にならないなぁと思うと、更に自信が無くなる。
評論とか読むと、そんな見方があるのかと感心する一方で、じゃあ自分が見たものは何だったのか?と…。それぞれの見方があって当然で、それらの間に優劣は無いとはいえ、やはりどうしても映画経験の多い方の見方が“正しい”と思ってしまう。

好きだけど、自分の、映画を観るという行動は、なんか空回ってるような気がします。
どんなに多くを観たとしても、いつまで経っても観客でしかない、しかも相当長い間は駄目な観客でしかない、っていうのは…耐えるしかないけれど、正直きつい。
でもやっぱりすごい映画を観るのは絶対プラスになるからな。観ておくべきだな。

明日午前のうちにイスパニア語予習が終わったら、唐組観に行く。頑張ろう。
…エゾロック行く為に貯めたお金は、度重なる出費でとうに半分以上無くなっています。今年も行けまい。仕方無いです。


今日観た映画:
 アルノー・デプレシャン  『キングス&クイーン』
 黒沢 清  『回路』
 黒沢 清  『ニンゲン合格』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

I want to meet an elephant likeminded.

↑どこで目にしたのかは覚えていない。図書館?かな?
多分まだ英語を習ってい間もない頃に見たものだから、文法とか合っているのか非常に怪しいけれど、「気の合うゾウに会いたい」という訳と共に、妙に頭に残っている一文。
ひょんな事で出会った、自分とは全く違う生活をしている何者か(その極端な例がゾウ)が、実は自分と気が合う、っていう。
そんな事はそうそう起こらないし、そんな事に希望を託したら何か完全に現実逃避だと思うけれど、やっぱり希望ですね。あったらいいなっていう、…ファンタジーですね。
それを急に思い出したのでした。夢見る年頃、再び。


早く大学行こうとして通常の金曜に比べて2時間近く早く家を出たのに、事故で電車が止まって結局いつもと大して変わらない時間に着く。
以下、着いてからの行動。

mac室でイラレ

4限:コンピューティング

再びmac室でイラレ

…何だかパソコンやってばっかりだ、
と突然危機感に襲われ、mac室の床に転がって久しぶりにカウンタークランチストレート(大の字に寝転がって、両腕両足を床から僅かに離し、その体勢から、右肘左膝、左肘右膝、を交互に引きつける、体幹部のトレーニング)をやってみる。10回でキツい。明らかに衰えている。当たり前だけど。


帰りの電車でまた別の事故の影響で遅れる。事故か…
今日という日のうち、大分長いを電車の中で過ごしました。


ぐずぐずしているうちに6月も折り返してしまった。
今月後半は巻き返しを図ります。
全然がんばってない。がんばれよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夕焼け

夕焼け

撮影:2006年6月16日18時58分
場所:横浜(大学のmac室(4階)より撮影)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月16日 (金)

足りないもの

昨日で何かふっきれたか?と思いきや、表向きはいつもと変わらない生活を送る。
何が変わったのか…わからないけどちょっとその辺を駆け回ってみる元気は戻ってきた。
しかし相変わらず文章が書けない。枯れた。困ったな。レポートとか結構これからなのに。
原因は思い当たります。
ここのところ(半月ほど)誰ともがっつりと喋っていない。
元々サシで(←これ重要)誰かと喋っていないとすぐ調子が狂う性質です。逐一出して行かないと、考えている事がそのまま沈殿していくんですね。そして重くなる。鈍る。停滞する。何考えてるのかもわからなくなる。
語彙の枯渇の原因はここにあると踏んでいます。今の生き甲斐はイラレぐらいだもんなぁ。…いいのかそんなんで。人と関わろうよ人と。
こんな時にも、無所属であることの不利というものを感じます。身軽なのは良いけれど、それ相応の軽い付き合いしかできないような気がします。

イラレやってて、上手い具合にいっていたところで突如フリーズ。強制終了。データ消失。
どんまい。10秒に一回保存しろってさ。
昨日買ってきたヨハネス・イッテンの『色彩論』を読んでいる。ちょっと、知れば知る程、何もできなくなってきている。何事も適当にできないな。
しかし…先月『作者の死』を読んで、文章に対する姿勢も変える必要を感じても結局ブログ今もこんなんだし。全然生かせてない。

うん。何もかもを生かせてない。

| | コメント (0)

2006年6月15日 (木)

もう6月折り返しか!!

私の脳内DJは凄腕(?)なので、その瞬間瞬間の心境にドンピシャな曲を常にBGMとして流してくれているのですが、今日ばかりはちょっと勘弁して欲しかった…

”時間をかけて自殺しているようだ”
(ホフディラン『自殺(仮)』より)

…絶妙すぎてしばらく立ち直れませんでした。

何だか非常に駄目な状態が続いています。今日の講義なんてまるで頭が働かない。頭の中がすっからかんだから、何も共鳴しない。何も書けない。水曜日なのに!
悲しい気持ちで部屋にこもってイラレを延々やり続け(今はDTPの練習やってます)、長方形を五等分するやり方をやっと編み出して、何とかグリッド線を引くまで到達。カメの歩み。
帰りに新宿に寄って、ツタヤの後、ジュンク堂に行く。あの本屋さんは本当に好きだなあ。落ち着く。あれこれ見て回って、つい長居してしまった。

帰宅してから借りてきた『東京物語』のDVDを母と見る。落ち着く。
いろいろ俳優さんの名前とか教えて頂いたが全くわからない。お化け煙突だけはわかった。
小津さんの映画は、全部のシーンがまるで写真だ。構図というか何と言うか…すごくきれいだ。場面の流れ、風景の扱い方、どれも流れるように自然だ。すっごいなぁと思いながら見ていた。笑った。


思えば、大学入ってから今まで、部活にしてもサークルにしても、乗りそうな流れはあったんだよな。あの時は乗る事を選ばなかったわけだけど、もしあそこで一歩踏み出していたら、きっと今の自分は居ない。良くも悪くも。宙ぶらりんだから出来ることもあるし、宙ぶらりんだから出来ないことだって沢山ある。
今のユウウツは結局一人では何も出来ないということに気付いて以来のことだ。潮時かな、とどこかで思う。とにかくこのままだと永遠に今の状況を抜け出せない。本当に、時間をかけて自殺しているようなものだ。

自分を変えるであろう波が、今確かにある。か、もしくはもう過ぎてしまった。
乗るべき波を逃すのが一番愚かだ。でも、楽しそうだから乗る、っていう軽い気持ちで乗れる波ではないと思う。誘われたから乗るっていうのは違うと思う。
迷っているっていうより、…なんだろう。何迷ってるんだろう。
恐れ多いといっても、もう恐れ多い事に飛び込んで行く以外に進歩は無いって、わかっているんだしなぁ。


ここのところのブログが完全に独り言化している。
内容がつまらないっていう事はつまり、生活がつまらないという事になるので非常に後ろめたいです。


今日見た映画: 小津安二郎 『東京物語』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月14日 (水)

おめでとう

後輩が引退するっていうのは何だか変な気持ちです。また新たな代へと変わっていくんですね。
皆さん本当お疲れ様でした。って皆さんこれ読んでないけどね。そういうのは直接言う事です。

女子スカルとダブルが優勝、インターハイ出場…おめでとう。

嬉しいんですよ。そりゃ嬉しいですよ。同じクルーで漕いだ事もある。一から育てて、一緒に成長してきて、むしろ最後の方はこちらが育ててもらっていたとも言える、そんな後輩達が結果を残した。
去年のちょうど今日、最後のミーティングで、先輩の分まで私たちがインターハイに行きますと言われた事を思い出します。そして有言実行。よくやったね。嬉しいに決まってるじゃないですか。

あー…やっぱりどこかに卑屈な思いがひとかけらあるのが大人げないところです。
私が行きたかったんですと未だに思うところが情けないところです。素直に喜べよ先輩。
何かもう、いい加減ふっきれて欲しいです。自分が、すっきり引退、とは程遠い状況だったのはもう仕方の無い事なのに、それを1年も引き摺るって…弱っ。


完全に道に迷っていても、さも自信があるかのように歩くことが出来るようになってきた。
…駄目だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月13日 (火)

応援というのは口実だね


イスパニア語の予習に、いつも5時間はかかるのはわかっているのに、また懲りずにギリギリまで放っておき、真夜中に始めたものだから、結局終わらないまま朝になってしまいました。カッコウが鳴いていました。

今日はインターハイ県予選大会。大学行く前にちょっと見に行こうと思っていたので、そのまま支度をして、5時58分の電車に乗る。7時に着く。誰もいない。土手で仮眠。
それからしばらくして現れた皆さんと旧闊を叙する。どうやら当初の予定で行くと何も(出艇すら)見られないことが判明。一体何しに来たんですか状態。天秤に掛けた結果、2限をサボることにする。すると予選レースが殆ど見られる。
今になれば、予選なんて抜けられるに決まってるんだから、わざわざ見ることも無かったかなと…問題は明日の決勝なのです。優勝しないとインターハイには行けない。がんばれ。
夜を徹したテンションに任せて調子に乗り、応援で大声張り上げたり、一年生に混じってレースの伴走なんかしていたものだから、体力を必要以上に消耗した。紫外線も体力を奪います。

3限からは語学だし流石にマズいだろうということで大学に向かう。電車の中で強烈な眠気に襲われ、それから大学へ着くまでの記憶が曖昧。
…ふと意識が戻ったら、そこは乗り換えなければならない駅で、慌てて出ようとしたらドアが閉まり、しかしどうしても降りたかったらしい意識朦朧の私は、反射的に閉まるドアの間に手首を突っ込み、無理矢理こじ開けて電車を降りたのでした。寝ぼけながら迷惑行為。ごめんなさい。

昨日の日記はノスタルジーじみてて嫌だ。
何と言うか、今は完全に老後だな。『頑張ってた』自分にすがりながら生きてるなあ。
その自分はもう今の自分とは違う。去年に比べれば体重は落ちてるし筋力も衰えているし腰のこともあるし、もう同じ事は出来ない。だから切り替えないと駄目なのに。まだ「ボートをやっていた自分」に頼っている部分が大きい。
後輩の応援に行けば、そりゃ「先輩」としての立場があるからやりやすいし楽しいよ。でもその立場は過去に作り上げたものなんだから、今それに頼るのは過去に乗っかっているだけでしかない。後輩の中に居る私はきっと、去年の「先輩」のままなんだろうし。
なまぬるい。

眠すぎてちょっと頭がぱかぱかしてます。
小学生の時、ランドセルのふた(ふた?)を開けっ放しにしたまま走るとふたがぱかぱかしましたけど、あんな感じです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月12日 (月)

自分を更新できていない状況

どんなに雨が降ろうが、野外ライブはやるし、ボート競技だって中止になんてならないし。
雨の日も雪の日も台風直前の暴風の中でも漕いだという経験があると、もう怖いものは無いです。
真冬のプールで沈(艇から落ちた時の)練習して、「これで風邪ひいたら退部ね」って言われた経験があると、もう何にだって耐えられる自信があります。
思い出どころの話じゃない。思い出す前に忘れられません。
染み付いてしまったものを非常に疎ましく思うこともあるけれど、やっぱりボートは好きだ。

という事を、全日本選手権を見ながら思ったのでした。
優勝以外は負けなんだよな。0.01秒に満たない差であっても、負けなんだよな。シビアだけど、だから練習するんだよな…。
武田さんの漕ぎ…あの強いフィニッシュを見なよ!一本の伸びを見なよ!あれでまだ自分の漕ぎを下手だっていう姿勢を見なよ!完全に照準は世界選手権にある。凄い。

明日から後輩はインターハイ県予選。多くの人にとっては事実上の引退試合です。
あれからもう一年か…。早すぎてびっくりする。

私はもうリタイヤしてしまった身だけれど、今でも大学でボート続けている友人は居る。
中には毎日艇庫で寝泊まりして、朝5時から漕いでその後大学行って、また授業終わったら艇庫に帰ってきてまた夜遅くまで漕いで…というボート漬けの生活をしている人もいる。
ただ楽しいのは罠だ、とか、ただ忙しいのは罠だ、とか、ただ熱中するのも罠だ、と思っているけれど、やっぱり、実際何かに打ち込んでいる人にはそんな偉そうな事言えない。何もしていないヒマ人に言われたくはないだろうし。
私は安易な目標に頼らなくても打ち込める何かを見つけるんだ、とは言いながら、今の所全然、やっていることは去年に比べれば甘っちょろい事ばかりだ。
これじゃ、運動部に入っていた方がマシ、という事になってしまう。現に今はそう。この様子だと自分一人では何も出来そうにない。結局自分は何か拠り所が無いと何も出来ない人間なのではないか、と、更に悲しい事実を突きつけられつつあって、もう当初の勢いはどこへやら。完全に停滞してます。

みんなに明日会うんだよな。何話すかな…気が重い。
うちの大学にはそんなに徹底してる部活が無いって言ったって、そりゃ言い訳だ。部活やってる人に失礼だ。
でも…ボートより凄いものがやりたいんだよな結局。そうそう無い…少なくともスポーツには無い。と思う。

全然まとまってないけど、これで終了。


今日見た映画(ビデオ): アルノー・デプレシャン『そして僕は恋をする』
今日行ったライブ: ゆらゆら帝国/V∞REDOMS  @日比谷野外大音楽堂

| | トラックバック (0)

2006年6月11日 (日)

いなくていい人だった

今、決定的な事に気付いてショックを受けているところです。


…私がいなくても、上野動物園は充分やっていける!!!


当たり前だと思われると思いますが、私にとっては非常に痛い。
何せ向こうは日本一の入園者数を誇る動物園ですよ。旭山動物園にたまに抜かれるとしても、有名であることに変わりはないですよ。私が今まで数十人の人を連れて行ったとしても、十数人をを案内したとしても、所詮その程度の貢献ですよ。そのくらいの事は、あってもなくても、あちらとしてはきっと関係無いですよ。特に金銭面での援助をしているわけでもないし。
こちらが勝手に、別に必要でもないことをちょこちょこやってるだけなんだろうさ。

あー何か動物園さえ取り上げられてしまったようで寂しいな。

今日は、自分がいかに何もしていないかを自覚するために何処へも行かない事にしたのです。
「暇」を直視せざるを得ないようにしたのです。
そうしたらこれだ!この有様だ!ほら見たことか、ろくな事にならない。

だからって、いなくていいからって、消えようとは思わないけれどね。迷惑でも居座るけどね。ただちょっと寂しいだけ。

しかし、自分じゃないと駄目、っていう事なんてのはそうそう無いよ。ってか無いよ。
確かにそりゃあ理想だけど、そんなことを探し出したら延々探し続けることになるよ。
だから迷惑でも居座る作戦でいいと思います。たまに生じる寂しさは我慢するしか無いと思います。


…なんだなんだ?文面上はスッキリ解決か?気持ちの中では全然解決されていないんだけれども。
日記を毎日つけてブログを更新していると、その日の出来事とか思考をその日のうちに消化・解決しなければならないような感じになってくる。日々成長しなきゃ!みたいな。
そんな事はできません。だからこう…現に堂々巡りなんだ。


朝、母に「お父さん」と呼び間違えられて、昼、父に「お母さん」と呼び間違えられた。
……。


今日観た映画: フランソワ・トリュフォー 『恋のエチュード』


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月10日 (土)

何だかなあ

午前中は、睡眠に睡眠を重ねたので、今週分の睡眠不足を清算。来週分もこれで大丈夫。だといいんですけど。

大学の同じ課程の人達と飲み会だった。
久々にああいう場に行ったので楽しかった…はずなのに、どうして帰りの電車の中での脳内BGMが「さよなら人類」(たま)だったんだろう。延々と。 …延々と。何故?

飲みの席で話聞いてて、何か皆忙しいんだなぁと思った。
サークルとかバイトとか部活とか。掛け持ちとか。ちょっと驚いた。自分、ヒマどころの話じゃないなこれは。自分の日々の生活の感じをひとしきり話したら、笑われた末、ダメ人間扱いされたしね。
まぁね。ダメっすよ。ここのところ、いよいよダメだよ。夏休みが怖いよ。果てしないよ。
あと本当に「今まで怖くて声掛けられなかった」的なことを幾度と無く言われた。席替えした先で喋っていて、気付いたら男子に姐さん呼ばわりされていた。
悪いのは私ですけど。こうなったらもう開き直るか。でも引きとめてくれる友人が居た。ありがとう頑張ります。

なんだか最近の一連の自分の行動は、もう完全に逃避になっている。マズいね。これは。
与えられた目標に向かって一直線に頑張る、的な体育会性質を脱却したい一方で、やっぱり何か与えられないと何も出来ていない自分が現に居るわけです。
中途半端な事はしたくないとか言いつつ、その自分にとっての「中途半端か否か」の基準は、他の人に認められるか否かにあったりするような気がする…本当嫌ですね。散々外からの基準というものを否定しておいて、結局それに頼っている、っていう。そう認めるのも悔しいけど、だから現に今ふらふらしてるんだと思う。
この調子だと本当、何も出来そうにない。
こんな具合に一体何日浪費してるんだろうと思うと、自分で自分に呆れるわ。
呆れるわ、とか無責任に言ってられる状況でもないんだけど。


サルになるよ  サルになるよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

内容が無いのは眠いから(ということに)

昨日もそうだけど、その日考えていたことが、パソコンを前にすると飛ぶという事態に直面しています。そして次の日思い出すんだよな。そしてまた忘れる。考え溜めすると、いずれ忘れてしまうので早いとこ対処しなければ。

ところで初めてトラックバックというものが現れたのですがこりゃ何ですか。しかも「ムササビ」。楽しい。偶然にも今日、文化人類学の講義で、山岳民族のフィールドワークの間に、ムササビの腸を生で食べた時の話を聞いた。
教授曰く、「口に入れた瞬間、口の中に森が広がった」。
ムササビの食べたもの(木の芽とか実とか)をまた食べたのだから、確かに森の味がしそうだ…。実体験した人の表現というものは凄いなと改めて思いました。

不思議な六月の夜@下北沢CLUB Que に行ってきました。覚えている限りの詳細は追々という事にするけれど、やはり私はあの人達が同じステージで音楽やってるのを見るのがものすごく好きです。
自分の中のポジティブもネガティブも全部ひっくるめて丸ごと音楽にして生きてきた人達が、今ここに揃って心底楽しそうに演奏しているという”現場”に立ち会う。私にとってはとても幸せなことです。隣にいた人と仲良くなれたし、明日からも頑張ろう。とりあえず今日は感慨のみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 8日 (木)

久々動物園

明るくなってから就寝した。
寝不足も度が過ぎると、夜なべのハイテンションが、僅かな睡眠を隔てた起床後も続くんですよね。だから意外とその日は大丈夫なのだけれど、そこで安心してはいけない。寝不足の波はその次の一日にこそやって来るのです。大丈夫か明日Queなのに。
そういうわけで午前はわけのわからないノリで過ごす。その勢いが失われるにつれて、昨夜書いたレポートの内容にだんだんと首を絞められ、時間と共に凹んでいく。
そしてイラストレーターの課題はまだまだ繰り出されていく!面白いから良いんだけれども。

上野に行きたくて行きたくて、行った。またギリギリ4時に動物園に滑り込み、ふらふらする。
いい天気だったので、閉園直前でも結構人が居た。今日はスケッチの人が多かった。
あの、毎度新しい発見があるとか言ってますけども、今日ばかりは自分が恥ずかしかった。上野動物園にシカなんて居たんですね。…本当知らなかった。五重塔周辺は全くマークしてなかったからなぁ。いかんいかん。
今日は主に西園シフト。今日はナマケモノが活発だった。しかし目と口を開けているナマケモノは、ちょっと怖いよ。あと夜の動物コーナーのトビウサギ、三日前に産まれたばかりの赤ちゃんが居た。毛が生えた状態で生まれるんだそうです。
西園小獣館は、個人的にとてもお勧めです。特に地下の夜の動物コーナー。大好きだったブチクスクスは大分前に死んでしまったのだけれども、現在の三大アイドル(勝手に決定)であるフェネック、カコミスル、ショウガラコを筆頭に(?)、マイナーだけれども非常におかしな動物が居ります。あと夜行性だから、大体目が大きいんですね。だから総じて可愛い顔をした動物が多い。
あ、ここで突然ですが、モモンガとムササビの違いがわからない方へお教えします。モモンガは別名「空飛ぶハンカチ」、ムササビは「空飛ぶ風呂敷」です。ムササビの方が大分大きいんです。
あとはコビトカバのコウメの様子を見て(母と一緒に泳いでいた)、不忍池の方から出る。蓮の葉が段々と出てきていますね。夏だね…
目当ての動物を探して迷っている人に道を教えるのは良いのですが、更に動物について何か解説するのはどうも違う気がする。別に知識を得に来ているわけではないのだから、娯楽のつもりで来ている人に向かって教育しても、それってお互いに楽しいか?と思う。いや、でも間違いは正さないとな…とも思う。イソップ橋を渡って西園側の木の上に居るカナダヤマアラシを、通りかかる人は、意外に結構高い確率でコアラと間違うんですよね。でもまぁ、コアラに見えたのならコアラで、いいかなぁと思う。
細かい事は(細かくないけど)、結構どうでもいいんです。動物園に来てくれてありがとう。つまりそういうことです。おだやかな気持ちになります。
上野公園をうろつき、動物園正門出口隣りの上野東照宮でおみくじを引く。おみくじはここでしか引かないようにしています。行きつけだからか、よく当たる。中吉。短気が原因で縁談を逃すってさ(中吉か?)。

あと課題になっていたので『ダ・ヴィンチ・コード』観てきました。ちなみに原作は読んでいません。
何だろう…何かスケールは大きそうだし、謎解きやサスペンス的な展開やらスタント撮影とか激しいカメラワークでやたら観客の注意を引くつくりになっていたのに、どうも空っぽな印象がした。人は神の道具っていうセリフが出てきたけれども、まさにそんな感じで…人物が、ストーリーを進める為の道具、でしかないように見えてしまって、困った。
しかし原作好きの観客の話を聞いていると、面白い、という意見が多かったので、原作を読んでいれば何か変わったのだろうか?と思ったけれど…あれですね。元々、大ヒット!みたいな触れ込みがあると斜に構える性分なので、それも影響したのだろうな。

…遂に二日分の眠気が襲ってきた!ここは抗わずに寝よう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月 7日 (水)

迷走は続く

語学だらけの月曜日と、理系しかない火曜日と。そういう時間割りにしたのは他でもない自分なので文句は言えません。数学は、いよいよ「不可」の足音が聞こえてきます。

ここのところイラストレーター(イラレって訳すらしい)ばかりやっていて、他の事をしていない。今日も8時過ぎまで作業。確かにある程度の技術は得たと思うけれど、これでいいのか!という不安もあります。まぁどうせ他の事と言っても、動物園行きだったりそぞろ歩きだったりしかしないんだろうけれどもさ。
2時間あれば映画一本見られると思うと、通学の2時間が惜しい。

いつになっても、相変わらず何もしていないものだから(何をすれば「何かしている」に入るのかが自分でもわからないのだけど)、自分は最後まで何もできないんではないのかい?という不安は常に付いて回ります。ここ2ヶ月位ずっと付き纏われている。何もしていない自分を見ているのが嫌で、誰か他の人が面白い事をしているのを見に行くんですかね。きっとそうでしょうね。しかしその楽しさは後ろめたいね。あとで尚凹むだけだね。

話は飛びますが、階段を速く駆け下りる極意は、滑り落ちるようにして下りることです。一段一段踏んでいる認識はありません。足が地に付いている認識もありません。よく昔のマンガで登場人物が走っている時、足の辺りがぐるぐるになっていますが、まさにあのような感じです。最近駅の階段でサラリーマンと競争しています。あの人達はやたら速く術を身につけているので、あなどれません。でも負けない。あ、真似すると骨折するかもしれないので気をつけてください。

そういう事をしていろいろ紛らわせています。真っ向から立ち向かうと負けます。
気持ちがへなちょこだと文章もへなちょこだね。
…へなちょこって、いかにもダメそうで、字面からして凹むなぁ。レポートが書けない。

空元気でへらへらしてるからいけないんだな多分。必要以上に深刻ぶるのもどうかと思うけど。

駄目だ。今日は駄目だ。今日も駄目だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これが


先々週の土手〜荒川沿い散歩で見つけた小屋です。(今更上げてみる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

写真について反省すべきこと

今まで私が撮ってきた写真は、だいたい全てが記念写真でしかなかったと思う。
友達と撮る、とか、旅行とか何かのイベントの時に撮る、というのは勿論そうだが、そうでないもの…風景写真にしても、動物写真にしても、「あ、いいなぁ」という瞬間を目にして、それを撮る、という、「残す」という目的としては変わらないと思う。あとで見返して楽しむための写真。
そうなると、だ。思い出はいらない。今過ごす時間を、過去を思い出して楽しむ為に割くというのが嫌だ。常に今を楽しんでいないと嫌だ。という心境になりつつある今、それだけならば写真なんていらなくなってしまう。
そもそも、「あ、いいなぁ」と思ってからカメラを構えるのでは遅いのだ。「あ、いいなぁ」と思った瞬間の風景は、思った瞬間に終わってしまうのであって、せいぜい写真に残るのは、自分がいいなぁと思った数秒後の風景だ。それがどんなに上手く撮れたとしても、絶対に自分の目が見て「あ、いいなぁ」と思った、そのきっかけとなった風景には勝てない。しかも、残るのは数秒後の風景の方であって、本当にいいなぁと思った風景は残らない。忘れてしまう。そして結果的に写真となって残った方がその当初の風景に取って代わってしまう。ある意味腹立たしいことだ。

残したいものを撮る、撮りたいものを撮る、というのは狭い。もっと別の方法で写真を撮れないだろうか。
希望があるとすれば、それは、こんなものが撮れてしまった、という驚きの方にあると思う。
現像してみて、あぁこの人こんな顔するのか、とか、あれはこんな瞬間だったのか、と驚く写真が、ごくごく稀だが、ある。狙いとは無関係に、むしろ狙いを裏切って、偶然撮れてしまったもの、その方が絶対面白いし、外の世界に開いていると思う。狙って撮れるものでないから、より難しいと思うけれど、これからはこちらの方に価値を置いていった方が良いのではないかと思う。「あぁ、いいなぁ」にしても、反射的に思わず撮ってしまった、というものならいいのだけど。思い出作りに貢献させるために写真を撮るのは、勿体無いというか、貧しい。
そういう意味では、君(カメラ)にはこう見えていたのか!、という現像の結果が出てくるトイカメラは面白いと思う。

写真の授業があるわけではないけれど、いろいろ影響されてこう思ったのでした。

| | コメント (0)

言葉という手段

今日の映画論は質疑応答の時間。面白かった。

…私の言葉は良いだの面白いだの、抽象的でわからないと言われます。私もそう思う。言葉を重ねれば重ねる程遠ざかってしまうから言わない、それは、言い訳だろう。それでも言葉によって近づく努力をしなければ。
自分の基準に基づいた言葉ばかり使ったところで、相手に伝わらない。単に自分の内側にあるものを感想として言うのでは駄目だ。初めから相手に伝えることを回避していて、ずるい。相手と共有している外側との接点から始めなければならない。どこを良いと思ったのか、なぜ面白いと思ったのか。そこが重要だって。
というわけで、はい、やり直し。

今日の映画論は、質疑応答の時間で、個々の作品でなく映画というもの自体の話が聞けた。
メジャーな映画とマイナーな映画について(違いは制作費で決まる)。現在の配給システムの問題(やはりお金が大きい)。完成した作品の封切りが遅れるのは何故か、を質問した。何かいろいろなビジネスが関わっていてややこしい事になっているようです。配給会社とか劇場主とか…。
 その中で、良い映画を見極める為の嗅覚を得るには、映画の現場に足を運んで、あらゆる映画を見て(年間300本×5年くらい)経験を積むこと。映画にしろ何にしろ、ちょこっとかじっては、いちいちびっくりしている身にとっては果てしない話だが、人生を送る上で、それはぜひ得たい能力だと思ってわくわくした(…またお金が要る)。

これでいいのかな?少しはマシか?間違ったか。でも、間違いを恐れて何も言わないのは、そのまま停滞するだけね。いつまで経っても言葉にできない。今の自分にある武器は言葉だけなんだから、せめて使い物にしたいものです。
この頃は日記ですら文章を書くのがうまくいかないので、どうしようかと思っていたが、今の私には何も書けませんというのも言い訳だと思うので、やはりレポートを書こうと思う。

どうやら今週は予定が多い。健康に過ごそう。
動物園に行きたいなぁ…


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 5日 (月)

6月3日→4日

今までの講義とか読んだ本の中で出てきた、私のまだ知らない本や映画をリストアップしてみたら、思いのほか多くて面食らう。しかし少しずつ消化していくしかない。

池袋へ、トークショー+アルノー・デプレシャンの2作品のオールナイト上映を観に行く。
昼にチケットを買って、一旦帰宅して準備と仮眠。夕食を食べて再び出発。
23時ともなると、昼とは全く違っていて、これが繁華街なんだなぁと思いながらシネマ・ロサまで歩く。先輩に会う。
割と早くに入れたので席は自由に選べた。しかしこの時、痛恨の選択ミスをやらかしたことを後々思い知る。
トークショーは青山真治、黒沢清両監督と、樋口泰人さんの三人で、生で観るのは初めてだった。頑張って付いて行く感じだったが、面白かった。
で、映画。目下睡魔との戦いだと思っていたが、もっと手強い敵の存在を忘れていた。うかつだった。
クーラー。
自分が選んだのが、冷風の直撃をもろに受ける席だったことが判明した時にはもう遅い。惨敗。
いかに体温を下げずに時間を過ごすか、が至上命題になって、残念ながら鑑賞が二の次に…情けない。しかしあれは寒すぎだ。周りの人も寒そうだった(そう見えただけかもしれないけど)。
映画(『魂を救え!』『そして僕は恋をする』)自体も、複雑でとっかかりというか掴みどころがなかなか見えてこなくて、体力を消耗した。まさに耐久レース。
そして朝になった。眠いし寒いし内容把握出来てないしで、非常に悔しい初オールナイト参戦となりました。
教訓。長時間観る場合は特に、クーラーの存在を忘れると痛い目に遭う。

絶対もう一度観よう、と思いながら、足元ふらふらで池袋を後にした。

空腹もあり、あらゆる意味で体力を擦り減らしたので、がっつり朝食を食べよう!と思って、新宿の吉野家で豚丼(並)を食べる。朝は納豆定食が人気のようです。周りで食べてるおじさん達の3人に2人は納豆定食だった。朝の都会を訪れようキャンペーン2回目だが、やはり人が居ないと都会は寂しいですね。開いていない伊勢丹の周りを一周して、電車に乗って、眠気が酷いので山手線で仮眠。2周くらいしたと思う。起きたら、原宿駅で若い子達が大挙して降りて行くところだった。

その後大学へ行って、illustratorの課題の続きをやる。…これは、終わりそうにない。
こつこつ出来ないのが悪いんですね。外国語の予習にしても課題にしてもレポートにしても。

そして再び新宿へ行き、人の群れを見ながら、やっぱりこうでなくちゃなぁと思う。紀伊国屋行ってTSUTAYA行って帰る。


自分が何もしていない事に焦る気持ちも依然としてあるけれど、とにかく今は、今自分が触れているものに集中しようと思う。講義とか、周りの人との関わりとかから、全部吸い取れるように。取り入れる余地だけはやたらあるからね。
講義自体の空気が、ただ単位取るのが目的っていう感じになっている一般教養なら、多くは望めないけれど、そうじゃない講義もある。他の何かを得られそうな、奥に何かがありそうな。そういうものから受け取れるだけ受け取る。それしか今は出来ない。不安でも何でも、全力でさまよおう。今やらなくちゃならないことをしよう。

気付いたら前期も半分過ぎようとしているので驚いた。…もう過ぎたのか?


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 3日 (土)

金欠・遅刻・反省・観劇

ここのところあちこち歩き回っているせいか、相次いで靴下が擦り切れている。しかし靴下の為にお金を出すのが億劫だ。先月上旬にイヤホンが壊れて右側の音が聞こえなくなったが、こちらも新しいものを買うのをためらっている。
何せお金がいくらあっても足りない。読みたい本見たい映画、読まなければならない本見なければならない映画、聞きたい音楽行きたいライブ・演劇、等々。切符代も写真のフィルム代現像代もバカにならないし。お金は入っても使い道が決まっているのですぐ消える運命にある。ある限りは使う。貯金が減って行く一方だ。
というわけでバイトを増やすことにした。
しかし今日、朝食を食べた後、のんびりとしていたら、うたた寝してしまってバイトの面接に遅刻した。

(今日はどういうわけか遅刻デーで、時間が定まっていることの全てに遅刻した。授業も公演も5分遅れた。)

もう、呑気な向きは終わった。長くはないなとは思ったが、早かったな…。呑気と言っても例の焦り自体は変わっていなかったのだけど。しかし焦りは変わっていなくても、もう時間は結構経っている。入学してから2ヶ月だよもう。時間だけが経っていることもそうだけど、何より、4月に比べたら大分マイルドな日々を送っている今が嫌だ。大学生活に慣れたから、というだけではない気がする。
先月父に、お前そんなんで将来どうするつもりなんだって言われて、そんなこと今の自分の狭い世界の中で決められるわけないじゃん!と啖呵を切った(半ば逆ギレ)けれど、近頃は自分を広くする努力を怠っていると思う。
広くするなら、知らない事分からない事に向き合っていかないと駄目なのに。好きな方好きな方に、居心地の良い方に、と偏って行って、あー駄目じゃん。全然駄目じゃん。

背番号零『絶筆往復書簡』を観に行った。
この2ヶ月で得た唯一の事、自分の頭は全く使い物にならない、という発見。それを活かして、思考は放っておいた。今目の前で何が起きているのか、それを観てやれ聞いてやれ感じてやれ、というスタンスが、諸芸術に対して、今の自分にできる最良の見方だと思う。テントでない、狭い場所で演劇を観るのは初めてだった。とにかく初めて観たものは刺激が大きくて良い。同じ舞台上で複数組の会話が同時進行していって、それらは関わりは無い筈なのだけど時折フレーズが重なる瞬間があって、…その、繋がった時の空気が不思議だった。正直内容は把握しきれなかったが、こういうことも出来るんだ、と思った。

明日はアルノー・デプレシャン作品のオールナイト上映を観に行こうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 2日 (金)

のんきだ

開校記念日で今日は休み。何をしようか?と朝食を食べながら考えた。いつになく穏やかな休日なので、こんな日なら家に居ても大丈夫だろう、と思って久しぶりに終日電車に乗らず。布団を干して、部屋の片付けをする。

どうも暑いので、そうかもう夏か!と思ってカレンダーに目をやったところ12月だった。
…まだ去年のものが壁にかかっているのです私の部屋。今年のは無い。もう6月なのに…

夏自体は好きだ。しかし私の場合、夏は敵が多いので上手く切り抜けるには技術が要る。
まずクーラーが苦手。26℃を下回ると、頭は痛くなるしお腹は冷えるしで完全にやられる。これからは、いつもの長い電車通学中ずっと冷房の中に居ることになる、と思うだけでぞっとするものがある…。
かと言って外に居ると、汗っかきなので凄いことになる。通常かく汗に加え、手の甲からは大粒の玉の汗がぽつぽつ浮いてくるし、膝からも吹き出して流れて行くし。
しかしまぁ以上2点は対策を練って何とかなるのだが、コントロールが効かなくて一番困るのが、鼻血。
早くも今シーズン初出血は済ませた(しかも映画論の時)。あれは困ります。夏は頻度が上がる上に、量もハンパじゃなくなるの。血が止まるまで行動を停止しなければならないし、鼻血が出ると威厳(?)と言うか、覇気と言うか、そういうものが一気に消え失せるので本当に困る。何か良い方法はないものでしょうか?
この3つを克服できれば、夏は大好きなのになぁ。あ、あと日焼け止めが苦手だ。

今月はにこやかに過ごすと決めたわけだが、にこにこしていると、それだけで何か楽しくなってしまうという状況が生まれつつあり、これには弱った。単純だな自分。もともと呑気なので、このままへらへら過ごしてしまうんじゃないか、と、新たな不安を覚えます。今日の午前中なんてずっと歌っていたし。
とにかく目標追加。本を読もう。難しい本を読もう。そろそろまた自分を叩き落とす作業に入ろう。それで何が生まれるかわからないけれど、この呑気な流れはマズい。
何となく楽しいっていうのは、これは、罠だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 1日 (木)

本当に怖いのは

毎週凹まされる水曜日、いつになく穏やかにこの日を迎えた今日は…
35歳の自分について書くということをした。何でも、35歳以降のフリーターはフリーターとは呼ばず、肩書きは「無職」になるんだとか。つまり境界ということか。その時期を迎えた自分の姿を想像する試みだった。
そして自分は結局何者にもなれず、充実したセカンドライフを送るおじいちゃんおばあちゃん達と動物園のボランティアをする事しかしていない像を描いた。というか描くというよりこのままいけば自然にそうなるだろう、ということでほぼ自動描写。動物園を訪れる自分と同世代の家族連れを見るにつけ惨めな思いをする、仕事にしろ子供にしろ何も「生産」していない事に対する社会からの疎外感を間に受けている、だの、云々。しまいに自分は唯一の将来の夢である長寿すら叶えられずに終わるだろうという結論にまで至った。
悲劇かな。悲劇なのだろうが、全く凹まなかった。他人事だと思っているわけではない。ニート、怖いと言いながら現に今ですら社会からはぐれてしまった感があるので、今更改めて予測を立てても別段新たな恐怖も湧かなかった。年齢を重ねることで増す取り返しのつかなさ、というものをまだ甘く見ているな、とは思うけれど。

でもやはりそれは怖くない。何もしていないことは、確かに少しは怖いけど、本当に怖いのは、何かに全てを注ぎ込んでやり続けているうちに待ち受ける、「自分の理想とする世界には、自分が必要ない」という結論を悟ってしまう瞬間だ。
自分はそこにいなくていい、むしろいない方がいい、という事を自分で認めざるを得なくて、それに気付いていながらも、そこに身を置きたい、無様でもしがみついていたい、っていうあの状況。あの状況が、恐ろしい。諦めた方がラクだし、誰も諦めるななんて言わないし、聞こえるのは無理しなくていいんだよっていう声だけ。そういう状況下でも尚、殆ど自分のエゴだけでそこに踏みとどまっている時の惨めさ。しかもそれで頑張っても上手くいくわけでもない。それまで「頑張って」いたからこそ、自分より凄い人がどれだけ凄いのか、どれだけ自分が取るに足りない存在なのか、は自分が一番良く分かる。段々自分の中からも、無理しなくていいんだよっていう声が聞こえだして、自暴自棄になって、しかしそれを取ったら一体自分に何が残るの?と思ったりもして。

これが今の自分の中での、どん底像だ。去年のちょうど今頃の状況。当時の私にとっての「それ」とは、ボートだった。頑張る、と、無理する、の違いに悩んだ時期でもあった。そしてその見定めを誤った結果が、一番大事な大会を前にして、疲労骨折により全力で漕ぐ事のできなくなった自分。部をまとめる立場から、クルーのお荷物的存在に転落し、そのクルーを外れるまでの葛藤や、外れてもなお部に居座り続けたことの後ろめたさは、ちょっと今も思い出したくない。

何かに全てを注ぎ込んでいると、いつかそういう恐怖にぶち当たる。果てしない惨めさを体験する。その対象が好きであればあるほど、程度が酷い。
何もしていないということは、漠然とした不安こそあれ、それは切羽詰まった恐怖にはなり得ない。ただ何となく時間だけが経過していくだけで、それを恐怖と呼ぶのはおこがましい気がする。今自分は完全に後者の側に居るので、偉そうな事を言えたものでもないけれど。
怖さの度合いで言えば前者の方がずっと大きいのに、それでも前者の側に居たいんだなぁ。いずれまたあの状況、もっと酷い状況が来るかもしれない、と思うとぞっとするのに、そっちを選びたいのは何故だろう。その方が面白いからだろうか。何だか自分にとって全ての基準は、面白いか否かだな。

どんな状況に置かれようが、その自分を自分が認めてくれるかの問題なのではないかと思う。自分が自分の味方でいてくれる限りは、どんなに凹んでも元気に生きて行ける。自分に見捨てられると痛い。

こんな事を考えても、穏やかな日は穏やかなので凄いと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »