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2006年5月31日 (水)

子供じゃないならね

何かに付けて反射的にガキっぽい行動をとるところをどうにかしたい今日このごろ。諸悪の根源は焦りでしょうか。それだけではない気もします。くれぐれも、周りに迷惑かけるのだけは止そう。

先輩に教えてもらって、イラストレーターの操作が少しずつわかってきた。新しい機能を見つける度にいちいち感激している。まだ全く手探りで使っているけど、これ使いこなせれば面白いだろうなぁ。

その流れで大学に長居してしまい、時間が危なかったので駅まで走る。何だか一日に一度は何かしらで走っているような。
そしてライブを見た。思えばライブなんて8ヶ月ぶり。不思議な六月の夜、前夜祭。どうせこの時期は何かしらで凹んでるだろうから、と元気が出るように予定入れておいたのだけど、効果は絶大だった。例え一時的なものでも、その時間を楽しむことが必要だ。何てったって自分、微笑んでたもの。微笑むなんて動作をしたのは久しぶりでした。一人一人のステージも勿論良かったけれど、やっぱり全員揃ってるところが一番面白い。もうあのメンツ絶妙だ。不思議だ。来週のQueも楽しみ。

何かねぇ、時と場所を問わず、何かしていると「お前は、それで本当に楽しいのか?」「どうなんだ?それがお前にとっての『楽しい』なのか?」と問いかけて来る自分が居て、時に鬱陶しいですね。素直に楽しませてくれないんですね。あなたが居なければ、私はどんなにかラクに生きていることだろう!、と思うことも多々ありますよ。
楽、と楽しい、は違うから、良いんだけどさ。別にラクしたいわけでもなし。

気さくに生きよう!笑顔でいよう!というのを来月の目標にしようかと思う。内心は相変わらず彷徨っていているんだろうから、せめて見かけだけでも、かろやかでいようと。ただでさえ梅雨だし。


今日の一曲: ホフディラン 『スマイル』

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2006年5月30日 (火)

おだやか  ?

穏やかな気持ちで過ごす月曜なんて初めてなのではないか?と思う。しかし穏やかさの中にも静かな焦りは常に在る。今までの焦りとはまた違った焦り…結局一人では何も出来ない、という。かといってどこへ着地するかもわからずふわふわしている。
今月触れたあらゆるものに影響されて、凹んで、それで私はどうした?自分何やってるんだ、と漠然と思ったまま、問いを突き詰める事も無く、ずっとそのままで今度は逃避生活。結局何も変わってないんじゃないか?
何か決定的に間違っている。特に唐ゼミの人達とは、立っている所も、見ているものも違うような、そういう気がする。狭いところで一人で楽しい事探しに明け暮れる、そういう日々をただ過ごすだけの生活は、つまらん。確かに昨日は楽しかったけど。これがこの先ずっと、かと思うと嫌だ。それは断固として嫌だ。ぬるい。
中途半端な事するくらいなら一人で居るさ、と思っていたくせに、今まさにその中途半端な日々だ。笑えない。

今自分がすべきことって何だろ。それを今自分はしていない、という事だけはわかる。
覚悟の問題なんだろうか。

…おかしいなぁ今日は穏やかな筈だったのに。

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2006年5月29日 (月)

たのしい川べ (荒川ver.)

朝のうちはぼーっとしていた。雨がおさまった頃にのんびりと家を出て、後輩のレース(関東大会)を見に行った。
開始時間や終了時間を全く聞いていなかったのが悪いのだが、到着したら男子クォードルプル決勝のゴール(つまり最終レース)の瞬間だったという、間が良いんだか悪いんだかわからない状態だった。やっちゃった感が漂う中、そそくさと帰ろうとしたらコーチに見つかる。どんまい。折角なので、と後輩に会いに行く。何しに行ったのかわからないがとりあえず、インターハイ県予選が近いので激励した。結果もレース内容も良かったらしい。見たかった…インハイ県予は平日で授業がある。授業がある。…。考え中。
あと一ヶ月もしないうちに後輩が引退か。何だか変な感じだ。

と、予想外に予定が終わってしまい、大学の文化祭に行こうかなと思って電車に乗ったが時間が微妙だったので却下、途中で引き返し、山手線を3分の2周して帰る。
帰って駅から自宅まで歩いていたら、折角カメラ持ってるし、天気の変わり目は空がいい感じなので土手に写真を撮りに行こうと思いつき、土手まで行く。
土手に行ったのは久しぶりだった。空が広くて、雑草が鬱蒼としていたのではしゃぐ。所々青空で、雲がいろいろ混ざっていて、西の方の夕日の周りの空が橙色で良かった。光が漏れているところなんて良かった。
調子に乗って寝転がって空を撮っていたら、前方から来た、自転車で犬の散歩をしているおじいさんに見つかる。急いで飛び起きて素知らぬ顔をしようと試みるが、何してるのと聞かれたので正直に空を撮っているんですと言う。それから風景談義になり、ここは冬の夕日が最高だよねという話になり、あの鉄塔が邪魔だということで同意する。そしておじさんは夕日を見て「ほら今いいねぇ!」「今いいねぇ!」と言いながら自転車で去って行った。

それで俄然テンションが上がり、土手を降りて川沿いの方へ歩いて行くことにする。土手向こうから川までは一面麦畑になっており、家は無い(台風で水かさが増すと完全に浸水してしまうので)。見晴らしが良いので、調子に乗って麦畑の間のあぜ道をどんどん歩いて行ったら、自分の身長以上の雑草が鬱蒼としている中を細い道が一本ある状態の場所に着き、どうしても行きたかったので入る。
何か野原(野原どころのレベルでないが)の中に、はしごの上に小屋があるのが見え、秘密基地っぽさを醸していたので近づく。道沿いに歩いていたらそちらに向かえそうな細道があるが立ち入り禁止でロープが張ってあった。もうわくわくしていたので、気をつければ大丈夫だろうという判断の下、侵入。小屋までの道がとりあえず残されている以外は完全に草薮。スリリング。小屋まで行って、その一歩先は川でびっくりする。だから立ち入り禁止だったのか!と納得。同時に、これ迷ったら洒落にならないなとか、死体があったらどうするかとか、ヘビいそうだなとか思う。しかしすぐ忘れる。
川だと進めないので引き返して再び別の道を進んだら、両脇を丈の高い雑草で固められた中の細い道一面にでっかい水たまりがあって行く手を阻んでいる。しかも深い。しかしもと来た道を戻るのも癪なので、勢いを付けてばしゃばしゃ渡る。心底楽しい。渡った!と思ってその先を進んだらまた水たまり発見。しかし今度は麦畑の畝の方を登れたので平気だった。
それからは平坦な道で、橋も見えて、その方へ歩いていく。橋の下で川(まだ中流なので幅は狭い)を見て、もう暗いから帰ろうということで土手沿いに家へ帰る。

田舎も田舎なりに楽しいということがわかりました。完全に子供の遊びだけど。でも今の子は危険だから一人で遊べないのか。危険だから知らないおじいさんとも喋ってはいけないのか。そうか…

母が昔使っていたというカメラをもらったので、しばらくそれで遊ぼうと思います。

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2006年5月28日 (日)

甘ったれ!

高3の時の友達とフィルムセンターに行く。
久しぶり…と言っても、先月にも会っていたからせいぜい一ヶ月ぶりなのだけど、本当に久しぶりな気がした。この5月あっという間に過ぎて行くように思っていたけど、やはり一ヶ月は長いなと思った。
映画は小津安二郎だった。今まではテレビで見てもさして集中していなかったので、小津作品をきちんと見たのはこれが初めてになる。「押し付ける」映画の対極にあるなと思った。淡々としている。映像はさりげなく整っていてきれいだ。場面場面のつながりとか間とか、例えば、家の間取りがわかる、とか。

見終わった後いろいろ話す。懐かしさもあるけれど、居心地が良い、と言うか、話していて楽しくて仕方が無かった。だけど、やはりどこかで、つくづく自分がいかに周りに依存しているかという事を思わずにはいられない。自分を面白がってくれる人、に依存している気がする。この人はわかってくれる、という安心(甘え)があって話すことは、楽しいけれど…何か狭いよ。楽しいけれど、これだけでは駄目だ、これはコミュニケーションとは呼べない、という思いが強くなる。
周りに自分を認めてもらいたい欲求で一杯なのに、わかってくれないならいいよ一人で居るから。っていう状況が今の自分なんじゃないか?しかもわかってもらおうという努力もしないで。居心地の良いところにしか居ようとしないで、あとは逃げて。甘えている。身勝手だ。…何か物凄くそういう自分が気持ち悪い。いつまで自分で自分と遊んでいるつもりだろ。狭い狭い。
自分を広げるというのは、こういう甘えの中では、「自分」を可愛がっている中では絶対に不可能だって、知っている筈なのに。「自分」なんてものにこだわってる場合じゃない。どこかギリギリのところまで追い込んで、極限になって反射的に起こした、何かしらの行動に対して、あれ、自分てこういう事するんだ、という発見をした瞬間、それが自分を広げるっていうことなのに。全く何やってるんだかね。

今日見た映画:『戸田家の兄妹』

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2006年5月27日 (土)

はぐれてます

携帯メールで顔文字を使うのがどうも苦手だ。
『すごーい(≧口≦)ノ』みたいな文を、無表情で打っている自分が苦手だ。完全にメールの文面上の自分と、自分が乖離しているようで苦手だ。やたらテンションの高いメールのやりとりが進む中、文面だけやたら盛り上がっていて、ふと自分が取り残されているような感じがある。
まぁ、そういう事を考えなければ楽しいんだけど。

久しぶりに母と二人で外食した。
最近顔つきが怖いと言われた。顔立ちはどうにもならないんだから顔つきぐらいどうにかしなさいと言われた。…ごもっともなのですが、無意識だからなぁ。同じような事を昨日も大学で言われたので、こう立て続けに怖い怖いと言われると、ちょっと危機感が出てきたような。ただでさえはぐれているのに、怖がられるのは、困る。

その後池袋へ行って映画を見て(映画館で寝るというのを初めてやってしまった)、その後恵比寿のツタヤに行き、渋谷まで歩いてみよう!と思い立つ。歩き出したはいいものの、また例によって地図も無いのでとりあえず山手線沿いに歩いてみたがつまらない。やっぱり街中を歩かなきゃいかんと思って、線路沿いを行かなくても、おしゃれっぽい店の並びの向こうには渋谷がある筈だ!と勝手に決めつけてその通りに歩いていたら、何か代官山駅に着いてしまった。
代官山なんて名前しか知らない場所で、しかもその頃は暗くなり始めていたので、弱った。来た道を思い出しながら戻り、完全にはぐれた感を味わいながら、何でこんなところ歩いてるんだ自分は?と思ったり。
一人で知らない場所を、しかも目的地の所在もわからずに延々歩くのは、孤独だ。しかも夜だ。新しい発見がある、とかそんな悠長なことは言ってられない。新しい発見はあったけれども。
結局その後すぐに渋谷駅には行けたのだが、行けなかったらどうしようという時間がいやに長く感じた。

何も無くても、生きているだけで充分だ、とか言われたのだけど。生きているだけで満足できるか?本当に?
そりゃあ、死んでいるよりは生きている方が、良いけれど、生きているだけで良いっていうのはそれは、限りなく死に近くないか。そういう事を悟るのは死期が迫った時だけでいいんじゃないか。
生きざまを自分で決められるのは自分が生きているからだ。折角生きて元気でいるんだから、生きている状況をフルに活用したいと思う。出来る限り沢山の人と話したいし、いろいろな場所へ行きたいし、沢山の事を知りたい。
どうやら、面白い事は自分で作らなきゃ駄目だ。

友人の家からジャンガリアンハムスターを預かった。うちの猫がびびっている。


今日見た映画:『ヨコハマメリー』
昨日読んだ本:佐々木俊尚 『グーグル  既存のビジネスを破壊する』
今日読んだ本:梅田望夫 『ウェブ進化論』
(↑こうやっていちいち書くのはどうなんだろうと思う今日この頃)

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2006年5月26日 (金)

晴れたので嬉しい

特に予定の無い木曜の午前は、上野動物園に行く習慣が出来つつある。相変わらず動物園に依存してますね。第二の我が家と化している気がする。

しかし今回は平日の午前とは思えない程の人出だった。本当に良い天気だったし。幼稚園児の集団が10組以上居たりしてにぎやかでした。本当に子供はゾウが好きだなぁ。

入り口付近で、真後ろに居た老夫婦が猿山を探している様子だったので、思わず案内した。何でも東京に40年住んでいるが、動物園に来たのはこれが2度目なんだとか。やはり普通はそんなもんなのかなと思う一方で、今日2度目に来てくれてありがとうっていう感じでした。今になって、どうして来ようと思ったのか聞いておけばよかったとか、猿以外の動物の方も案内すればよかったとか、少し後悔。

あれですね。遠足の様子を見ていると、幼稚園児までだと、大体は動物を前に素直な(と言うかオーバーな)反応を示すけど、小学生ぐらいになると次第に冷めてくるね。中学生なんてあんまり動物見てないし。まぁ集団で行って流れで動物見ても面白くないと思うから気持ちはわかるけれども。ああ、こうして大人になっていくのか、と思った。大人は大人で楽しんでいる様子だったので良かったけど。

余りに人が居て、ちびっ子かき分けてまで動物見るのも大人げないし時間も無いので、今回もショートカットで東園のみをざっと廻り、比較的人の居ないマイナーな動物を見るのに時間を割いた。

今日はバイソンが凄かった。
今まではいつも、うずくまっていたり、雪の中棒立ちになっていたり、小屋の出入り口の前で「入れてくれ」とばかりに立ち尽くしていたりという様子しか目にしていなかったのだ。
今回前を通り過ぎようとしたら動いていたので、あれっと思って足を止めた。しかも動きの程度が尋常でなく、暴れ馬のごとく跳ね回っていた。
一体どうしちゃったんだろうと思って見ていたら、その手前にいるプレーリードッグの集団もびっくりしたらしく、みんなして後ろ足で立ってバイソンの方を見ていたので面白かった。結局何があったのかはわからずじまいだったけれど。あんなバイソンは初めて見た。


それから大学に行って、いろいろな人と喋りながら、あぁ余裕が戻ってきたなぁと改めて実感した。またいつ無くなるとも知れないので、今のうちにやれる事をやろうと思う。相変わらずその日暮らしだけれども。

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2006年5月24日 (水)

回復と動物園

どうやら回復した。鼻歌を歌う余裕があるから。

多少落ち込んでも、大体の場合、誰かと話せば回復する。
喋ることすら億劫になる時が一番凹む。
考えることを頭が拒否する時にはもう、最悪。

このテンションの上下というのは一体なんだろうと思う。まるでコントロールできない。
どん底は日中でした。凹み過ぎて魂が陥没してました。足元ふらふらしてました。
どうしてそれ以降からだんだん復活してきたのか、わからないけど、また再発しても、いくらふさぎの虫が取り憑こうが死ぬ訳ではないので大丈夫でしょう。わけがわからなくなるだけです。

今は、三日間中身の無いネガティブをだらだら垂れ流していた自分が情けない。そういう場じゃないだろうが。そういうのは日記に書けばよろしい。

考えてたって答えは出ない。そもそも答えは無いんだから。
ちょっと、今までの自分の世界の狭さとか浅さとかを、突きつけられて、わけもわからず消化不良起こして混乱して焦っている。それだけのこと。それ以上でも以下でもない。
その日一日でどれだけの事ができるかの勝負だから、先の事を考える余裕なんてまるで無いので、それ考えて凹んで何も出来なくなる位なら、もう考えなくていいやと思う。


学校出てから野毛山動物園に行った。駅から走ってぎりぎり4時直前に滑り込んだ。閉園が4時30分だからそんなにゆっくり回れなかったから、個々の動物っていうより雰囲気を見に行った感じだ。
別に目新しいものは無いけれど、良い動物園だと思う。こじんまりしていて、のんびりしている。
そんな中で、右前足が無いジャガーとか、高齢でもう立てないフタコブラクダとかが、生きている。ただ可愛い〜とか、気持ち悪い〜とかで片付けられない、生き物としての動物の側面が見られる、そういう動物園は貴重だ(可愛そう〜で終わる危険もあるが)。いつも無料っていうのも、より動物園を身近に感じられる意味でとても良いと思う。経営とか大変そうだけど…サポーター数も上野に比べれば全然少ないみたいだし。

動物園行っていつも思う事だが、そもそも動物にとって過ごしやすい動物園なんてあるのかな。旭山動物園は、それが成功した例として最近取り沙汰されているけれど、都市部の限られた予算、敷地での動物園で、旭山と同じような行動展示をするには、無理…とは言わないがかなりのお金と時間と労力がかかる筈だ。上野は影響されて結構最近いろいろ工夫しているけれど(お金あるし)。
と言うか、狭い中にいる動物はかわいそう、いきいきしている動物が見たい、っていうのは人間の勝手そのものなんじゃないかと思ってしまう。いきいきしているからオッケー、なのか?いきいきしていたって、動物園は動物園なんだから野性とはやっぱり違う。動物園の中で隔離されているという点では上野も旭山も同じなわけだから、確かに旭山のあの動物の動きは魅力的だけれど…何か、動物園に行って、狭い中に居る動物を見ている時の、あのある種の後ろめたさも、動物園には必要な要素なんじゃないかと、個人的に思う。人間の生活が野性動物を確実に脅かしているという、現実があるんだから。
しかしこうなると、もはやただの娯楽施設じゃないか。でもそう思うんだ。

狭いところに押し込めて申し訳ない、タカとかコンドルとかなんて飛べない状況にしてしまって本当申し訳ないけど、だからって動物園が無かったら、野性動物を生で見る機会が無くなる。こういう動物がいるんだよ、っていうことを実体験として知らなかったら、絶滅していく野性動物に思いを馳せることも無くなってしまうような気がして。それに第一に、動物を見るのは楽しいから。キリンの首が長いとか、クモサルのしっぽが器用だとか、イモリは手足を使わないで身体をくねらせて泳ぐとか、知識で知っているのと、自分の目で見た時の実感のインパクトの大きさは比べ物にならない。娯楽だけじゃないけど、娯楽もすごい。何回行っても、新しい発見がある。
後ろめたさのその分も含めて、動物園から沢山のものをもらっているんです。だから全部を引っ括めて私は動物園が好きだ。

はい、動物園語りでした。

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引き続き引きずり中

今日も時折雨が降ったが、空気が湿っぽくなかったので、進んで浴びた。夜は流石に傘をさしたけど。

一人で居る自分が好きって昨日書いた。しかし完全なひとりぼっちはつまらない。
周りから何かしら触発されたり、自分の何らかの行動に周りが反応してくれたりすることが面白いんだから、やっぱり自己完結では寂しいものがある。強がっても、やっぱりどこかで自分をわかってもらいたがっている。
集団でいると安心、とか、何でも周りに合わせる、とかそういうのが嫌なんだな。単に群れるのは嫌なんだ、でも連帯なら、進んでしたいと思う。

いつも火曜は授業も理系だけだし気が沈みやすい曜日だけど、今日はいつにも増して、よくわからないネガティブ。
いつまでこう、ぱっとしない気分を引きずっていくのか。解決法がわからないので仕方無い。安易に解決してはいけない気もするので仕方無い。しかしいつまでもこの状況だと空しいので、何とかなりませんか。

明日は水曜日だ。何だか一週間は飛ぶように過ぎて行くが、一週間前の自分はすごく昔の自分のように思う。実際大して変わっていないのだが、そう感じる。

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2006年5月23日 (火)

逃げている

個人行動ばかりしていると、一人で居るのに慣れてしまってくる。
寂しい。だけどどこかでそういう自分を愛しちゃってる部分があるので事態は深刻だ。深刻だ、と書いていながら実はそれほど深刻に受け止めていないところが深刻だ。この様子だと、いつまで経っても一人なんだろうな。やたら誰かと喋るのが好きなのは、いつも一人でいることの反動なのではないかと思う。
一人で虚勢張ってるよりも、一人では不安で仕方が無いっていう方が、かわいげがあるので生物として強いような気がする。特に女の場合は尚更。…こうなると、強いってどういう事なのかわからない。

今自分がしている全ての事は逃避なんじゃないかと思う。
直感的に嫌なことは避けて、面白そうな方だけを向いて、先の事は全くわからなくて考えると不安になるので極力考えないようにしている、あぁ完全に逃避だ。
自分が今否定している事柄から逃げているのかな。
常識とか世論とか社会的な公理とか、とにかくメジャーなものは面白くないので否定したくて今は避けているけれど、このままずっと避け続けていられるだろうか。自分が否定したところで容易に覆るものでもないし、そういったメジャーなものが存在する社会の中で生きて行かなければならないのだし。その中で、取り込まれずに自分の足でしっかり立って、ちゃんと自分が面白いと思った事をするには、相当な力が必要だ。
いつか負けて取り込まれてしまう時が来るんだろうか、とぼんやり考え、それが不安の種なんだなぁと思いながら、とりあえず今は逃げている。
逃げて逃げて、どこに着くのか、それはそれでおもしろそうだけれど、それでは自分の世界だけに閉じこもった状態なのでやはりつまらないと思う。


気が重いのはいつも同じだけど、面白い事がしたいだけなのに、どうしてこうなるんだろうな。

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2006年5月22日 (月)

とにかく外に居たい。

家に居ると、何か不安になって仕方が無い。
こうしている間に、何か抜け出ているのではないかと思うと居ても立っても居られなくなる。

三社祭に行った。予想はしていたが人の数がすさまじかった。思えば久しぶりの快晴だ。神輿に群がる見渡す限りの群衆を見て、勢いでその人混みに取り込まれて、物凄い流れに乗って、何だかよくわからないけど、その身を投じるという行為が、ああ祭りだと思った。元々祭り好きでは無いのだが、今日ばかりはそれが無性に楽しかった。

浅草に行ったのなら上野へ行かない筈が無い。上野へ行ったのなら動物園へ行かない筈が無い。
というわけで軽く東園だけ行ったのだが、こちらも大いに賑わっていて、券売機の前に行列が出来ていた。
上野のホッキョクグマが泳いでいるのを本当に久々に見た。あとミナミコアリクイが冬眠(?)から帰ってきていた。
テナガザルが天井の鉄柵を掴んでひょいひょい移動するのを見て、ベビーカーに乗った子が両手両足を叩いて大笑いしていたのが嬉しかった。

昨日の歌が脳内BGMと化しています。何だか自分はこのままずっと周りの何かを面白がっているだけで終わってしまうんじゃないかという考えがふっと湧いて、それを否定できなくて重い。
しかし、日々また何かしらを吸収していくしか為す術は無い。

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2006年5月21日 (日)

境界

午前中はテストを受けに大学へ行ったものの、何だか昨日余りに充実していた反動で今日は何も起こらないなぁと思っていた。頭の中も妙に静かだったし。
嵐の前の静けさというやつだったのでしょう。

異変に気付いたのは、フィルムセンター目的で降りた東京駅にて。
電車内で完全に寝ており、寝ぼけ眼で改札前へ歩いている途中で、それまで定期券だと思っていた、左手に持っていたものが定期券ではなく携帯だという事に気付いた。ちょっと嫌な感じがした。
定期を入れておいた筈のポケットに無い。見たところバッグの中にも無い。まさか、と静かな胸騒ぎを覚えながら、私はつとめて落ち着き払い、持っていたアミノバリューを飲み干したのだった。
しかし、どうやら本当に無いぞ、と認めざるを得なくなった瞬間、ざーっと血の気が引いて胃の腑の辺りが一気に重くなった。何せ遠距離通学、所持品の中で最も高額なのは群を抜いて定期券だ。しかも地下鉄の定期券、動物園の年間パスポートも一緒に入っている。
ポケットから落ちたものと断定し、東京駅の落とし物係に行った。届いてないと言う。調べた結果、無いと言う。通常発見には通常2、3日かかると言う。地元の駅に届きますからと言われても、じゃあ今日は、見つかるまでどうするんだ!映画はともかく唐ゼミ行けないじゃん!改札出られないじゃん!と慌てる。
駅で暮らすのかな、とか、自動改札は高速で駆け抜ければ大丈夫かな、とか、そもそも見つからなかったら?6万なんて持ってないし、いっそ枕木と寝てみせましょうか、とかぐるぐる考えた末、とにかく探そう、という結論に至る。
暗澹たる気持ちで電車に乗って横浜駅まで戻り、改札を抜けてからの道を辿る。無い。ゴミ箱の前で、まさかゴミ箱に捨ててはいないよなぁ、いや何せ記憶が無いのでわからない、と3分位考え込んだりもした。殆ど絶望しながら落とし物係に行って訊ねた。川崎駅に届いています。
力が抜けた。横浜駅のホームに落ちていたものを、誰かが届けてくれたらしい。
何かもうどなたか存じませんが本当にありがとうございました。毎年その方の誕生日に花を贈りたい位感謝です。
…定期を無くして捜して発見しただけの話を長々と書いてしまった。

川崎駅で定期を受け取った頃、すごい暴風雨が吹き荒れたのでテント大丈夫かなと思った。
予定が狂ったので、微妙に時間があったので野毛山動物園に行ってみようと思い立ち、桜木町で降りた。
野毛山公園に行く途中に、大きい虹が出ているのを見た。

野毛山公園で迷い、何か道路に出てしまって、動物園どこだ!と思っていたら、左の方からクジャクの鳴き声(多分クジャク)がしたので場所がわかった。4時過ぎていたからもう閉まっていたけど…場所がわかったので良し。そしてその頃雨が止み、凄い勢いで雲が流れて、晴れたのでした。

お化け煙突物語、やっと笑う余裕が出てきた。何か、楽しかったなぁ。
先月末の大学公演で初めて生で演劇というものを見たわけだが、その後練習含めて4回見ることになるとは思わなかった。見てよかった。
何回見ても、相変わらず頭での理解は無理だが、今日はあの流れが心地よかった…言葉とか声とか動きとか観客の反応とか、そういうものをそのまま受け止めるのが楽しかった…と言うか、何と言うか。
で、それはそのまま、そういう演劇はどうすれば出来るのか、という疑問に行き着くわけです。
そして、相変わらず、自分は…と思うのでした。
次は9月だそうです。9月の自分はどうなってるだろうか。…。

いずれにせよ、何をもって面白いとするか、そこは厳しくいかないと駄目だと思う。
ただ面白がっているだけでは駄目だという事も感じつつ、でも今日は面白かった。

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2006年5月20日 (土)

横浜→渋谷→井の頭公園→六本木→中目黒→横浜→東京→帰宅

↑今日行った場所。数で言えば自己最多。
何せマンガ喫茶を出たのが6時だ。パンをもらったのでそれを食べた。
折角早朝から都会に居るので、都会の朝とはどういうものか見てやれと思って、それならば渋谷だと渋谷に行った。
7時の渋谷ではスクランブル交差点を5人の人しか渡らない。もちろん店はやっていない。
折角なのでうろうろした。今までどうしても見つけられなかった店を、何故か上手い具合に次々と発見し、何やら今日はイケる、と妙に確信したのだった。
その後井の頭公園に行った。行ったのはこれが初めてだ。優雅に犬の散歩をする人達を見て、犬種がわからない犬を連れているので悩んだ。時間の都合上動物園まで行けなかったのが残念だ。
歩いて吉祥寺駅まで行き、その後六本木に行って、映画を見た。
それから大学に行く途中、乗り換えの為に降りた中目黒を少し歩いて、キャラメルに行って店員さんと少し話した。自分の欲しいと思うものを置いている店が無いので自分が作ろうと思ったという、いいなぁと思った。
駅から大学へ行く途中に、キャベツ畑で花を摘んでいたおばあちゃんと喋ったり、学食で隣に座った留学生と喋ったり(ケニアから来たと言うので国立公園のことを聞いた)、とにかく今日はいろいろな場所に行っていろいろな人と話をした。

どこへ行っても何かしらショックを受けている。
何か見ては衝撃を受け、自分はこういう事出来るだろうか?と自問しては凹み、最近はそういうことばかりで、自分はこんなに影響されやすい人間だったか?と思う。
こんな事して何になるんだ?という不安がある一方、今している事は絶対に無駄ではないという自信もある。
さっき思ったんだけど、今は、沸騰した湯の中に、かつお節を入れたような状態ですね。かつお節=自分。
ぐらぐら煮え立っている周囲に翻弄されてこっちへふらふら、あっちへふらふらしている状態。
それで揉まれて何らかのダシが出れば、いいんだけどね。

四限終わった後にフィルムセンターへ行ったらまた満員で入れなかった。作品によっては一時間前から並ばないと見られないとか。今のところ一勝二敗…。


今日見た映画: ジョージ・クルーニー 『グッドナイト&グッドラック』
見損ねた映画: ジョン・フォード 『駅馬車』

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2006年5月19日 (金)

5月18日分

ヒマ人たるもの、面白い流れがあったら乗らねばなるまい。でなきゃ暇でいる意味が無い。
で、面白いことになって、最終的に終電を逃し、マンガ喫茶で夜を明かすことになったのでした。
というわけで以下、昨日の日記より。

やっぱり昨日の諸々のことが収拾付かなくなり、どうしたものかとうろうろして、最終的に気付いたら先生の部屋に行っていた。何しに行ったのかよくわからないが折角なので喋った。
(喋っている時の自分はどうも制御できない。昨日アメ横で店員さんと喋った時がそうだったけど、話が勢いづいてくると、頭で考えるより先に言葉が口からするする出て行ってしまうようになる。語彙が倍増する。そして何を喋ったのかを後で全く思い出せない。断片的に思い出しても、どういう流れでそういう事を言うに至ったのかがわからない。)
いつも、話そうと意気込んでいた事に限って言えない。
そして途中から脱線に次ぐ脱線を繰り返し、何を話そうとしていたのか完全に分からなくなる。
しかし、すごく深刻だと思っていた事でも、それを言葉にして直接誰かに話した瞬間に、なんだ、自分が悩んでいるのはこんなことだったのか、と拍子抜けすることがあるので、一度空っぽにする作業として、喋るというのは自分にとって有効だと思う。聞かされる方は大変だが…。

その流れで、唐ゼミのリハーサル現場へ連れて行ってもらった。
そういう事になるとは思ってもいなかったので驚いた。
やはり恐れ多さ(散々凹んでいるので)が先行して、劇団員の人たちには近付き難かったが、リハーサルを通しで見て、手直しを入れていく様子も見て、「自分達で作っている」ということを改めて感じた。
劇の内容は、もう理解とか解釈とかそういうんじゃなくて、五感を働かせて出来るだけ全てを受け止める事に徹しようと思った。同じ舞台を見ていても、常に改良されているし、また受け取るこちら側の状況も常に違う。そういうことをひっくるめて、自分がどう感じるかということなんじゃないかと思う。

そしていろいろまたわけがわからなくなってきて、そろそろ終電が危ないなぁとどこかで思いつつも、突っ立ったままで居たものだから、本当に地元まで辿り着く終電が行ってしまった。
初の終電逃しで焦るはずがそんなに焦ってないのは何故だろうと思ったが、多分それどころじゃないからだなぁとも思った。しかし実際大変は大変で、結果多くの人にお世話になってしまったのでまた凹んだ。

自分の見たもの、聞いたもの、そして考えた事、そういうのが糧になればいいのだけど。
今日の体験は、ちょっとこれはすごいことだなぁと思う。
でも、そして自分はどうしよう?っていう問いにはまだ何も答えられない。

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2006年5月18日 (木)

無題

毎週、頭の中を掻き混ぜられる水曜日です。
先週のショックからまだ固まってないのにまた掻き混ぜられる。もう、ごっちゃごちゃ。

元来、作者というものの権威をとにかく大きく感じていた。
その分、作品に触れるときは、無意識的に作者の意図を読解しようとしてしまう。
自分が何かを表現するときにも、とかく自分が「伝えたいこと」を表現するという概念に縛られていた。

先週から、ロラン・バルトの『作者の死』というテクストを使ってとことん否定されて、
作者はクリエイティブな主体ではない、クリエイティブなのはそのテクストに触れる読者であると、
頭では理解しても、どうしてもなんか受け入れられない感じです。
現にこうして書いていてもまたわからなくなってくる。私は今日何を学んだ?
うーん…

わからん。わからない。あーわからない。

とにかく、テクストは、言葉は、何かを表現するための媒体ではなく、
言葉それ自体が記号となるっていうこと。背後に何か(作者にしろ意図にしろ)あるんじゃなくて、
言葉だけがそこに、でん、とある。その言葉が何を放つか、それを受け取るのは読者。
そういう言葉の重さ、そして、読むという作業の重さ。
それだけは、わかる。そして途方に暮れる。

では、私のこのブログって何さ?と思う。
日常を綴るとかいって、思った事、考えた事を綴るとかいって、軽薄極まりない。
今しているのは、頭に浮かんだ事をそのまま言葉に翻訳しているだけのことで…
何か言葉に対する姿勢が本質的に間違っている気がしてならない。
もう、伝えたいという意図をもって文章が書けないのか?伝える手段としての言葉が使えない?

わからない…


今日読んだ本: 永山則夫 『無知の涙』 (読了)

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2006年5月15日 (月)

とりあえず、迷子になれ。

↑今週のモットー。方向音痴を恐れて、見知らぬ領域から足が遠のいているきらいがあるので。

お元気ですか。
さっき階段から落ちて、あちこち打って痛いです。骨には異常ありません。オッケー。
今日はまともに文が浮かびそうにありません。いつにも増して断片的ですが寛恕下さい。

突きつけられる映画がいい。
押しつけられる映画はいや。

ノスタルジックに、「昔はよかった…」って言われても、じゃあどうすりゃいいのよって思う。
かといって、「人間て本当は優しいんだよ」とか露骨にカタルシス狙った展開でも、なんか違う。冷める。ただ狭いところだけで感動させちゃって、現実逃避だよって思う。
危機感はあっても、「悪いのはあいつらだ!」って声高に叫んでるだけでは、自分は正しいんだ!っていう主張にしか見えなくて、なんだか居心地が悪い。

言葉にできないけど、何の主張も押しつけられちゃいないんだけど、何かこう、ぐっと何か突きつけられているような、そういう感じに呑まれる瞬間が、映画にはある。
そういう作品に出会いたい。

昨日フィルムセンターで見た黒澤明の『生きる』が凄かったっていうことで、ちょっとそんなことを思ったのでした。

電車の窓から、夥しい住宅の屋根が連なっている市街地を見下ろしていると、
そして、そのそれぞれの屋根の下でそれぞれ人が暮らしてるんだなあと思うと、
なおかつそれぞれの人がそれぞれの心情を抱えてるんだなぁと思うと、何かこう、ぼーっと、気が遠くなります。
いろんな人がいるよなぁ。…世界って広いなぁ。
この広い世界を、そのまま映すってだけで、大変なことなんじゃないかしら。

これから黒沢清の『アカルイミライ』見ます。


今日読んだ本: 永山則夫『無知の涙』  明日には読み終わるかな…


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2006年5月14日 (日)

非日常来る

祖母(9?歳)と叔母が今日まで泊まりに来ていた。
老いというものを面白がっていいものか考えてしまうが、本当に面白いのです。
だって究極の天然ボケです。究極の型破りです。私の事ももう覚えていない様子です。と言うか私に対する記憶は幼稚園児の頃で止まっているらしく…一瞬寂しさもありましたがもうそんな事いちいち気にしてはおれません。
何だろう、老いってもの凄いぞと思いました。先の行動が全く読めない。普段自分が「ふつう」だと思っている基準が全く当てはまらない。ぶっとんでます。猫と本気で遊んでいました。
いつも一緒に暮らしている祖母一家の苦労も考えればただ面白がってるのは失礼だと思うけど、正直、目標だなぁ。おばあちゃん。
将来の目標とか、考える時に(考えないけど)、考えるのは20代、たかだか30代程度の自分だ。60代とか70代とかの自分なんて、想像も付かない。まして90代!
でもうまく生き延びられれば、老いるわけで。それ、当然のことなのに、全然考えてなかったなぁと思った。
2日間非日常を味わせてくれたおばあちゃんは、「帰りたくない〜」と言いながら帰って行ったそうな。
来たときは「帰りたい〜」と言っていたのにね。
静かになった自宅で、乾かしておいたコンタクトレンズのケースが無くなっていることに気付いた。
妹「あーそれおばあちゃんが持って帰ってたよ」
何に使うんだ、おばあちゃん…
とにかく長生きして欲しいです。私も長生きしたい。おばあちゃんの境地を目指します。


今日見た映画: 黒澤明 『生きる』

感想と言うか感慨は明日…

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2006年5月13日 (土)

悪癖

何に対しても、とりあえず戦おうとするという悪い癖がある。
戦闘、っていうんじゃなくて、立ち向かう、というか歯向かう、というか反抗する、というかそういう意味合いで。
要するに負けず嫌いだろうか?でもそれとはちょっと違う…とにかく、どう考えてもかなわないだろうと考える対象にすら、勝てるかな?どうかな?と思ってしまうわけです。
身の程知らずもいいところ。
世で言う天才とか、カリスマとか、もてはやされて、まつり上げられている人を見るにつけ、自分は騙されないぞ!と身構えてしまうんです。これはもう、反射的に。
…素直に、「すごーい」とか言えればまだ可愛いのに。言えない。その時には既に戦略を練っている。
審美眼とかそういうんじゃない、ただひねくれているだけ。良いものも良いって認められないんじゃもう本当終わってるよ…あーもう本当可愛くない。本当可愛くない。

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根無し草たるもの

1日の濃さは日によって全然違う。当たり前だけど。
起きた出来事の数、会った人の数、新たに得たものの数、そういうのが「濃くする」要素だけど、
でも、何も無い日もそれはそれで意義はあるんだよなぁ。
何もしていないという焦りとか、退屈さとか、そういうのがバネになって、濃い日をより濃くするというか。
と、自己肯定してみたり。
しかしねぇ、しかしだよ、帰宅部たるもの、根無し草たるもの、面倒臭がっちゃおしまいだよ。
何もしなけりゃ、何も起きない。お膳立ても無い。
だから何でもやらなけりゃ。自分から飛び込んで行かなけりゃ。
つかれた〜とか、ねむい〜とか、そういう理由で何もやらないんじゃ、なさけないじゃないですか。
自分は何もしていないという状況に慣れちまってはおしまいだ。
常に焦っていなければなりません。もうずっと焦ってろ。

(昨日の日記より。)

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2006年5月12日 (金)

ロードムービー的日常

木曜は授業が午後からということで、午前はあいているのだが、
先週まではその時間を専ら睡眠に充てていた。
それではいい加減時間が勿体ないだろうという事で今日は午前から出掛ける。

凹んだ時には私は動物園に行く。
嬉しい事があった時にも私は動物園に行く。何かの節目の時にも動物園に行く。何もなくても動物園に行く。
年間パスポート+通学定期券圏内ということで、もはや行き放題なのだ。
というわけでまぁ動機が何であれ行く。但し、やはり凹んだ時には平日が良い。
平日の動物園は、普段に増して時間がゆったりしている気がするのです。
単に「癒し」を求めるだけの目的で動物に接する姿勢はちょっと違うと思うが、癒される事は事実なんだよな…。

春の平日はやっぱり遠足で来ている幼稚園の子が多い。中学生も居た。一般客はたまに見かける程度。
時間的にあまり入り浸れないのでショートカットで東園を周り、西園に渡る。コウメ(コビトカバ)の成長ぶりが見たかったのです。
コウメは親にぴったりくっついて寝ていた。
ナマケモノが樹上に居るのを初めて目撃。
西園のペンギンの池にカモメ(野生)が飛び込んでは舞い上がり飛び込んでは舞い上がりを繰り返していて、華麗だったのでしばし見とれた。池はそんな感じでカモメが独占していて、ペンギン達は陸地で腹這いになっていた。こういうのも初めて見た。
クモザルが檻から尻尾を出して外にある木の枝に触っていた。
動物園は何回行っても、絶対その都度初めて見るものに出会えるので飽きません。
あと動物を見ている人たちを見るのも好き。
動物がかわいそうだという意見もある。確かにそうかもしれない。動物が何を思っているのか、私にはわからないからそれについては何も言えない。
それでも、私は動物園が好きだなぁ…。


さてここからが本題。
事件は上野から大学へ行く途中の電車内で起きました。

首を何か小さいものが這っている、と思ってドアの窓に映った自分をよくよく見ると、小さいアリが…
動物園で付いて来たのかなとか思いつつ、つぶす気にならず、私は構わず読書を続けた。
と、気付くと左腕(半袖)にアリ出現。移動したなぁと感心しながらやはり放置。
するとアリ、本(例の『無知の涙』)に上陸。紙上を歩き回る。
段々読書に集中できなくなり、視線はアリへシフト。アリは歩き続ける。
殺す気にはなれず、手で払っても電車内だし外へは出られまい。誰かに踏まれるのが関の山だ。
これも何かの縁だろうと思い、地面へ返すまでアリを連れて行くことに決める。
紙面の上から下へ、ページから表紙へと歩きつづけ、たまにページとページの間に足を挟んだりしているアリに、次第に妙な愛着が湧いて来た。
乗り換えの際には、落とさないように細心の注意を払って歩く。
次の電車からはもう読書どころではなく、アリの観察に没頭、アリの移動に合わせて、アリが落ちないように本をくるくる廻す私は、今から思えばどこから見ても不審者だった筈だ。
地下鉄なんてハラハラした。地下鉄で落としたら、アリが地上へ出る為にはまず電車から出て、更に階段を上らなくてはならない。二重苦である。いや、しかしアリの巣は地下にあるものだからそれはそれでいいのか?とも思ったりする。
しかしとりあえずここまで来たら運命共同体だ。アリがんばれ。
私は本をくるくる廻すだけだから楽だが、お前はさっきから歩きっぱなしでお腹が空いたりとかしませんか、とか思う。もはやアリがいとおしくなっていた。
地下鉄を降り、地上に出る。
私の通う大学は自然が多い。というか森だ。お前そこなら楽しく暮らせるだろうと思う。
雨の中、相変わらずアリの動きに合わせて本をくるくるやりながら(その頃は既にブックカバーがよれてきていた)、歩く。
歩きながら考える。なんで私はアリを運んでいるのか。なんのために?
そもそもアリは社会的昆虫だというから、移動させたところで一匹狼(アリだけど)ではやっていけないのではないか。

目的は無い。運ぶこと、が自己目的化していた。
あ、これはまるでロードムービーだ、と閃く。

歩道橋を渡り、地下道を通り、あとは平坦な道を歩けば到着だった。
私はアリを放してやる場面を想像して、感慨深い思いに浸っていた。
その後のアリの人生(アリだけど)を想像して、複雑な思いにも浸っていた。
一人の人間の体の上を歩き、本の上を何周も歩いているうちに自分が上野〜横浜の大移動をしていたという事に気付くだろうか、とも思った。
しかしロードムービーは必ずしもハッピーエンドにならない。私はその事を忘れていた。
油断していた瞬間、視界が黒い小さいものがぽろりと落ちたのを捕らえた。
やられた、と思った。映画でいう衝撃のラストだ。
くるくる廻してみても、本の上にもうアリは居なかった。
しばし気が抜けて立ち尽くす。足元が水たまりだったので本気で心配したが、見たところ水中にアリは居なかった。
ここまで来たのに悔しいから探そうか、意地でも大学まで連れて行くか、とも思ったが、これはこれでいいんだ、と思い直した。
あいつならやっていけるだろう、と勝手に思い直した。
今夜はどうしていますかね、アリ。
…おせっかいだったらごめんね、アリ。
がんばれ、アリ。

この今日の通学を映画にしたら面白いんじゃないかと本気で思っています。
アリじゃスケール小さいか…でも小さいからこそ、守らねば!と思ったんだよなぁ。

何かここまで打って、人間と付き合おうよ自分、と思う。
学校着いて友達に力説したらなんか憐れまれた…人生で一番楽しい通学だったんだけどなぁ。


放課後、先輩が撮ったという映画の試写会があったので参加した。
いろいろ考えさせられた。限られた予算で、限られた機材で、限られた人数(スタッフにしろ役者にしろ)で、映画を撮る。
すごく限界があると思う。だけど、それを感じさせないためにはどうすればいいか。
技術やアイデア、いろいろ要るだろう、でもまず、人脈が要るな、と実感した。
そして、技術やアイデアに関しては、とにかく多くの名作に触れること。そして吸収すること。
初めて話す人も多くて、楽しかった。


一週間が過ぎるのが早すぎてびっくりします。


今日読んだ本: 永山則夫 『無知の涙』 (前述の事情もありまだ続行)

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2006年5月11日 (木)

雨嫌い

日に日に凹んでいくのがわかります。べっこべこです。
自分は一体何やってるんだろうと思います。
結局何もできやしないんじゃないかと思うともう駄目です。

友人の母が永眠されたとの報せを受けて呆然。
人って死ぬんだよと今更思い出したように呆然。

雨嫌いだ。

3限は雲が流れて行くのを5階の窓からずっと見ていた。
映画「ブロークン・フラワーズ」見た。
私はこういう映画が見たいんだよと強く思う。
周りの人は…笑うか怒るかだったけど…
物語に流されてはいけないということ。映像と音声を、全て受け止めること。
今となってはもう一度、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」見たいと思う。
前よりも、きちんと向き合えるんじゃないかと思う。


今日読んだ本: 『ロラン・バルト映画論集』

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答えは無い、ということ

水曜の授業は毎度毎度頭の中を掻き回される感じで面白い。
でももう面白い、とか呑気に言ってられる場合でもない。

作者はもう居ないんだそうだ。

作者=作品を生み出した人物、その作品の全てを知っている/握っている人物。
作品は即ち作者の内面であり、作品の正しい解釈は作者こそが知っているのだと思っていた。
作者の「伝えたい事」が託されたものが作品なのだから、その作品に関してはその作者が絶対の存在であり、読者や評論家の為すべき作業ははその作者の意図という核を探す事だと思っていた。

だがそれは大変間違っているという。
まず、その作品に「伝えたい事」があると考えることは傲慢だという。
作者を絶対的権威とすることは盲目でしかないという。
「正しい解釈」なんて存在しないんだという。

唯一の答えは無い、ということ。

そうは言われてもまだ実感が無い。答えは欲しい。答えが無いと不安だ。
急に足元がぐらついてしまったようで…
うろたえる。

まだ理解していない事を書くものじゃないな、余計わからなくなってきた。
自分の中にあった作者像の、重大な転換を迫られていることだけは確かだ。

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2006年5月 9日 (火)

時代は既に梅雨ですか?

今日も霧雨降りました。何より寒いです。週間予報も雨マークばっかりでした。
梅雨入りには早すぎやしませんか。からっと五月の五月晴れ!とか、無いんですか。
全国的に気持ちが沈みやすい時期なんですから、せめて天気は晴れていてください。
以上、要望でした。

今日は井の頭線を乗りに行った。
地元の土地柄、電車といえばほとんどJRしか知らずに高校生活を終えた私です。
そういえば中学の時は高崎線しか知りませんでした。ローカルな話ですみません。
初めて乗る電車というものは、緊張します。
まず切符の色が違います。
電車の車両が初めて見るデザインです。
電車に乗ると空気が違います。椅子の形状も違います。
どの駅でどれ位の人が降りるのか、そして乗るのか、全く見当がつきません。
そもそもドアはどちら側が開くのかわかりません。
そして車窓から見る風景はもちろん初めて見る風景です。しかも一瞬で通り過ぎるので油断なりません。
でも楽しかった。
やっぱり都会の電車の一駅間は短いねと思いました。
吉祥寺と渋谷を結ぶってそれ便利だねと思いました。
折角なので下北沢で降りて、うろうろしました。

…なんだろう。
誰かに必要とされたいと思いながら、いざ必要とされると何か重くなる。
自分が小さいんだろうね。

かろやかに、かろやかに。


今日読んだ本: 永山則夫 『無知の涙』  (やっと半分)

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2006年5月 8日 (月)

En la Universidad

↑スペイン語。英訳 In the University
(スペイン語学習歴およそ3週間目にして、動詞の活用に早くも苦戦中)

…とまぁ、そんなことはどうでも良いのです。
今日は晴れる!という朝の直感を信じて、今年初となる半ズボン(ショートパンツと言った方がハイカラだろうか)通学を試みた。朝はよかったのです。あら春なのね〜とか思っちゃう位。問題は昼過ぎから。あれ?おかしい。肌寒い。いや、これはむしろ…寒い。挙げ句霧雨まで降り出す。

結果:大失敗。

寒いのに講義中鼻血が出るっていう不思議なことまで起きた。
今日の朝なんとなしにポケットティッシュを持って行っていたので大惨事にはならなかったが…。
それにしてもあの時無意識にポケットティッシュに手を伸ばした自分の身体は、昼過ぎに鼻血が出る事を予知していたのだろうか?…と思う一方で、だったら脳の方にも教えてあげて欲しかったと思う。
こちらも今年初の鼻血だったので焦った。
ハンカチ・ティッシュは常に携帯するのが乙女のエチケットよと母に怒られました。最近母は私を何とかして乙女にしようと奮闘中です。

完全に気分がそがれ、放課後(ところで大学でも放課後って言うんですかね)は真っ直ぐ帰る。
下北沢に行くささやかな計画も有ったが寒すぎてそれどころでなかった。何てったって下は半ズボン上はタンクトップに半袖シャツしかも傘無しだもの。おまけに天気でテンション決まる性質だもの。
明日は晴れるんだろうか。晴れるといいなぁ…

映画論はますます面白くなっていく。
映画はそれが撮られた時代の世界の一部を映しとったもの。「今」の表象であるということ。
今日の内容はそんな感じ…今まで得たことをちょっと後でまとめてみます。


おとなしく家でDVD。久しぶりに邦画。
『やらなきゃならないことを やるだけさ  だからうまくいくんだよ』

土手まで走って叫びたいよ私は。
うぉーとか、うぁーとか、うわーとか。
まだその程度の、意味すらない言葉でしか表せないけど、叫びたいよ。


今日見たDVD: 田口トモロヲ 「アイデン&ティティ」
                      デニス・ホッパー 「イージー★ライダー」
今日読んだ本:  永山則夫  「無知の涙」 (途中まで)

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2006年5月 7日 (日)

まだ何も始まっていない

昨日に引き続き気分が晴れない。
こんな時は誰かに手紙を書きたくなります。

自分の力で何かやる、そう意気込んではみたものの、
結局今まで何もしていない。何も始まっていない。

映画でも何でも見るにしろ、本読むにしろ、音楽聞くにしろ、行ったことのない場所に足を運んでみるにしろ、
その度に焦燥感を募らせるばかりで全く実になっていない気がする。

今日なんてフィルムセンターへ行くも満員で結局何も見られず。
こんな日には上野だろ、と上野に行く。
その時には既に入場時間を過ぎていたから動物園には行けなかった。
アメ横は何かのお祭りでおみこしが出ていたりして賑やかだった。
何件か洋服屋回って店員さん達と喋ったり。
気分転換には、誰かと喋るのが一番です。やっぱり上野好きだ。
明日は久しぶりに学校。楽しみだけど外国語の予習が終わっていないのでそれだけ少し不安。
とりあえず晴れてね。


今日読んだ本: 唐 十郎  室井 尚 『教室を路地に! 横浜国大vs紅テント2739日』 (再読)
今日見たDVD: サム・ペキンパー 『ガルシアの首』

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2006年5月 6日 (土)

5月6日、立ち止まる

大学入ってから早一ヶ月、思えば私は今まで『何かに乗っかっている状態』を回避しようとしてきたわけですよ。
そもそも大学っていうのもそうだし、権威とかサークルとかそういう、大きいものに乗っかって、よりかかっているのは嫌だって、考えてきたわけですよ。自分の力で、どうにかできないか、って。自分の足でしっかり立って、この世界というものと対峙していかなくちゃいけないんじゃないか、って。
それが早くも行き詰まり感…。きっかけは昨日の唐ゼミ。

大学の情報を集める中でその存在や評判を知るにつれ、あ、凄いなとは思っていたんですよ。
とは思いつつも、どこかで、やっぱり唐十郎っていうネームバリューに依るところが大きいんじゃないかと、穿った見方が拭いきれなかったんです。
でも実際に大学公演・東京公演と見てみて、認識を変えなければいけないと思いました。
確かに唐さんという存在は非常に大きい。しかし彼ら/彼女らは、単にそれに『乗っかっている』だけだろうか?
見ればわかるんですよ。違うんですよ。もう、あれは間違いなく、劇団唐ゼミ★の作品なんですよ。
もうそれは、自分が抱いていたような疑念とはもっと高いところに、存在している。しかも日々進化している。
これはどうしたことだろうって。

自分で、自分の力で、何にも頼らず、っていう頑固さは、言ってしまえば自分にある(と信じたい)オリジナリティを護りたいだけなのかもしれない。
でもねぇ、今までの18年間、いろいろあったとは言っても、おおよそ無難に歩んできた18年間、それで培ったオリジナリティなんてたかが知れているわけで。
それで戦おうったって、そんなに甘くはないだろう、この世界は。

権威とか何かに乗っかってるのはイヤとか、そんなの、格好付けている場合じゃないんじゃないかって。
権威でも何でも乗っかって、踏み台にしていかなくちゃいけないんじゃないかって。

そう、思い始めています。

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2006年5月 5日 (金)

で、どうだった?

って聞かれるのが一番困る。どういう話だった?っていうのも困る。面白かった?っていうのもまた別の意味で困る。

あ、映画とか、お芝居のことなんですけど。

そんな、監督とか俳優が精魂込めて作った作品を、どうだったの一言で片付けられるかっっ!!!!
という反感もあり、言語化出来ない自分はやっぱり理解できてないんじゃないかっていう落胆もあり。

そりゃ、言語化出来ない感情だってあるさ、と自分を慰めつつ。
初めて受けた衝撃を、今まで使い古してきた言葉で表そうったってそりゃ無理があるじゃないかと自分に言い聞かせつつ。

凄かった、としか言えないんだよ。正直。
それ以上言葉を積むと、どんどん離れて行ってしまう気がする。
言葉による再現、はどうやったって映像や音には届かない。だけど、的確な言葉によって作品に肉薄出来たらどんなに良いだろう。
それが出来ないのはひとえに修行が足りないんだな。
修行します。


今日の演劇: 劇団唐ゼミ★  『お化け煙突物語』

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しっかりしなきゃ。

デジタル音楽機器(非iPod…)に入れてあったブッチャーズの『4月』を消し、『5月』を入れる。月初めの儀式。
サード・クラスはかまだ卓氏の激しい趣味の占い、今月分を見る。これも月初めの儀式。最下位で軽〜く凹む。

寝坊したので予定が狂う。
いろいろ考えた末、後輩のレースを見に戸田レガッタに行く。やっぱりボートはいいなぁと思う。
喉の弱りが著しく、ちょっと応援叫んだだけで声裏返ったりして悲しかった。
新入部員の姿を見ながら、改めて世代交代を実感。後輩の成長を見てると、まるでお前しっかりしろよと言われているようです。しっかりしなきゃ。
居心地の良い場所にこうして帰って来るのは楽しいけど、ちゃんと前を見なくちゃと思う。でもまた行くと思う。

ノーモア寝坊。


今日見たDVD:ジャン=リュック・ゴダール 『気狂いピエロ』
今日のBGM:銀杏BOYZ 『援助交際』

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2006年5月 4日 (木)

憲法9条と諦念

今まで受けてきた教育に洗脳されている、っていうのも有るかもしれないが、
それでも私は、憲法9条、特に2項は変えてはいけないと思う。
曖昧だとか自分だけ良ければいいのかとか何とか言われてるけど、変えることでプラスの効果があるとは思えない。

その一方で、どうせ変わっちゃうんだろうなぁとも思う。
変わっちゃったら危ないと感じつつも、でもしょうがないかなぁとか思っている。
呑気だね。

仕方無い?
本当は嫌だけど仕方無いよね、だってどうしようも無いもの、
そうやって思いながら、悪い流れに乗ってしまっているようなんです。
自分も含めて、今の世相。
どうしようも無いって、鵜呑みにして決めつけちゃって、
どうしようも無いって、何もしていないのに無力感を感じてるのが怖い。
何で怒らないの?何で怒れないんだろう。

無邪気に戦争反対を叫ぶ勢力にある種の幼さを感じる一方で、
危機感を持ちながらも、呑気に日々を楽しく過ごしちゃってる自分に嫌気がさします。

諦念、怖い。打破したい。

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2006年5月 2日 (火)

初吉祥寺。

吉祥寺へSTAR PINE'S CAFEとバウスシアターの場所を確認しに行く。
位置とかまるでわからずも、電車を乗り継いでいったら着いたよ吉祥寺。電車って凄い。
今日は無謀にも地図無し参戦。
1.北口である 2.三越の近くである
この二つを手がかりに雨の中進む。ワリとスグに到着、吉祥寺STAR PINE'S CAFE。
初見参のライブハウスに入る時のわくわく感は何とも言えないものがあります。
京都から上京したという、バンドの売り込みしてる女の子と居合わせる。話を何となく聞きながら、自分から動くとはこういう事かと妙に納得。心の中で応援しつつ、不思議な六月の夜〜前夜祭〜のチケット購入。
その後バウスシアターも無事発見し、ぶらぶらして帰る。
予定があったために今回あまり時間をかけられなかったので、次回はもっとじっくりうろつきたい。

しっかし寒かったなぁ今日!本当に昨日の半分の気温だよ!
…何の試練だ。


本日のBGM  ボ・ガンボス 『ポケットの中』


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2006年5月 1日 (月)

ふと、

ブログを作ってみた。全くの思いつきなので続くか定かでない。
いざ作ったものの、公開するに値するだけの内容が生み出せるか非っ常に不安ですが、三日間頑張ります。
大学生活に落ち着くまでは日記に終始しそう…怖いのは五月病。…もう五月か。

テストを兼ねて本日はこれだけ。

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