2018年1月 6日 (土)

記憶、夢、記録

散歩の途中、犬が道端に落ちている半分切られたミカンに引き寄せられました。

側に近所の人が作った野鳥の餌台があり、私は、鳥のだからねと綱を引きました。
拾い食いがよろしくないという以上に、犬は今冬のはじめに家族からミカンをもらいすぎたせいで暫くお腹を下していました。
私の阻止に納得したかどうかはわかりませんが、犬は従いました。帰ったら家族のだれか、母あたりにこのことを言おうと私は思いました。

……ということがあったのを、その散歩から戻り犬の四つ足を洗った後、コートを掛けに行った和室でミカン箱が目に入ったことで初めて思い出しました。

なんで忘れていたんだろう、と思いました。つまり私は、ほんの30分前にあった出来事さえ、記憶し続けることができないということか。
呆れというよりなにか改めて発見したような心持ちで、私は餌台のミカンの話を母にしました。


夢の中で何度か出てくる場所があります。

現実の中で思い出深い場所というわけでもないのに、夢の中の私はそれを何度も見たことのある景色として見、そこが夢の中にしかない場所だとわかっていないことが多い。

実在するようで実在せず、夢から醒めた後しばらくはまたあそこだったなあなどとぼんやり思い返すこともありますが、それもいつか消え失せ忘れてしまいます。次に出てくるときまで。

昨夜出てきた場所は、重厚で魅惑的な作家やタイトルの背表紙ばかりがずらずらっと並んで保存されているのに誰も来ないような書庫で、私は、あっここにあったのかという喜びと、あっこれは夢だったのか、という悲しみを同時に感じたような気がします。


本当はどこにもないという寂しさと、心底から好ましい存在を親く感じることで生じるたしかな滋養はつながっているのでしょうか。

夢の中の場所に、消えていった数々の記憶が、少しは帰ってきているのではと想像すると、なんだかたしかに安心します。

受け取るもののほとんどを取りこぼし、次から次へと忘れながら、いくつかの手掛かりを拾って思い出していくことでしか進んでいけない現在の私の意識というのは本当に頼りなく、ぼんやりしたものです。

そういう細かくおぼろげなものをこそ、記録していきたいです。できる限り。

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2017年12月31日 (日)

12月の夜に

いままで私の中にそういうものとしては仕舞われていなかった記憶が、時代性というものを内在していたことに気付かされる出来事に多くぶつかった一年でした。

時代性、なんていう言葉は、私が初めて出会ったときから既に過去のもの、終わってしまったもののことであり、私には関係のないもの、否、関係を取り結ぶことができなかったものとして、ある種の憧れと苦い諦めの混じりあった言葉としてしか認識することができませんでした。

それまでテレビと新聞と、いくつかの本が全てだった世界から出てきたばかりの私を待っていたのは、そんな「生の体験」を知る人たちからの洗礼であり、
焦燥感と共に、もう本当の輝きは失せたと言われているものの欠片を必死でかき集めることが、本を読む上でも、何かを見たり演じたりする上でも意識していたことで、当時の私の全てではなかったかと思います。

だから、劇団がなくなったり、先生が病気をして亡くなったり、震災があったりという大きな喪失に見舞われる以前から、
私の中には、既に何か重要な喪失感があったと思わざるを得ず、既にあったからこそ余計に、そのダメージに耐えられなかった、私の人生は終わったと本気で信じてしまったのだと思います。
まだ、なんにもしていなかったというのに。


話を戻します。

私の中に、もう全ては去ってしまったのだという印象を与えた人たちのことを、思い返す機会が今年は何度かありました。

そこで気付いたのは、私はそんなことを全く言われてなんかいなくて、私が勝手にそう受け取ってしまっただけではなかったか、ということです。

大里さん、唐さん、その他60、70年代に「なにか」をしていた人達のゼロ年代時点での姿そして言葉には、懐古的なものなんてちっともなかったじゃないか。
懐かしむという扱いなんてできないくらいひりひりしたものを抱えたまま、「当時」と地続きの生身と視点を持ちつづけていたのをいつも見ていたじゃないか。

わたしは、それぞれがそれまで生き続けているということの証人のひとりだとすら言えるというのに、いったいわたしはなにをねじくれていたのでしょうか。

大里さんの死をどう受け止めれば良いのかわからないまま、全ては終わったものと身を引きちぎるようにして終わらせてきた私たちはたしかにあのとき傷を負っていて、でもその傷付いた事実こそが、私たちがそこにいたことの証明、私たちにとっての時代性というものではないかと思うのです。

時代について話すことはなく、傷について話すこともなく、そもそも克服や決着なんていう外野の欲しがるような手っ取り早くわかりやすい説明なんてものが生身の人間の本心となじむわけがなくて、
ただその表情の浮かびかた、声の調子、言い淀むさま、残された活字、そういった存在ごと全てが、私たちの中には沈没船のように沈みこんでいる、私たちはそういうものを飲み込んでいる、という自覚。

そんなことを強く思ったのは、三度目のAAを観たときでした。
あの頃あの場にいた私たちだけじゃない、この人たちもそうだった、みんなずっとそうしてきたんだ、と、何か心の憑き物が落ちたような感覚でした。

私が経験した、例えば唐ゼミでのことは、例えば状況のそれのように大きなものとして世間から見なされはしないでしょう。でもそれは私にとってたしかに強烈な経験でした。

話が混ざってきました。すみません。

そのときそこにただ一度きりしか現れ出ないと思われるものに触れたとき、心が震え、魂が息を吹き返すような感じがします。

でも、その境地が決して長くは続かないことを、残念ながら頭は理解しています。

だから、それを忘れたくないと強く願う。できるだけ長く、その祝福の効力を帯びた自分で居続けたいと願う。

奇跡だとか、伝説とか、時代性とか、後にはそういう言葉でしか言い表せなくなるのは、
楽しいこと、本当にすごいことは幻で、作り上げるのに時間はかかっても一瞬で終わって、二度と再生することはできないからだと思います。

同じものを同じように再現することはできない、すみずみまで正確に記録しておくこともできない、できるのは、魂が動いたという事実をもって自分を次へ動かしていくことだけ。

そういうことを考えるとき、私は魔法の杖をイメージします。

魔法の杖は、魔法を呼び起こすためのもの。

魔法というのは何もない中では生み出せない、だから媒体が要る、それが、魔法使いにとっての魔法の杖であり、魔法の呪文です。

わたしにしかわからないきがする、わたしひとりではできないものごと、
それが実を結び形を成したときの喜びを知る人だけが、魔法を使えるのではないか。

いくら魔法の杖をきれいに作っても、いくら呪文が巧くても、
本当の魔法の力を知らなかったら、その感覚を一度もしていなかったら、やっぱり魔法を使うことないようなきがします。

そして、人には、その人だけが潜在的に知っている魔法があるのではないかと、私は想像します。


私にとって、唐ゼミも大里ゼミも、
真剣さと集中を以てはじめて付いていくことのできる場所であり、そこでの体験は心の震えるものでした。

封印し、離れている間、その体験が消えることはなかった、と、この一年、
ふたたび人に会い、映画や芝居や音楽に触れ、その感触をたしかに確かめていました。

魔法は消えるものだ、日常は殺伐として残酷だ、でも私はそこで絶望してはいけなかった。

たしかにあのとき、灯火を受け取ったんだから。

自分なりのやりかたで、私は、あのとき感知したものをやっぱりどうしても体現したい。

心の奥底に、どんな錘や障害物があったとしても、それだって魔法の道具になるかもしれないよ。

そう思って仕方がなくなった、12月の夜です。

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2017年11月18日 (土)

20171117

その後の状況をわかりやすく説明することが困難なのは、

いくつかの分岐点にさしかかる度に私自身が分裂して、
並行する別の人格間を乗り移りながら過ごしてきたような気がするからです。

そしてその拙い処世術に行き詰まり、私はこれまでに分裂し切り離してきたすべての私を回収する必要に迫られました。

そういう言い方で本当に合っているか、確認することはできないのですが。

とにかくこうしてブログに帰ってきたことは事実で、確かなことです。

自分で自分の気持ちがわからない、
自分の望みがわからない、
という感覚は私にとって慣れ親しんできたものです。

もういいや、それでいいや、私が私でいる必要なんてそもそもないや、
という気持ちにもなりましたし、
私は生きているべきではない、という確信だけ抱いてただ横たわっている期間もそれなりにありました。

結局どうして私がその真空状態から脱し、息を吹き返したのか、よく覚えていません。

今の言葉の力で示せるようなわかりやすく劇的な体験があったわけでもなく、

私を取り巻くさまざまなもの、
私の中にあったさまざまな力、

そういったものが、力尽きて沈黙するしかなかった私の中にただよって降りてきて、少しずつ堆積していっただけなのかもしれません。その一つ一つを知覚し自覚する力は、当時の私にはありませんでした。


でも帰ってきました。


帰ってきたといっても、ブログのIDもパスワードも忘れて、当時登録していたアドレスを使える、今で言うところのガラパゴスケータイから打っているので
正確には、元いた家の外壁にもたれて日記を書いているようなものです。

克服とか、達成とか、そういう明確な切り替え点は、自分で自分に下すしかない性質のものですが、
その見極めに強がりや願望が入っていないとは言い切れません。


でも、自分の変化を観察することはできます。
観察して記録することでしか、元気になった自覚を持つことはできないのかもしれません。

元気ですという言葉を口にする際に、(前よりは)元気です、という気持ちが今はあります。

過去のいつと比較することなく元気ですと言えるようになるのも良いし、

あるいは、元気でなんかなくてもよかったのだと笑えるようになるのも良いです。

本が読めた、映画を観られた、芝居に行けた、友人と話せた、
そのとき生じたものの形に、言葉を蔦のよう這わせていく、
そういう練習が必要だと感じました。

過去を振っ切るためではなく、現在の喜びをたしかに自分のものと思えるようになるために。


わたしに劣等感が植え付けられたのが6歳以前だったことは確実です。

ずっといじけてきた、それを隠すために取り繕ってきたことも認めざるを得ません。

しかし、我が身に降りかかった不運がどんなものであれ、

私の魂は少しも傷付いていないと私は信じたい。

その証拠に、魂の根幹が震えるような自分だけの体験というものが、私には起こってきました。

そんなものに価値はない、調子に乗るな、という心の声に掻き消されたこともありましたが、

でもその感覚は、かつてと変わらぬ、いやそれ以上の熱を孕んで蘇りました。


特定の経穴を鍼で刺激した際に生じる独特の感覚は、
そこが過去から受けてきた負荷の蓄積が、鍼に触れ解放されることで発生するものだと言います。

そんなささやかな情報さえ、今の私には滋養と共に深く染み入ります。


なにかを新しく学ぶということは、世界を信じる気持ちがなければ成立しないのではないか、と最近ふと思うことがありました。

私は勉強して、鍼灸師になります。


自分が見てしまったもの、
自分がそこに存在していたこと、
を、なかったことにしたくなかった、

だから帰ってきました。


洗練や新鮮さとは遠い言葉を垂れ流すことになってしまうとしてもそれは解毒と考え、

きちんと書けるようになるまで、やってみます。

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2016年2月25日 (木)

深夜細雪

言えることと言えないことがあるのが後ろめたいから、
もう何も言いません、
言いたいことは特にありません、

元気です、大丈夫です、頑張ります、以上です。

っていうのは

なんというか、
ただの意地っぱりだな、

と思って、

何のための意地なのか何にもならないじゃないかと
思ったものの、

思っただけで打つ手はなく

端数切り捨ての如く打ち消してきた、
ないなりにあったはずの言いたかったことがらが、
もはや怨念を帯びてわだかまっているような
気配だけはするのですが

それらをひとつずつ取り戻そうと
ばっと振り返ったところで
何にも見当たらなくて、

でも、そういう今を認めることでしか
沈黙は破れないのではないかと

思った次第です。

確かに言えることだけを、探してみます。

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2014年2月 8日 (土)

認める、ということ

大雪です。
休みなので呑気に屋内でぬくぬくしていたところ、雪でドアが開かずに外に出られなくなってしまいました。

明日は晴れるという予報を信じて、待っています。
片手のスコップでは心もとない積雪量なのですが、なんとかなるでしょう。

ちなみにこのスコップは、蛇を埋葬するために百均で買ったもので
その後雪かきのために年一回ほど用いられています。
成り行きというものについて、毎度神妙な気持ちになります。


さて

今の会社に勤め始めて8ヶ月。
翻訳という言葉に惹かれて戸を叩き、雇われる幸運に恵まれましたが、
いわゆる産業翻訳の、さらに、営業という仕事をつづける中では

日々の人間関係の些事や理不尽、先行きのなさやオーボーに対する無力感等々、
社会人であればみな見舞われるのであろうポピュラーな試練に
あっ、、けなく翻弄されているというのが現状でありまして

元来憧れていた姿との隔たりに、そのとき見えていなかった、知らなかった光景のありさまに、
というかその、憧れとか、自分の考えとか思い入れとかがもれなく邪魔なのだという指導も相まって

ひとりで愚痴愚痴鬱々としてばかりいます。
情けないことです。

これが現実なのさ?

憧れが幻だったのだ?

なまじ翻訳という世界に身を置いていることによる卑屈さみたいなものが
「翻訳文学を読む」という、
かつて胸を躍らせた憧れの源泉たる行為からも自分を遠ざけてしまい

くるしいなあ。
とてもくるしいなあ。
というぐあいです。
でした。かなり。


未知の相手を理解する、
というのは本当にうれしいものです。

営業というのは、私のような内気な者にはたいへん勇気のいるものですが

初めて会う相手の奥にある、確かにあるけれどとても細かくて散らばっているキラキラしたものを探り当て、触れ、それを引き出す

そういうことができた気がした時の喜びは何物にも代えがたく

つまりそういうことなんですよね

仕事という営みの中に隠れている、人間的な熱とか、それこそ私の知らない別の憧れとか
そういうものとの邂逅を求めてやまない……です

でもそれは「邂逅」であって、毎日ふつうに出会えるものでは、なぁーくて
そうじゃない、うまくいかない、わからない、わかってもらえない、そもそもわたしなんていらない、そういうことのほうがずっとずっと多くて

社会の中でお金を稼ぐということは、特に、会社しょって営業まわるということは、
そういう中でうろうろするということなのであって


それでもそれをやめないで、次のラッキーを求めて動きつづけるしか、邂逅はない……んだよなあ
というのもわかってきていて

お手本があるわけじゃないし、経験もないし、
ほんとに手探りで、何を目指せばいいのか、形も見えないのだけど。
というか、自分が動けば動くほど、逆に形がなくなっていくのだけど。

自分が見たもの聞いたもの感じたものの集積を、どう統合すればいいのか。
動けば動くだけ知らないことが増えていくという中でだよ。そう、そっちが増えるのですよ。

そんでたぶん、ほとんどの人が実際はそういう状態に身を置いている。
そんでそのなかから形を、言葉を、足場を自分たちで作ってくしかない。

まだ訳のない言葉、定訳のない専門用語、形のない概念、エトセトラエトセトラ。

そんな中では、いま既に形のあるものに対して、
一から十まで納得できるものというのは、どんどん少なくなっていって、というか、なくて
どの部分は是でどの部分は非なのか、切り分けるのもまた自分の仕事で

世界はそんなふうに動いている。のかな、と

足場のない、先も見えない中で、「これだ」と感じるかけらを集めて自分のものにして、形づくりながら前に進むということ。

それってものすごく翻訳的だ、
仕事自体が翻訳だ、というかそういう営みはきっとみんな翻訳なんだな、と思います。


話を元に戻すと
文章の翻訳を求める人の事情と、
文章の翻訳をする人の事情と、
その双方のあいだで動いているというのも、得難い経験とも言えます。

私は翻訳を読む人ってだけで、その人たちのことはわからなかったからなあ。


かつて憧れたものの裏や足場、背景を知って、その中で生きて
それでも憧れた気持ちを否定しない、手放さない

なんと力がいることかと思います。
難しいことです。逃げたくもなります。
ぜんぜんできてないなあ。


がんばれるだけがんばります。

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2013年11月13日 (水)

地始凍2

拾ってくれた会社の方針が変わって、社内初の営業役になったものの、

営業という仕事に対してわたしは、どこか胡散臭い印象をぬぐい去れずにいて、
そのことは、外回りが習慣づいてきた今でも少しは胸に刺さっているのですが

1日じゅう1人であちこち移動してるのも誰かの話を聞くのも好きで、
というか、話を聞くのは、これはもう絶対に間違いなく好きだ、とそういう確信は日々深まっていて

ただ、話を聞きに行く約束を取り付けるのはちょっと苦手であるな気が重いなというのもいつも思っていて

ということは、わたしの仕事は、約束を取り付けることなんだ、
取り付けてしまえば、あとは楽しいことしか残らないんだから(もちろん遊びじゃあないが)、と今日ハタとして

営業に対する心の重さが半減したような気がします。
気がするだけかもしれないけど。

また、断られて落ち込んだり、わたしのやってることってただ迷惑なだけかもとかよぎったり、自分に何ができるのかわかんなくなったり、ばーかばーかと思ったり、
しょっちゅう、しょっちゅうするんだろうけど。

でも、約束を取り付けて、その約束を果たすことがわたくしの日々のお仕事、というのは確かだと思います

そのためにまず、約束をしてくれるくらい信用してもらう、話したい相手になる、
そんで、裏切らないためにがんばる、やるべきことはそれなのよなと


会いに行くっていうこと、は、

力を込めて芝居を作り上げたり、店に来てくれる人を喜ばせたり、というのとはまた違うもので

新しく仕事を探す、自分から仕事をつくるっていうのは

やるべき仕事は常に自分の「外」にしか存在しないということで
それはとても心細いし、不安なこってす、はい

そういうのを重ねていくことで、自分の中になにかが目に見えて残ったり、
いわゆる手に職がつくわけじゃないし、なにかできるようになった、みたいな進歩の区切りも特にない、

けど、

その、話を聞くの好きだあ、というこの今のひとつかみの実感は、なんか泣けてくるほど嬉しいものでして

自分のしてる仕事について話してくれる人達、もれなくかっこいいんすよ。こう、きゅーんとするんすよ。

翻訳を頼んでくださる方のしてる仕事の凄さと、
いい翻訳をしてくださる方の仕事の凄さを、
両方ともちゃんとわかった上で、正々堂々やっていきてえよなあと思って

多分あらゆる産業翻訳の奥にはそういうものがなきゃいけないし、
翻訳を、ただの言葉の置き換えと思われてたまるかと思って、

そのためにしっかり働いて、みんなのことサポートするには、
そういう、学んで伝える力が絶対に必要で、全然まだまだだと思って、

仕事にやりがいがあるっていうのが嬉しくて、でも力不足なのが悔しくて、


がんばりますと。思います。

半七捕物帖の善八のように(半七のように、とはまだ言えない)、如才なくやっていきたいです。

あとあれ。「憶さず!」

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2013年11月12日 (火)

地始凍

職業が変わったり、体型や髪の毛が変わったり、服装が変わったり、健康状態とか肌質とかいろいろな推移がございますが、

わたしはわたしだなあと実感するのは、
なんか落ち込んだり引きずったりするときのその重心の先に気付いて、ああやっぱり(お前か!)と思う瞬間であったりしまして

挫折でもなんでも呼び名は色々あるけど、

やっぱりさ、一旦ものすごくねじれたものをさ、がんばって戻してきて、やっと元いた場所につなげたようなもので、
つなげたんだけど決して元通りではないそのつながりかたって、メビウスの輪そのものだと思いました。


だから、そのことについて語るということが、ある一つの面だけに立って語るっていうことが、不可能なんだ、
どうしたって、話してるうちに裏側に行ってしまったり、また表がまざってきて、何がなんだかわからなくなるのだ、と

ねじれずにいられたり、
あるいはもう、ねじれたまま戻そうなんてせず、そちらに突き抜けられたりしていたら、
こういうことにはなってないのかもしれないな

中途半端だなー、かっこわるいなー、と呆れますし

どっちつかずで、どっちにも居られない、ぐるぐるなんで、何を言葉で固定しても次の瞬間既に疑念でいっぱいになっていくのが心もとなくて
たまらなくなることもありますが

でも、そういう気持ちになってでも、
近くに行ったり、姿を見られたり、会えたり、話せたりするのはやっぱり嬉しいんですよね

わたし、そこにいた、ということを確認するというのか

もうそれだけでいいや、
そのときの自分が本当はどう思ってるのか決められなくてもいいや、
と思います。

やり直したいわけではなく、戻りたいわけではなく、変わりたいわけでもなく、

それがわたしにとっての自然体と呼べる状態なんだろうなと。


しかし寒いなあ。

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2013年8月12日 (月)

世田谷区

世田谷区
去年の夏

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ご近所

ご近所
これも去年の
なにかの事務所の看板ねこと、新聞のトイレットペーパー

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ここはどこだったかな

ここはどこだったかな
(いつだったかな)

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